倭姫宮について

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 昨年末に「倭姫命」(記・倭比売命)とやや関連するかなーというニュースがあった。奈良県天理市の「渋谷向山古墳」から葺石や埴輪列などが発見されたのだ。渋谷向山古墳は奈良県最大の前方後円墳で、宮内庁によって第十二代「景行天皇」の陵、「山邊道上陵」(やまのべのみちのえのみささぎ)に治定されている。各社の記事では景行天皇を一様に「記紀」に登場する「ヤマトタケルノミコト」(記・倭建命/紀・日本武尊)の父として解説していたが、景行天皇は倭姫命と兄妹の関係にあり第十一代「垂仁天皇」の第三皇子、第四皇女である。
 宮内庁による陵墓の治定には、根拠がかなりあやふやなことが多い。渋谷向山古墳の場合は『古事記』に「御陵は山邊の道の上に在り」(※1)、『日本書紀』に「倭国の狹城盾列陵に葬りまつる」(※2)とあり、それが治定の根拠の一つになっていると思われるが、同じ山辺の道には「崇神天皇」の陵もあって、幕末まではそっちが景行天皇陵だとされてきた。やっぱりあやふやだ。……とはいえ今回のような発掘調査の結果が薄っすら薄々でも積み上がっていくと、実在すら疑問視されるこの辺りの時代の人物が少しずつリアリティを獲得していくような気がして嬉しい。

 というわけで、念願の「倭姫宮」に行ってきました。
 続きは↓の「続きを読む」から。本殿、授与品など。



 五十鈴川の駅から御幸道路を右手に折れて内宮方面に向かう人の流れと反対の方向に、どんどんどんどん歩いて行くと(15分くらい歩きます)道路をまたいで建てられたでっかい鳥居が見えてくる。鳥居のすぐ向こう側に「神宮徴古館」「神宮美術館」という道路標識が出てるので、矢印の方に向うと「神宮徴古館」のアクセス道路の入り口である。

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 こんもりとした緑の中に倭姫宮の小振りな神明鳥居が埋もれている。車で来てたら道路の向かい側の、古くてなんかオーラのある門(神宮文庫の門だそうです)に気を取られて、確実に見落としてしまいそうだ。それでもずっと来てみたかったお宮なので感慨深かった。

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 鳥居をくぐると一瞬で世界が変わる感じ。森閑としていてまじで誰もいない。五十鈴川の駅までは大勢の観光客と乗り合わせてきたのに。すぐそばを観光バスが行き交っていることが信じられないくらい静かだった。

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 本殿。平成26年に建て替えられたばかりなのでピッカピカだ。小規模ながら清廉な佇まいは倭姫命のイメージにぴったり。現在は敷地の東側に社殿が設けられ、西側は古殿地となっている。

 このお宮のご祭神、倭姫命はだいたい3世紀の末頃に「天照大御神」の御杖代(依巫、霊媒みたいな役割)となって各地を巡幸し、現在の地に皇大神宮(内宮)を創建されたと言われている。この巡幸に関しての主要な史料には古い順に『日本書紀』『皇太神宮儀式帳』『倭姫命世記』があって、時代が下るごとにより詳細になっている。
 最も古い『日本書紀』の「垂仁天皇紀」の記述は「天照大神を豊耜入姫命より離ちまつりて、倭姫命に託けたまふ。爰に倭姫命、大神を鎭め坐させむ處を求めて、菟田の筱幡に詣る。更に還りて近江國に入りて、東美濃を廻りて、伊勢國に到る。」(※3)と実にあっさり。
 平安時代初期の成立とされる『皇太神宮儀式帳』ではかなり詳細になって、14カ所(出発地を入れると15カ所)のゆかりの地が記されている。それによると巡幸の大まかな経路は奈良県→三重県→滋賀県→岐阜県→三重県って感じで、奈良県の桜井市のあたりから岐阜県の瑞穂市まで北上、そこから鈴鹿山脈を回り込むように南下して、伊勢に到っている。なぜこのコースをとったのかは分からないが、お姫様の華奢な足では鈴鹿山脈を超えられなかったに違いない、……と想像。
 鎌倉時代に成立した「神道五部書」の『倭姫命世記』ではさらに詳細になっていて、例えば大神の鎮座地を定められて後、現在「海士潜女神社」(←前の記事へのリンクです)のある志摩半島の国崎町に船で訪れたりしている。曰く「倭姫命御船に乗給ひ、御饌御贄の處を定め、島國々崎島に幸行し、朝御饌夕御饌と詔て、湯貴潜女とも定め給ひて、還り坐します時に、神堺を定め給ひき。」(※4) 他にも『儀式帳』にはない複数の伝承地が記されているが、これは各地の伝承を整理し、伊勢との関連付けを強固にする目的で追記されたものとも考えられる。そのため『倭姫命世記』については、歴史史料として扱われないことが多い。
 この倭姫命の巡幸は、神宝を手にしたお姫様が少数のお供を連れて、へとへとになりながら各地を回ってるイメージなんだけど、『倭姫命世記』や『風土記 逸文 伊勢国』の記述からは「五太夫」(※5)をはじめ結構な数のお供を連れてるらしきニュアンスが感じられる。そこでこの巡幸が朝廷の勢力拡大を意図したものではなかったか、と政治的に解釈されたりもする(※6)。「進軍」といった体で、妄想のイメージとは随分異なっている。

