H・P・ラヴクラフト『冷気』

 

 H・P・ラヴクラフト(Howard Phillips Lovecraft)著, 大瀧啓裕訳『冷気』(“Cool Air”『ラヴクラフト全集〈4〉』東京創元社 1985 創元推理文庫 所収)

 舞台はニューヨークの安アパート。主人公は心臓の治療を頼んだことをきっかけに、真上の部屋に住む「ムニョス博士」と親しくなった。博士は一流の医療技術を身につけているにも関わらず、自室に引きこもって研究に専念している風変わりな男だ。博士によると人間の意思や意識は臓器よりも強靭なので、もしも身体が壮健で注意深く健康を保つなら、その特質を科学的に増強することによって、きわめて重大な損傷を受けた場合も、一種の神経活動を持続することができるかもしれないという。彼は「死」をくじき、根絶するための実験に生涯を費やしてきたのだ。一方で博士は常に部屋の温度を低く保つことを含む、厳格な養生を必要とする厄介な病気にかかっていた。高温が続けば致命的なことになるらしく、室内はいつも凍えるような冷気に満たされていた。主人公は何くれとなく博士の世話をするようになったが、博士の病状は一向に好転せず、精神力のみで病に抗っているように見えた。そんなある日、悲劇的な事故が発生した。室内に冷気を送り込んでいた冷房装置のポンプが故障したのである。

 魂と肉体の神秘を追求するマッド・サイエンティストの悲劇を描いた作品。巻末の「作品解題」では同様のテーマを扱ったポオの『ヴァルドマアル氏の病症の真相』(“The Facts in the Case of M.Valdemar”)から着想を得た作品として紹介されている。本作が『ヴァルドマアル氏〜』の影響下にあることは明らかだが、人物の配置やストーリーについては、著者が「高度の異次元恐怖を最も芸術的に高揚した作家」と賞賛するイギリスの小説家、アーサー・マッケンによる『三人の詐欺師』(“The Three Imposters”)の一編「白い粉薬のはなし」(“The Novel of the White Powder”)によく似ているように思う。
 本作を含めたこの溶解人間もの三作はそれぞれの作家の個性が際立った作品で、読み比べてみるのも楽しい(この三人は個人全集を揃えてる数少ない作家だったりする)。『ヴァルドマアル氏~』はポオらしいキレと凄みを備えた小品で、おぞましさにかけてはポオの作品の中でも上位に位置する。オムニバス映画『マスターズ・オブ・ホラー/悪夢の狂宴』(1990)の一編として映像化もされており、監督はゾンビ映画の第一人者ジョージ・A・ロメロ。めっちゃ適任。マッケンの『三人の詐欺師』は当初出版を拒否されたらしいが、翻訳家の平井呈一によると「白い粉薬のはなし」がキモすぎるって理由で、出版社からダメ出しを食らったのではないかとのこと。語り手が女性ということもあって、劇中に横溢する不安な雰囲気が素晴らしい。
 で、肝心の『冷気』はというと、印象に残るのは道具立てが随分と近代的なことと、著者の無邪気さだ。電気式のエアコンが発明されたのは1902年、アメリカの家庭に爆発的に普及したのは1950年代だと言われている。本作に登場する冷房装置はアンモニアなどを使用する極初期のタイプのもので、執筆当時はまだまだ一般的な家電製品ではなかった。著者はそんなアイテムを「ナマモノの保存の基本はやっぱ冷蔵冷凍だよな!」と作品のど真ん中に据えて、嬉々として(多分)本作を仕上げている。著者の作品にはあれこれ執拗に書きすぎて、勢いや雰囲気が削がれてしまっていると感じることがあるが、この作品の雰囲気は上々。冷気と香の煙と腐臭に満ちた薄暗い室内の様子が、鮮やかに描き出されている。著者は一時期ニューヨークで暮らしていたことがあり、本作はその間に執筆されている。


 ※参考(タイトルはamazonへのリンクです)
 ・E・A・ポオ著 丸谷才一他訳『ポオ小説全集〈4〉』東京創元社 1974 創元推理文庫
 ・アーサー・マッケン著 平井呈一訳『怪奇クラブ』東京創元社 1970 創元推理文庫
 ・アーサー・マッケン著 平井呈一訳『アーサー・マッケン作品集成〈2〉三人の詐欺師』沖積社 2014


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コメント

No title
こんばんはです!

