萩原朔太郎『猫町』

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 萩原朔太郎『猫町』(中島河太郎, 紀田順一郎編『現代怪奇小説集〈上〉』立風書房 1978 所収)

 萩原朔太郎は大正から昭和のはじめにかけて活躍した、日本を代表する詩人。この『猫町』は著者の数少ない小説のひとつで、アンソロジーに収録されることの多い作品だ。著者は探偵小説好きとしても知られていて、江戸川乱歩との交流もあった。本職の詩の方でも探偵や殺人事件をモチーフにした作品をいくつも発表している。
 本書の巻末に収録されている編者紀田順一郎の『日本怪奇小説の流れ』に詳しいが、当時の「広義の探偵小説」には推理やパズルの要素を主題とした小説ばかりではなく、怪奇小説や幻想小説なども含まれていて、作者も読者の数も後者の方が多かったという。きっと萩原朔太郎も後者をより好んだのではないかと思う。

 江戸川乱歩の評論集『幻影城』には、この『猫町』が少々異例な扱いで取り上げられていて、アルジャーノン・ブラックウッド(Algernon Henry Blackwood)の中編小説『いにしえの魔術』("Ancient Sorceries" 乱歩は『古き魔術』と表記)との類似が指摘されている。乱歩は「萩原朔太郎の「猫町」を敷衍するとブラックウッドの「古き魔術」になる。「古き魔術」を一篇の詩に抄略すると「猫町」になる」(※1)と言い、ともに乱歩好みのユートピアを夢想する物語であるとしている。もちろんこの2作品の類似は偶然だと思われる。

 ストーリーは、モルヒネ、コカインなどの薬物中毒からどうにか快復し、健康のために散歩を始めたという「私」が、北越地方のKという温泉に滞留した際に、猫ばかりが住む未知の町に迷い込んでしまうというもの。元来、私は極度の方向音痴で、よく道に迷うことがあった。長らく体を蝕んできた薬物の影響もあったのかもしれない。猫の町は実はよく知っている近隣の町で、普段とは異なった方角から町に迷い込んだために、それをまるで見知らぬ町のように感じたのだった。

 本作は全ページ数の半分程度が「私」の近況報告に費やされていて、確かに「猫の町に迷い込む」という特殊なモチーフが強く印象に残るけれど、ガチオカルトな『いにしえの魔術』とはかなり趣きが異なっている。怪異に論理的な説明をつけようとしているあたり、もしかすると著者なりの「探偵小説」を書こうとしてたのではないかって気もする。
 この作品を発表した1935年(昭和10年)ごろの著者は、離婚に端を発した様々な精神的な苦痛からようやく快復して、まさに作中の「私」のような状態だった。多くの作家たちのように実際に薬物を用いていたかどうかは定かではないが、一時期相当まいっていたことは確かなようだ。
 著者は代表作『月に吠える』の序文のなかで「詩は神秘でも象徴でも鬼でもない。詩はただ、病める魂の所有者と孤独者との寂しいなぐさめである」(※2)と記していて、本作もまたそんな「寂しいなぐさめ」の一つだったのだろう。また自分自身を猫に例えて「私の如きものは、みじめなる青猫の夢魔にすぎない」(※3)とも語っている。「私」が迷い込んだ猫の町は、病める一匹の猫が夢見た理想郷だったのかも知れない。

 ところで今回この作品を読み直すきっかけになったのは、先日発売された雑誌『怖い噂 vol.16』(←amazonへのリンクです)のなかの「日本魔界紀行 FILE 01 東北に鎮座する犬の宮と猫の宮」という記事だった。山形県東置賜郡にある二社の神社、「犬の宮」と「猫の宮」が紹介されている。隣り合わせで建立されているのがとても珍しいらしい。似たような記述がどこかにあったような気がして、思いついたのがこの『猫町』だった。「私」の散歩の道すがらの思索のなかに、「犬神」「猫神」を祀る憑き物筋の部落のことがちらっと出てくるのである。読み直してみると実際には全然似てなかったんだけど、ほんの少しの記述ながら「私」が体験する怪異の興味深い前振りとして印象に残っていたようだ。


 ※1. 江戸川乱歩『江戸川乱歩推理文庫〈51〉幻影城』講談社 1987 p.359
 ※2. 萩原朔太郎『萩原朔太郎詩集』三好達治編 岩波書店 1952 岩波文庫 p.70
 ※3. 同上 p.190

 ※関連記事です↓A・ブラックウッド『いにしえの魔術』
 http://serpentsea.blog.fc2.com/blog-entry-140.html


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