飛鳥の石造物と都塚古墳について その3

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 奈良県明日香村に行ってきました。五年ぶり三度目の明日香です。
 今回の目的は前回行きそびれた「益田岩船」と、前回ブルーシートで覆われていた「都塚古墳」を再度見学すること。その後は奈良県内の倭姫命関連の神社&史跡に向かいました。

 まずは益田岩船から↓



 不思議な造形とスケール、思わせぶりなネーミングで夙に名高い益田岩船だが、旅行ガイドなどを見てみるとその扱いは意外なほど小さい。明日香の周遊ルートから絶妙に外れているのだ。手元のガイドの中で最も大きく岩船を取り上げているのが、雑誌『ムー』別冊の『日本・ミステリー・ゾーン・ガイド』だったりする。

 益田岩船には近鉄吉野線岡寺駅から徒歩で15分ほど。案内板に沿って進めば迷わずに到着するが、結構遠いし途中から緩い登り坂が続くので疲れてしまう。レンタサイクルにしても似たようなものなので、ベストは電動アシスト自転車。自家用車だと周辺に駐車場が無いので困る。またEVレンタルサービス「MICHIMO」は雨の日も安心で明日香巡りにはもってこいなんだけど、残念ながら岩船はエリア外とのこと(確認しました)。やはり周遊ルートから絶妙に外れている。

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 ウサギが気になる岩船への登り口。ここから急な山道を5分ほど登る。足場が悪いので行かれる方は靴選びを慎重に。

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 ぜーぜー言いながら山道を登った先に、どーんと出現する岩船。東西約11メートル、南北約8メートル、高さ約4.7メートルの台形で、重さは160トン~800トンとも言われている。大迫力すぎて怖い。怪獣の頭部みたいだ。こんな巨大な岩塊が山中に単体であることに物凄い違和感を感じる。

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 側面下部の格子模様。前に見た「亀石」にも似たような格子模様があった。CSでやってる『古代の宇宙人』では、2017年にジョルジョ・チョカロスが来日して岩船を取材している。その際にこの格子模様について、インドのマハーパリプラムに似た意匠が見られたと語っている。実際に見てみると、作業の過程ので刻まれた格子模様がそのまま放置されている感じ。

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 よく撮られている構図。伝奇SFな雰囲気。竹林と岩船のコントラストがかっこいい。八十年代に出た本を見ると岩船の周囲に竹は全然生えてなくて、下生えの茂った小山の上に巨大な岩塊が剥き出しになっている。誰かが植えたのか自然に生えたのかは分からないが、竹林は岩船に本当によく似合う。

 この益田岩船の用途については、横口式石槨説、石碑台説、拝火台説、占星台説、物見台説、エネルギー発生装置説、宇宙人との交信機説、UFOの模型説等々、諸説ある。
 石碑台説は結構根強い説で、益田池を称賛した弘法大師の碑を立てる台座だったというもの。奈良の観光サイトや一部旅行ガイドではこの説を推している。前述の『古代の宇宙人』では当然のようにUFOの模型説。常陸国のうつろ舟を引き合いに出しつつ、古代人が目撃した天の岩舟(UFO)を象ったものではないかと推測している。
 現在最も有力とされているのが横口式石槨説で、ざっくり言うと古墳の重要パーツではないか説。言われてみれば同じ横口式石槨とされる明日香村の「鬼の俎・鬼の雪隠」と造形がよく似ている。益田岩船は各地のナゾの石造物の中では珍しく、加工方法や計画に用いられた高麗尺から、作られた年代がかなり絞られていて(古墳時代末期少なくとも七世紀代)、これも横口式石槨説を補強している。

 それにしてもこの岩船のもとになったでかい岩塊は、もともと小山の中腹にポツンとあったものなのだろうか。「岩船」という名称の由来も気になるところで、江戸時代にはすでに「益田岩船」と呼ばれ観光名所になっていた(※1)。
 確かなのは岩船のおおよその作成年代と、この画像からも窺えるように作業が途中で終わっているということ。現在の形は完成形ではないのだ。

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 ※1. 秋里舜福著 竹原信繁画『大和名所図会 巻之五 益田岩船』寛永三年(1791) 早稲田大学図書館古典籍総合データベースより。

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   暁鐘成編 松川半山, 浦川公左画『西国三十三所名所図会 第九巻 益田池碑趾』嘉永六年(1853) 早稲田大学図書館古典籍総合データベースより。石碑台説を解説しつつ、「岩船」という俗称を紹介している。

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 上面の穴。穴のサイズは一辺が1.6メートル、深さ1.3メートル。格子模様を削り取ったと思しき痕跡がうっすらと見える。闇雲に岩を削るのではなく、まず格子模様にアタリを刻み方形を丁寧に削って平面を出したようだ。

 この岩船が横口式石槨だとするなら、完成時にはこの穴の開いた上面は90度横に倒され、横口式石槨が二つ並んだ「牽牛子塚古墳」と同様の形になる。そのため横口式石槨説では、岩船が放棄された牽牛子塚古墳のプロトタイプではないかとも考えられている。最終的に下になる面の傾斜角度が気になるが、これは作業のしやすさ(昇り降りのしやすさ)を考慮してのことで、いずれ現在の上面と直角になるまで削る予定だったのだろう。しかし完成後の移動方法は謎だ。急な斜面を転がすつもりだったのか。それともこの場所に古墳を築くつもりだったのだろうか。

 この日、岩船には1時間ほどいたんだけど、その間に誰も来なかったので岩船独り占めって感じだった。続いて都塚古墳について↓




 都塚古墳は石舞台から400メートルほど離れた尾根上に位置する、国内では類例のほとんどない階段ピラミッド形状の古墳である。前回、レンタサイクルで訪れてヘロヘロになったことを思い出した。当時は古墳の側面がブルーシートで覆われていて、見学することができなかったのだ。それで楽しみにしてたんだけど……。

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 2014年10月

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 2019年11月
 フサフサになってる。ツツジ(?)も大きくなった。

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 前回ブルーシートで覆われていた側面もフサフサに。
 残念ながら当時大きく報じられた側面の階段ピラミッド形状は見えなかった(※2)。
 休日ということで石舞台周辺には観光客が大勢いたのだが、この都塚古墳まで来ると人影は全くなく実にのどかだった。次回に続きます。

 ※2.「都塚古墳 明日香村の文化財20」明日香村教育委員会 2014 「階段ピラミッド形状」の画像があります。→ https://asukamura.jp/chosa_hokoku/bunkazai/imgs/20.pdf

 前回の記事です↓
 飛鳥の石造物と都塚古墳について その1
 飛鳥の石造物と都塚古墳について その2
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Posted byserpent sea

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