H・P・ラヴクラフト『ダニッチの怪』

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 H・P・ラヴクラフト(Howard Phillips Lovecraft)著, 大瀧啓裕訳『ダニッチの怪』(“The Dunwich Horror”『ラヴクラフト全集〈5〉』東京創元社 1987 創元推理文庫 所収)

 マサチューセッツ州、ダニッチという村落で未曾有の怪事件が発生した。発端は1913年、「ラヴィニア・ウェイトリー」という身体に障害のあるアルビノの女が、一人息子「ウィルバー・ウェイトリー」を出産した時点にさかのぼる。父親は不明。ウェイトリー家は荒廃したダニッチの村落のなかにあって、代々恐れられ忌避されてきた。ウィルバーはそんな孤立した環境で異常なスピードで成長し、先祖伝来の怪しげな学問に打ち込みはじめた。
 一方ウィルバーの祖父「老ウェイトリー」は古びた家屋の改築に着手する。また定期的に大量の牛を買い入れるようになった。これはダニッチの怪事件が発生した1926年まで止むことはなかった。やがて祖父が死亡し、母親が姿を消した後も、ウィルバーは一人学究に精を出した。ところがあるとき魔道書『ネクロノミコン』を盗み出そうと大学に侵入し、番犬に襲われてあえなく死亡してしまう。露わになった彼の身体は、人間のものとは著しく異なっていた。そしてダニッチで怖ろしい事件が発生する。

 クトゥルー神話体系の中核をなす超重要な作品。「ネクロノミコン」「ミスカトニック大学」「ヨグ=ソトホース」など、クトゥルー関連のキーワードが頻出する。著者の作品としては早い時期に日本で紹介されており、江戸川乱歩はラヴクラフトと本作の熱心な紹介者だった。『幻影城』所収の「怪談入門」では他の作家よりも多めにページを割いて、著者についてこんな風に記している。「彼の作には次元を異にする別世界への憂鬱な狂熱がこもっていて、読者の胸奥を突くものがある。その風味はアメリカ的ではなく、イギリスのマッケン、ブラックウッドと共通するものがあり、或る意味では彼等よりも更らに内向的であり、狂熱的である。」(※1) さすがの慧眼。あと水木しげるのファンにはあのヨーグルト!!の原作(原案)として知られている。

 この『ダニッチの怪』は多段式ロケットみたいな作品で、フォークロアっぽいプロローグから、SFモンスターホラーなクライマックスへと驚異的に跳躍する。
『怪奇小説傑作集〈1〉』の平井呈一による解説には「マッケンに心酔したラヴクラフトは、このマッケンの世界からコスミック・ホラーという異次元の恐怖を創造して、『ダンウィッチの怪』その他の作品で、まったく新しい恐怖の世界をひらいた」(※2) とある。確かにラヴィニアとウィルバーは性的な描写こそ除かれているが、マッケンの『パンの大神』(“The Great God Pan”)の「ヘレン」から分化したみたいなキャラで、ウィルバーが死亡する6章までは『パンの大神』の影響が色濃く感じられる。ただし、ここで終わっても充分ですーって感じのウィルバーのショッキングな死に様さえ、実は壮絶なクライマックスへ向けての前振りだったのだ。著者は著者ならではの神経質さ、執拗さで、全編に細かい伏線を配し、謎を積み上げ、小説とはいわず巨大生物もの(怪獣もの)が陥りがちな中だるみを回避し、見事に緊張感を維持している。クトゥルー云々はさておき、でっかい怪物の出でくる小説として極上の作品だと思う。90年も前に書かれた作品ながら、今読んでも面白い。

 自分は創元推理文庫の『ラヴクラフト全集〈5〉』よりも前に、『怪奇小説傑作集〈3〉』でこの作品に接していたので、少々古めかしい雰囲気の傑作集の訳の方が馴染み深く、今でも読み返すときは傑作集を読んでいる。ただ初めて全集を読んだとき、めっちゃ読みやすい! って思った。さらに全集には本作についてかなり詳細な解説があって、舞台となった場所の写真なんかも載っている。どちらも入手しやすい本なので、興味がある人は下記の収録作品なども参考にお好みでどうぞ。併録されている作品はどちらも名作揃いです。あとそれから本作を原作にした映画『ダンウィッチの怪』(1970)のDVDが出ます。製作総指揮はロジャー・コーマン。


 ※1. 江戸川乱歩『江戸川乱歩推理文庫〈51〉幻影城』講談社 1987 p.299
 ※2. ブラックウッド他著, 平井呈一訳『怪奇小説傑作集〈1〉』東京創元社 1969 創元推理文庫 p.390



『ラヴクラフト全集〈5〉』
 東京創元社 1987 創元推理文庫
 著者:H・P・ラヴクラフト(Howard Phillips Lovecraft)
 訳者・作品解題:大瀧啓裕

 収録作品
 『神殿』(“The Temple”)
 『ナイアルラトホテップ』(“Nyarlathotep”)
 『魔犬』(“The Hound”)
 『魔宴』(“The Festival”)
 『死体蘇生者ハーバート・ウェスト』(“Herbert West-Reanimator”)
 『レッド・フックの恐怖』(“The Horror at Red Hook”)
 『魔女の家の夢』(“The Dream in the Witch House”)
 『ダニッチの怪』(“The Dunwich Horror”)
 『資料『ネクロノミコン』の歴史』(“History of Necronomicon”)

 ISBN-13:978-4-4885-2305-3
 ISBN-10:4-4885-2305-6


『怪奇小説傑作集〈3〉』
 東京創元社 1969 創元推理文庫
 著者:ラヴクラフト・他
 訳者:大西尹明/橋本福夫
 解説:平井呈一

 収録作品
 『ラパチーニの娘』(“Rappaccini’s Daughter”)ナサニエル・ホーソーン(Nathaniel Hawthorne)
 『信号手』(“No.1 Branch Line:The Signalman”)チャールズ・ディケンズ(Charles Dickens)
 『あとになって』(“Afterward”)イーディス・ワートン(Edith Wharton)
 『あれは何だったか?』(“What was it?”)フィッツジェイムズ・オブライエン(Fitz-James O’Brien)
 『イムレイの帰還』(“The Return of Imray”)R・キップリング(Rudyard Kipling)
 『アダムとイヴ』(“Adam and Eve and Pinch Me”)A・E・コッパート(A.E.Coppard)
 『夢のなかの女』(“The Dream Woman”)ウィルキー・コリンズ(Wilkie Collins)
 『ダンウィッチの怪』(“The Dunwich Horror”)H・P・ラヴクラフト(H.P.Lovecraft)
 『怪物』(“The Damned Thing”)A・ビアース(Ambrose Bierce)
 『シートンのおばさん』(“Seaton’s Aunt”)ウォルター・デ・ラ・メア(Walter de la Mare)

 ISBN-13:978-4-4885-0103-7
 ISBN-10:4-4885-0103-6


 

 ラヴクラフト・他著 大西尹明, 橋本福夫訳『怪奇小説傑作集〈3〉新版』東京創元社 2006 創元推理文庫


 

ダンウィッチの怪』[DVD]


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