海士潜女神社について

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 日曜日、三重県志摩半島の最先端に位置する町、国崎町の「海士潜女神社」にお参りしてきた。今回は所用あってのことだったけど、先月の明日香村に続いて、珍しく2ヶ月連続で遠出することになった。場所はこちら↓



 由緒書き↓

 海士潜女(あまかづきめ/(あまくぐりめ))神社

主祭神 潜女神(かづきめのかみ) ほか二十七柱

古くは鎧崎(よろいざき)に鎮座し海女御前(あまごぜん)と呼ばれていました。
伝承によると、約二千年前、垂仁天皇の皇女倭姫命(やまとひめのみこと)が、皇大神宮御鎮座ののち神饌を求めて志摩の国を巡られていたとき、国崎の海女(伝説の海女「お弁(べん)」)が差し出した鰒(あわび)をたいそう喜ばれ、国崎神戸(くざきかんべ)として御贄処(みにえどころ)とし、国崎に「湯貴潜女(ゆきのかづきめ)」を定められました。国崎神戸と定められてから、毎年神宮の神饌(しんせん)として熨斗鰒(のしあわび)を奉納しています。
明治二年海士潜女社(あまかづきめしゃ)と改められました。
明治三十九年、剱宮社・白鬚大明神・八雲神社ほか十一社を合祀しました。明治四十年に神明社・熊野社ほか一社を合祀し、海士潜女(あまかづきめ/(あまくぐりめ))神社と改称しました。神明社以下の村内の神々をここに全て合祀して以来、国崎の氏神様と崇められ、その後、昭和九年に鎧崎より現在の宮の谷へ遷祀して今日におよんでいます。
潜女神(かづきめのかみ)を主祭神とする神社は全国で一社だけで、地元の海女をはじめ、日本中のダイバーら海に関わる方々の信仰を集めています。

 大祭  祈年祭・梼祭 二月二十四日
     例大祭    七月一日
     二船祭    十一月二十三日
           (二十一日から二十四日)

 藻場まもる 国崎の海女ら 晴ればれと
            得し海幸を われに示せり
                  秋篠宮妃 紀子
                  平成一六年宮中歌会始にて詠まれる


 上記の由緒書きに出てくる倭姫命(記・倭比売命)は、学術上実在した可能性が見込める最初の天皇とされる崇神天皇の皇子、第11代垂仁天皇の第4皇女で、大和国から諸国を巡り伊勢の国に伊勢神宮を創建した。甥にあたるヤマトタケルノミコト(記・倭建命/紀・日本武尊)の西征、九州の熊襲建兄弟の討伐の際には女性の衣装を、東征の際にはクサナギノツルギ(記・草那芸剣/紀・草薙剣)を授けたとされる、記紀の登場人物のなかでも屈指の人気キャラだ。伊勢神宮のwebサイト(※)によると、神宮を創建した倭姫命はさらに「神嘗祭をはじめとする年中の祭りを定め、神田並びに各種ご料品を奉る神領を選定し、禰宜(ねぎ)、大物忌(おおものいみ)以下の奉仕者の職掌を定め、斎戒(さいかい)や祓(はらえ)の法を示し、神宮所属の宮社を定められるなど、神宮の祭祀と経営の基盤を確立されました」とある。
 この「各種ご料品」のなかの一品が国崎の「熨斗鰒(のしあわび)」で、アワビをリンゴの皮のように薄く剥いて天日で乾燥させ、独特の方法で束ねたもの。国崎の鎧崎にある「御料鰒調製所」にて現在も調製されている。かつては伊勢の河﨑まで船で運んでいたのだそうだ。ちなみに「のし袋」の「のし」の起源はこの国崎の「熨斗鰒」である。

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 由緒書きのなかの「お弁(べん)」(この神社に祀られている伝説の海女)のくだりは鎌倉時代に成立した『倭姫命世記』を典拠に、国崎の口碑を参考にして作成されているようだ。前に感想を書いた岩田凖一著『志摩の海女』(←前の記事へのリンクです)には当地に伝わる同様の口碑のバリエーションがいくつか紹介されていて、なかには命が二度国崎にお越しになったなんて話もあった。『志摩の海女』は昭和14年に書かれた本だが、今でも国崎町のお婆さんにそれとなく話を振ってみると、滔々と「お弁」と倭姫命の話をしてくれるのでちょっとびっくりしてしまう。神宮への熨斗鰒の奉納と、紀子さまの歌に詠まれたこと(上記由緒書きの最後のところにある)を皆誇りに思っているらしい。

 志摩の歌というと『万葉集』に「嗚呼見の浦(あみのうら)に舟乗りすらむ娘子(おとめ)らが玉裳の裾に潮満つらむか」(1・40)という歌がある。これは持統天皇6年(692年)の伊勢への行幸の際に、都で留守番していた柿本人麻呂が裳の裾を濡らして舟遊びをする乙女らに思いを馳せて(妄想して)詠んだ歌である。この「娘子(おとめ)ら」はおそらく女官で、倭姫命はさすがに彼女たちのようにキャッキャウフフしてはないだろうけど、磯の岩に腰掛けて海女からアワビを受けとる倭姫命の姿を想像すると、なんかこうぐっとくるものがある。
 今回は本当に時間がなくて、上記の「御料鰒調製所」や「倭姫命巡行旧跡の碑」のある鎧崎へ行くことができなかった。志摩半島にはこのほかにも興味深い史蹟が数多くある。次の機会には準備万端整えて、じっくり見て回りたいと思う。


 ※伊勢神宮のサイト。倭姫命についても詳しく言及されてます。→ http://www.isejingu.or.jp/
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Posted byserpent sea

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