久具都比賣神社について 宮川沿いの倭姫命御巡幸伝承地 その1

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 三重県の中南部を流れる「宮川」沿いに点在する「倭姫命」の御巡幸伝承地にお参りしてきた。
 うちの車にはカーナビがついてないので、いつも地図を見て、道が分からなくなったらまた地図を見る、を何度も繰り返す。そんな効率の悪い方法で目的地に向かうのだが、今回は(も)とんでもなく迷いまくった。最終的には近隣の住人の方々のお世話になってしまった。行き止まりの曲がりくねった道をバックで数百メートル戻ったりした。道幅は車一台分、片側が崖、もう片側にはイノシシの避けの電流が流れてて、まじで冷や汗が出た。寒かった。

 続きは下の「続きを読む」から↓

 まずは宮川を目指した。さすがにでっかい川なので迷わなかったが、そのあとが大変だった。
 宮川は幹流延長91kmの三重県内最長の川で、清流で知られる一級河川である。自分は上流の方には行ったことがないけれど、中流から下流域にかけては川幅も広く、桜の植えられた堤防と広い高水敷が印象に残っている。両岸のすぐそばに街があるわりには緑の深い、美しい様子の川だ。多雨地帯を源流に持つことから、かつては毎年のように氾濫を起こしたらしい。ネットで調べてみたら、古くは「暴れ川」なんて呼ばれていたとか。そのため増水に耐えられる橋が下流域に初めて架けられたのは明治期に入ってからで、それまでは河岸の定められた場所から渡し舟などを利用した。広重の『伊勢参宮宮川の渡し』には文政の頃の「渡し」の賑わいが描かれている↓ お伊勢さんへのお蔭参りに全国から参拝者が押し寄せていた。画像はWikipediaより。

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 一匹白い犬が紛れ込んでいるが、これが「犬の代参」、主人に代わってお伊勢参りをした「おかげ犬」で、主人の近所の人や道中の人々が、犬の道行きを何かとフォローしたらしい。絵の中に描かれている首輪のしめ縄が代参のしるしになっていた。現在おかげ犬は内宮門前の「おかげ横丁」のキャラクターにもなっている。

 宮川の古名は「度会の大川」といい『万葉集』に歌われている。伊勢市教育委員会による宮川堤の案内板には「古く度会大河(わたらいのおおかわ)・度会川・豊宮川などと呼びました。 豊受大神宮(外宮)の「みそぎ」をする川であったからの名であろうとされています。」とあり、また三重河川国道事務所のサイト(※1)には「豊受大神宮(伊勢神宮外宮)の禊川であったことから、かつては豊宮川といわれ、「豊」の字を略して宮川の名がついたとされています。」とある。手近な本で調べてみると、奈良時代に編纂された『風土記 逸文 伊勢國』には単に「川」(河)とあり、鎌倉時代の成立とされる『倭姫命世紀』には「大河」とある。
 この宮川と内宮を流れる「五十鈴川」は歴史的に大変興味深い川なので、機会があれば足を運んでじっくり色々見て回りたいと思う。もちろんもう少し暖かい季節に。



 今回詣でたのはその宮川沿いに鎮座する内宮の摂社「久具都比賣神社 (くぐつひめじんじゃ)」「園相神社 (そないじんじゃ)」「川原神社 (かわらじんじゃ)」の三社。最初は三重県度会郡度会町上久具に鎮座する久具都比賣神社に向かった。この神社は度会町にある唯一の摂社である。

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 道路上から見た久具都比賣神社の社叢↑めっちゃ分かりづらい。画面中央下の白い点が鎮守の森の入り口に立てられた立て札みたいなやつ。

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 境内を入ってすぐに、ぽとって感じで置かれた水盤。味わい深いにもほどがある。

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 社殿。でかい木が茂っていて、美しく清められた境内は薄暗い。たまに木漏れ日がさすのが綺麗だった。これまでいくつも神社に詣でたが、この神社の雰囲気にはなぜか特別にぐっとくるものがあった。

 久具都比賣神社は内宮の摂社二十七社のうちの二十一位で、創建は千年以上も前に遡る。中世の頃には荒廃して社地も不明になっていたが、寛文3年(1663年)に再興。その際に三つあった社殿のうち二つは造営されず、三柱が一殿に御同座となり現在に至っている。
 祭神は「久具都比女命 (くぐつひめのみこと)」「久具都比古命 (くぐつひこのみこと)」「御前神 (みまえのかみ)」の三柱。久具都比女命、久具都比古命の二柱は『皇大神宮儀式帳』に「大水上神御子」とある。「大水上神」は水を司る神だが、よく登場するわりに分からない点が多い。いずれもう少し掘り下げてみたい。御前神については皇學館大学の『式内社調査報告』に「一宇の祭神が明記されてゐる史料はない」(※2)とあり、続けて『大神宮儀式解』の「一區は前社にて、右の神の御蔭を祭奉る歟。又此神に由縁ある神を齋奉る歟。」との記述が、また『神三郡神社参詣記』の山神であるとの記述が引用されている。

『倭姫命世紀』にはこの神社の由来が次のように書かれている。

「その処より幸行するに、久求都彦(くぐつひこ)参り相ひき。「汝(いまし)の国の名は何ぞ」と問ひ給ひき。白(まを)さく、「久求(くぐ)の小野」と白しき。倭姫命詔(のたま)はく、「御宮処を久求の小野」と号け給ひて、その処に久求社を定め賜ひき。」(※3)

 また度会町のwebサイトには「神宮摂社であるが、倭姫命の巡行以前からこの久具に住む人々の守護神として祀られていたと思われます。」(※4)とある。

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 境内にある楠。大きな木が沢山あったけど、とくにこの木はでかかった。樹齢はどのくらいだろう。途中から二股に分かれて、そこから太く高く伸びている。

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 久具都比賣神社の社地は宮川と接していて、1994年まで利用されていた「上久具の渡し」の跡地がある。渡し船で通学していた児童もいたそうだ(※4)。「園相神社」「川原神社」については「その2」へ続く。


 ※1. 国土交通省中部地方整備局 三重河川国道事務所 → http://www.cbr.mlit.go.jp/mie/index.html
 ※2.『式内社調査報告』皇學館大学出版部 1977 p290
 ※3. 和田嘉寿男『倭姫命世記注釈』和泉書院 2000 研究叢書 258 p91
 ※4. 度会町のwebサイト → http://www.town.watarai.lg.jp/index.php

 ※ 参考
 『日本古典文学大系〈2〉風土記』坂本吉郎校注 岩波書店 1958
 『日本古典文学大系〈67〉日本書紀 上』坂本太郎, 家永三郎, 井上光貞, 大野晋校注 岩波書店 1967
  世古口藤平『神三郡神社参詣記』皇學館大学神道研究所 2005 神道資料叢刊十一
  所巧『伊勢神宮』講談社 1993 講談社学術文庫
  楠木勝俊『倭姫命の御巡幸』アイブレーン 2015
  皇學館大学編『伊勢志摩を歩く』皇學館大学出版部 1989

  伊勢神宮のwebサイト → http://www.isejingu.or.jp
 『名勝宮川堤保存管理指針 平成27年3月』伊勢市教育委員会 → http://www.city.ise.mie.jp/13168.htm
 『皇太神宮儀式帳』京都大学貴重資料デジタルアーカイブ → https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp
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