 また倭姫命にはもう一つ「記紀」の英雄「日本武尊」のメンターとしての重要な役割がある。子供の頃、確か小学館の「オールカラー版 世界の童話」で読んで、非常に印象的だったくだりだ。
 斎王は約660年のあいだ、国家最高位の巫女として天皇に代わって伊勢神宮に仕えたってことになってるけど、霊的に強力すぎる皇女を中央からさりげなーく遠ざける制度だったのではないかとも言われている。だとすると父天皇から疎まれ(記)遠隔地の蛮族の討伐にこき使われた日本武尊が、叔母にあたる倭姫命にとことん頼りきっていたことも心情的にしっくりとくる。倭姫命に自らの境遇を重ね合わせていたのだろう。叔母から与えられた「クサナギノツルギ」(記・草那芸之大刀, 草那芸剣/紀・草薙剣)を手放した途端にその命運が尽きてしまうのも、霊的なバックアップを失ったからではなかったか。
 もともと常人離れした印象の倭姫命だが、後世の伝説になるほどその設定がエスカレートしていってるようで(※7)、『諸社根元記』には「倭姫命也化現ノ人也 箱ノ中ニ小虫アリ 其ヲソタテ給ヘハ倭姫也 此姫壽量七百餘歳也」(※8)とある。化現の人ってのはともかく、小虫? 700余歳?

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 授与品「剣祓」と「守祓」。宿衛屋では御朱印もいただくことができます。

「伊勢神宮」は「内宮」の「皇大神宮」と「外宮」の「豊受大神宮」をはじめ、別宮、摂社、末社、所管社を含めた125の宮社の総称である。そのうち別宮は内宮に10所、外宮に4所が所属している。この倭姫宮は内宮に所属する別宮の中で最も新しく、上記のような「大きなご功績をお示しになられた命の御徳をお慕いして」(※9) 大正12年に創建された。

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 すぐそばにある「神宮徴古館」(※10)。めっちゃ立派な建物。隣には日本最古の産業博物館「農業館」がある。ともに国の登録有形文化財に指定されている。今回は外から眺めただけだけ。今度来るときは絶対に入館したい。徴古館には神宮にゆかりの品々が、農業館には皇室の御下賜品をはじめ、多様な農林水産資料が展示されている。この倭姫宮、神宮徴古館、農業館、美術館、神宮文庫等のある美しく整備された一帯は「倭姫文化の森」って呼ばれてるらしい。

 例によって時間がなくて、ゆっくりとあちこち見て回ることができなかったが、念願の倭姫宮にはやっとお参りすることができた。次の目的地は岐阜県瑞穂市居倉の「伊久良河宮跡」(天神神社)。楽しみ。


 ※1.『日本古典文学大系〈1〉古事記 祝詞』倉野憲司, 武田祐吉校注 岩波書店 1958 p320
 ※2.『日本古典文学大系〈67〉日本書紀 上』坂本太郎, 家永三郎, 井上光貞, 大野晋校注 岩波書店 1967 p320
 ※3. 同上 p269
 ※4. 国立国会図書館 近世デジタルライブラリー『国史大系 第七卷 神道五部書 倭姫命世記』p491 259/484
 ※5. 垂仁天皇より「神祇を禮祭ひたまふ。」と命ぜられた「阿部臣の遠祖武渟川別」「和珥臣の遠祖彦國葺」「中臣連の遠祖大鹿島」「物部連の遠祖十千根」「大伴連の遠祖武日」の五人の有力な武将(紀)。
 ※6. 参考 所巧『伊勢神宮』講談社 1993 講談社学術文庫
 ※7. 参考 朝倉治彦, 井之口章次, 岡野弘彦, 松前健編『神話伝説辞典』東京堂出版 1963
 ※8. 国文学研究資料館 電子資料館 大和文華館所蔵『諸社根元記』BID100085038 6/205
 ※9. 伊勢神宮のサイトより → http://www.isejingu.or.jp/index.html
 ※10. 神宮徴古館、農業館のなどの総合サイト「神宮の博物館」→ http://museum.isejingu.or.jp
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