死後18年ほど経過している生ける屍…じゃなくて屍の生者と化したムニョス先生。
個人的にはかなり好きなキャラクターです。

研究内容そのものはアレですが、身体の劣化に絶望しつつも、
最後まで生きること(?)を諦めようとしない姿勢がナイスです。
主人公の心臓病も治してくれますしね。

シベリアにでも引っ越して、その超医学を人類のために役立てて欲しかったものです。
…冬のニューヨークが、不死身のソ連兵に席巻されちゃうかもしれませんね…


>ヴァルドマアル氏の病症の真相
こちらは催眠術による死の進行停止や、ラストの溶解もさることながら、
死を懇願するヴァルドマアルと、蘇生を強行する主人公のやり取りが、
いくら同意の上と言えど何とも…

長寿は魅力的ですけれど、ムニョスやヴァルドマアルみたいな状態は勘弁ですね。
(特に後者は死んでないだけですし。)


Re: No title
>>なまずさん

こんばんは! コメントありがとうございます!
ムニョス博士、この人まじでいい人なんですよね。
この話のすぐ後に収録されている『彼方より』のティリンギャーストとは大違いです。
あと手紙の内容が気になりました。

それにしても『冷気』の主人公って、ほぼ見てるだけなのでもどかしいったらないです。
せめて「ポンプの予備、買っといた方がよくないですか? 」の一言が欲しかった。
手紙焼くとか余計なことはしてるんですが。

ポオは嫌な死に方を考えることに関してはハンパないですよね。
文学性云々はよく分からないけど、その点についてはわかりやすく凄い。
エスカレートするんじゃなくて、次々と新技を編み出していくところが素晴らしいです。
特に「ヴァルドマアル氏」はひどい。
懐かしいです。
「冷気」・・・高校生の時に読みました。
まさにこの文庫の初版です。まだ実家のどこかにあるかな。
No title
むかーし、講談社から出ていた『怪談2』で読んだ、凄く嫌な話でしたね。
辰巳四郎の挿絵が…
同じ本に収められていたブラッドベリの「壁の中のアフリカ」も後味がブラックコーヒーと味噌汁を一緒に飲んだくらい悪かったです。
ブラッドベリは、朝日ソノラマから出ていた、同じ児童向け怪奇小説アンソロジー『恐怖少年』に入っていた「毒遊び」も不快指数高め小説でした。

Re: 懐かしいです。
>>軍曹亭!さん

コメントありがとうございました!
もしやTRPG関連からのラヴクラフトだったりするのでしょうか。

自分はこの全集、中学の頃から買いはじめたのですが、怪獣っぽいのが出てくるのだけ摘まんで読んで、
随分長いあいだファンタジー色が強いのや、
ピラッと見てこりゃややこしそうだわって作品は華麗にスルーしてました。
後になってもっと早く読めばよかったって思うことになるんですが。毎度のことながら。

昔の本、たまに読み返すと新鮮で(忘れてて)いいですよね。
Re: No title
>>水引さん

自分は残念ながら『怪談2』『恐怖少年』って読んだことがないのですが、
「壁の中のアフリカ」はサンリオ文庫の『万華鏡』に、「毒遊び」はハヤカワ文庫に収録されてるのを読みました。
どっちも超後味の悪い話でしたが、
「毒遊び」の方がより禍々しかったような印象があります。死に様の無情な感じが何とも。

ブラッドベリの作品は描写はやたら綺麗なのに妙に重くて(怖いというより重い)、
調子いいときに読まないと、わりとまじで凹んだりします。

コメントありがとうございました!

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