夢野久作『死後の恋』

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 夢野久作『死後の恋』(『夢野久作全集〈1〉』 中島河太郎, 谷川健一編 三一書房 1969 所収)

 先日「死ぬまで使えるブックガイド」という煽り文句に釣られて『東西ミステリーベスト100』という本を買ってみた。著者の代表作『ドグラ・マグラ』は見事4位にランクイン。書かれてから80年近く経つ本なのにすごい。ミステリーはあまり読んでないのだけど、1位から4位までは、意外なことにどれも読んだことのある作品だった。別のジャンルの読者も惹き付けるからこその上位入賞作品なのだろう。

『ドグラ・マグラ』が飛び抜けて有名な著者だけど、短編作品にも魅力的な作品が多い。なかでもこの『死後の恋』はとくに好きな作品の一つで、ロシア最後の皇帝ニコライ二世の末娘「アナスタシア」と、その財宝をめぐる話。
 ロマノフ家については、今世紀に入ってからDNA鑑定などが行われたこともあって、とりあえずは一段落って感じなんだけど、長い間虚実が入り乱れて面白いことになっていた。処刑されずに亡命したとか、家族揃って硫酸で溶かされたとか、もう一人皇女がいるとかいないとか。関連研究本も多い。アナスタシアに関しては複数の偽者が現れたりもした。こんな混乱ぶりが多くの作家の想像力を掻き立てたらしく、ジャンルを問わず数多くの作品の元ネタとなっている。この作品もまたアナスタシア生存説に基づいて書かれたものだ。

 物語は「風来坊のキチガイ紳士」と呼ばれる男の身の上話に、アナスタシアを絡めるという形をとっているが、上記のように史実上の混乱した背景があるうえ、そもそもこの男の話の真偽のほども定かではない。虚実ごちゃまぜで曖昧なネタをもとに、真偽の定かでない物語を展開するというハチャメチャぶりが実に著者らしい。
 とは言え作品全体が曖昧模糊としているわけではない。例えば江戸川乱歩が賞賛したという、野原で銃撃音を聞くシーンの張りつめた空気。ガソリンマッチの炎に浮かぶ森のなかの殺戮現場の、脳みそにこびりつくような鮮やかなイメージ。そして極めつけは、全裸で木に吊るされた「戦友」の凄まじい死にざまである。

その肉体は明らかに「強制的の結婚」によって蹂躙されていることが、その唇を隈取っている猿轡の瘢痕でも察せられるのでした。のみならず、その両親の慈愛の賜である結婚費用……三十幾粒の宝石は、赤軍がよく持っている口径の大きい猟銃を使ったらしく、空包に籠めて、その下腹部に撃ち込んであるのでした。私が草原を匍っているうちに耳にした二発の銃声は、その音だったのでしょう……そこの処の皮と肉が破れ開いて、内部から掌ほどの青白い臓腑がダラリと垂れ下っているその表面に血にまみれたダイヤ、紅玉、青玉、黄玉の数々がキラキラと光りながら粘り付いておりました(p.106)


 赤軍の兵士によって、さんざん陵辱された後に殺害されたのだろう。「掌ほどの青白い臓腑」とは、はみ出した子宮だろうか。まるで暗い森の奥に咲いた青白い花を、色とりどりの雫で飾るかのような、気合いの入った描写である。「戦友」の表情や立ち振る舞いが、これまでとは違う意味を持ってフラッシュバックする。
「風来坊のキチガイ紳士」の身の上話の真偽は、結局最後まで分からない。しかし森のなかの一幕、宿業が結晶化したような凄惨なイメージは、強く心に残る。


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Posted byserpent sea

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