柴田錬三郎『幻の魚』

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 柴田錬三郎『幻の魚』(『日本幽霊譚』文藝春秋 1968 所収)

 作りものではないリアルな怪談話はないものかと思い倦ねて、気分転換に夜のドライブに出た著者が、馴染みのハイヤーの運転手から聞いたのがこの話。運転手は以前(劇中の時点で30年ほど前)、札幌の鉄道郵便局に通信事務員として勤務しており、鉄道郵便車に乗って北海道をくまなく廻っていたらしい。この話は若かりしころの運転手が、北海道の増毛(ましけ)に逗留した際の出来事である。彼はその町の旅館の女中に恋をしたのだった。

 増毛はニシン漁で大いに栄えた歴史のある町で、劇中ではすでにニシンはとれなくなっているのだが、それでもまだ往年の好景気を窺わせるような描写がちらほらある。そこで北海道の増毛郡増毛町をストリートビューで見てみたところ、近年整備されたのか道幅の広い整然とした印象の町だった。高い建物が全然見当たらないので空が広い。さすがにストリートビューで見てるだけはかつての雰囲気は感じられないが、町並みに溶け込むように点在するクラシックな建物が目についた。なかでも駅前の「富田屋」は、劇中の旅館もこんな感じなのかなって佇まいだ。町内には北海道遺産に選定された建物が何棟もあるのだとか。それから全然知らなかったんだけど、増毛は高倉健の主演映画『駅 STATION』(1981)のロケ地になっていて、それで一時かなり有名になったらしい。

 運転手が恋をしたのはお京さんという17歳の少女だった。かつてニシン漁で富み栄えた彼女の実家は、ニシンがとれなくなると財産をすべて失い、それでも再起を疑わなかった父親は「幻の魚」を5年間待ち続け、あるとき沖に出て二度と帰らなかったという。その後一人になってしまった彼女は、伯父の経営する旅館に雇われることになり、そこで運転手と知り合ったのだった。運転手は彼女を映画に誘い、さんざん逡巡したあげく思いを告げられずに町を後にした。次に彼が増毛を訪れたのは二ヶ月後のことである。ところが肝心のお京さんが見当たらない。といっても羞恥心が邪魔をして、誰かに尋ねることもできない。やがて運転手はふらっと現れたお京さんに誘われ、彼女の荒れ果てた生家へと赴いたのだった。

 牡丹灯籠系のシンプルな筋立てで、この作品が実話怪談とするなら、昨今の実話怪談に見られるガンガンくるような怖ろしさはない。しかし衰退していく北の町と、そこに影絵のようにうごめく人々の雰囲気は素晴らしく、きごちない恋とそれにまつわる怪異を盛り上げている。ヒロインのお京さんは、運転手が「私は、ぱっとはなやかな顔だちとか、今日でいうグラマーなどは、好きではなく、日かげでそっと咲いている小さな花のような、哀愁を含む、といいますか、そんなさびしい翳のある女性に、私は、あこがれて居りました」(p.20)と語る通りの、線の細い大人しい女の子だ。そんなキャラが無念な思いをさらけ出すクライマックスは、怖いというよりも切なかった。


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Posted byserpent sea

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