手塚治虫『空気の底』

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 手塚治虫『手塚治虫漫画全集 MT264 空気の底』講談社 1982

 大人向けの連作短編集。アイロニカルでキレのある14の短編が収録されている。SF、怪奇寄りの作品が多いのは喜ばしいのだが(そうじゃないのもある)、作品に描かれているのは「人間の愚かさ」とかそういう感じのことなので、その辺は好みの分かれるところ。ちなみに著者は「あとがき」の中で「この短編のどれもが大好きなものです。それぞれに熱をこめ、工夫をこらして書きあげたつもりです。優にひとつひとつが長編になり得る要素をもっています」と記している。こんな感じの絶賛は結構珍しいのではないだろうか。

 粒揃いの作品の中から下に挙げた2編には、前に感想を書いた『サンダーマスク』(←前の記事へのリンクです)と同じ趣向で、「手塚治虫」が主人公(狂言回し)として登場する。

『うろこが崎』
 ずっと昔、不義をはたらいた網元の妻と村の若者が、揃って「うろこが崎」の穴に放り込まれた。穴は深く狭く、底には海水が溜っている。村の誰もが二人の死を確信して救出を諦めた。それから数年後、たまたま穴に釣り糸を垂らした村の子供が、人間サイズの魚を2匹も釣り上げた。それはあの二人の成れの果てであった。漫画家「手塚治虫」がぶらりと訪れた小島の漁村にはそんな口碑が伝わっていた。「うろこが崎」は村で唯一の名所で、くだんの穴には網元の妻の名が付けられている。
 村が豊漁に賑わうなか、思いもよらない事故が発生した。うろこが崎の穴に男の子が落ちたのである。たちまち村は大騒ぎになった。近隣の港からはボウリング技師が招聘され、事故を聞きつけたマスコミが大挙して詰めかけた。そんな騒動の最中、手塚は陸揚げされた魚に異常を見出していた。海に毒性のある化学薬品が流出しているらしい。それをマスコミに発表しようとする手塚だったが、誰にも相手にされない。ところが一週間後、ようやく救出された男の子の姿は……。

 お手本のような短編でめっちゃ感想が書き辛い。小さな島に伝わる素朴な伝説が、予期せぬ形で現代に繰り返される。様々なジャンルに同じタイプの物語を見出すことができるが、人間の欲や傲慢さがその現象の引き金になっているところが著者らしい。
 作品の舞台は「南紀州のある小島」ってことになっている。かなりいかがわしい雰囲気の島だ。民宿の食堂の前を村の女房たちがうろうろして客に顔見せをする。彼女たちは夫の出漁中、旅行客相手に春をひさいでいるのだ。この島、当然架空の島なんだろうけど、劇中に描かれる業態が都市伝説っぽく有名な三重県の島を彷彿とさせる。現在では簡単にネット上で島の情報を得ることができるが、かつてはまじで神秘の島だったらしい。ためしに1970年刊行の地誌『鳥羽志摩新誌』の項目を見てみると「女護ケ島の名で知られているので、男性客が多いようである」(※)なんて書いてある。当時は関西方面でとくに知名度が高かった(旅行客の多くは関西方面から訪れた)というから、関西出身の著者にはこの島のイメージがあったのかもしれない。それからこれ書いてて思い出したのだが、志摩半島のある埠頭で特定の日時に車のヘッドライトを明滅させて合図を送ると、沖から迎えの船が来て、一夜限り超賑わう離島へと連れて行ってくれる、なんて噂話を現地の知人から聞いたことがある。やっぱ離島には独特の魅力があるな。


『ロバンナよ』
 漫画家「手塚治虫」は科学者で大学時代の悪友「小栗」が妻と二人で暮らす南伊豆を訪れた。ところが小栗の家には彼の妻の姿が見当たらない。病気で臥せっているのだという。寂しさを紛らわすためか、小栗はよく懐いたロバを一頭飼っていた。名は「ロバンナ」。雨に降られて泊まることになった手塚は、真っ暗な家の中を夢遊病患者のように歩き回る小栗の妻を目撃する。彼女は台所から包丁を持ち出し、やにわに眠るロバンナに突き立てようとした。おそらく精神に異常をきたしているのだろう。
 手塚は夫婦から個別に彼らの抱える事情を聞かされることになる。妻によると小栗は人間よりも動物に激しい愛情を抱く不能者で、彼女はずっと閉じ込められてきたのだそうだ。ここから連れ出してほしいという。続いて小栗が打ち明けたのは、彼の発明したある装置にまつわる話だった。実験中の事故に巻き込まれて、妻とロバの精神が入れ替わってしまったというのだ。荒唐無稽なようだが、手塚はその装置を目の当たりにしている。あのロバには彼の妻の精神が宿っているというのか……。

 ロバと科学者夫妻の手塚版変態『藪の中』。この短編集『空気の底』を初めて読んだのは中学生になるかならないかの頃で、なんかこの本重いし暗いなーと思いつつ読んでたんだけど、裸の妻をロープに繋いで四つん這いにさせるp.256の一コマには、トラウマレベルの鬱エロさを感じた。今見るとそうでもないんだけどなー。いや、そうでもないこともないかな……。とにかく小中学生に獣姦を匂わせる描写はキツかった。『藪の中』だけにモヤモヤした読後感が残るが、それよりもインパクトが強いのは変態っぽい描写という作品。SF的なガジェットは大道具の一つって感じの扱い。


 ※中岡志州編『鳥羽志摩新誌』1970 中岡書店 p.367



『手塚治虫漫画全集 MT264 空気の底』
 講談社 1982
 著者:手塚治虫

 収録作品
 『ジョーを訪ねた男』
 『野郎と断崖』
 『グランドメサの決闘』
 『うろこが崎』
 『夜の声』
 『そこに穴があった』
 『カメレオン』
 『猫の血』
 『わが谷は未知なりき』
 『暗い窓の女』
 『カタストロフ・イン・ザ・ダーク』
 『電話』
 『ロバンナよ』
 『ふたりは空気の底に』

 ISBN-13:978-4-0617-3264-3
 ISBN-10:4-0617-3264-1


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Posted byserpent sea

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