夢野久作『猟奇歌』

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 夢野久作『猟奇歌』(『夢野久作全集〈7〉』 中島河太郎, 谷川健一編 三一書房 1970 所収)

 先月『夢野久作全集』を引っぱり出してきてから、あちこちつまみ読みしてるんだけど、あらためて読み直してみて今さながらに面白いと感じたのは『いなか、の、じけん』と、この『猟奇歌』だった。以前は「短歌かよ」って感じで(短歌の人すみません)、スルー気味だったのだ。反省。
 というわけで、短歌には短歌なりの鑑賞の仕方があるのかもしれないけど、全然分からないので、いつも通りの感想書きます。

『猟奇歌』は雑誌『猟奇』『ぷろふいる』に発表された、モチーフが猟奇的ならOKな短歌の総称で、もともとは夢野久作の歌に限ったものではなかったらしい。質と量で他を圧倒した結果、『猟奇歌』といえば夢野久作ってことになったとか。とはいえ、かなりむちゃな感じの歌も多い。たとえばこんなの。

頭の中でピチンと何か割れた音
イヒゝゝゝゝ
……と……俺が笑ふ声


ピストルが俺の眉間を睨みつけて
ズドンと云つた
アハハのハツハ


 ……時にやりずぎじゃないかと思うほどの諧謔は、著者の目立った特徴の一つだけれど、『猟奇歌』ではその純度がより高くなっている。それがどうにも露悪的に感じられて、以前はちょっと苦手だったのだ。ところがじっくり読み返してみると、興味深い歌や、美しい歌がいくつもあった。

水の底で
胎児は生きて動いてゐる
母体は魚に食はれてゐるのに


 なんといっても「胎児」って言葉のイメージが強く、『ドグラ・マグラ』の「胎児よ/胎児よ/なぜ躍る/母親の心がわかって/恐ろしいのか」(※)という巻頭歌を容易に連想させる。しかしここで詠まれた絶望感は、著者の代表的な短編のひとつ『瓶詰の地獄』の印象に近いように思う。母親は子供を孕んだために、殺されて遺棄されたのかもしれない。なにも知らずに羊水のなかでたゆたっている胎児には、避けがたい破滅が迫っている。透明な体内を覗き込むような不思議な感覚と、美しさが感じられる一首である。『瓶詰の地獄』といえばこんな歌もある。

美しく毛虫がもだへて
這ひまはる硝子の瓶の
夏の夕ぐれ


 瓶のなかでごにょごにょ動きまわる毛虫を美しいと詠むあたり、さすが夢野久作。毛虫を瓶に閉じこめる子供っぽい残酷さと、そのさまを官能的に捉える大人の感覚がごちゃ混ぜになっていて、実に著者らしい一首だと思う。夕日を背景にしたイメージは鮮明で美しく、毛虫の柔らかさにガラス瓶の質感が冴えている。

 次の二首は花と少女を詠んだ歌。

枕元の花に薬をそゝぎかけて
ほゝゑむでねむる
肺病の娘


血のやうに黒いダリアを
凝視して少女が
ホツとため息をする


 こうして並べるとまるで対になっているかのような綺麗な歌である。前者は死の影の忍び寄る白々とした病室の少女、後者は身体に血潮を漲らせる年頃の少女を描いている。色彩的にも鮮やかに好対照だ。「エロ・グロ・ナンセンス」のイメージの強い著者だが、意外にも花や少女をモチーフにした作品も多い。それはこの『猟奇歌』に限ったことではなくて、以前感想を書いた短編小説の『白菊』などはその好例である。少女と花の醸し出すはかなさや、うつろいやすさ、純粋さに、著者は残酷な美を見出しているのだろう。

『猟奇歌』は1928年から1935年にかけて発表されたもので、同時期には数多くの代表的な小説が執筆されている。驚くほど多彩な歌の数々は、そうした作品群のエッセンスか、種子のようにも見える。正直短歌の良し悪しってよく分からないけれど、この『猟奇歌』については、キャッチーな諧謔やグロテスクな表現ばかりではなく、小説や童話なども含めた著者の作品全体に通底する独特の美しさが、より分かりやすい形で表現されていると思う。


 ※ 夢野久作『ドグラ・マグラ』(『夢野久作全集〈4〉』 中島河太郎, 谷川健一編 三一書房 1969 所収 p.6)


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Posted byserpent sea

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