ナタン・ワシュテル『神々と吸血鬼』

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 ナタン・ワシュテル(Nathan Wachtel)著, 齋藤晃訳『神々と吸血鬼 民族学のフィールドから("Dieux et vampires")』岩波書店 1997

 軽い気持ちで読みはじめたら、予想外に叙情的な内容でちょっと凹んでしまった。本書には伝統文化や信仰と引き換えに、西欧文明とそれと不可分な宗教を受け入れた伝統的なコミュニティが、変容、解体する過程と、その副作用でのたうちまわっている様子が克明に記されている。著者はアンデスの歴史学と民族学を専門にするフランスの研究者で、ボリビアの先住民「チパヤ」のコミュニティを断続的に訪れ、1973年から10年に及ぶフィールドワークを展開した。本書は1989年、著者が補足調査のため、再びチパヤを訪れたところからはじまる。

 著者が久しぶりに目にしたチパヤは、急激な近代化にともなう貧富の差と宗教的な対立によって、伝統的なコミュニティが破壊されつつあった。1960年代以降、チパヤにはキリスト教系の三つの新宗派が入り込み、それに改宗した人々と、伝統的な慣習を遵守する人々とのあいだに、宗教をめぐる深刻な争いが続いていた。新宗派に改宗した人々は、伝統的な慣習を偶像崇拝とみなし、それを遵守する人々を「異教徒」と呼んだ。こうした状況を背景に「吸血鬼事件」が発生する。

事件は、アンデス地方の最も恐ろしい強迫観念のひとつ、カリシリにまつわるものだった。カリシリ(リキチリとも呼ばれ、ペルーではナカフ、またはピシュタコと呼ばれる)とは、多かれ少なかれ架空の存在で、人気のない道で、または夜間家の中に忍び込んで、さまざまな粉薬を使って犠牲者を昏睡状態に陥れ、意識を失っているうちに、その脂肪を(または近年の伝承によればその血を)抜き取るといわれている(p.60)


 この事件で告発された村人は、著者の友人で有力な情報提供者だった。もちろん事件そのものの発端はデマに過ぎなかったのだけれど、告発された村人に対する仕打ちは苛烈を極めた。著者は事件の経緯と発生の原因を解き明かすべく調査を開始する……というのが本書の概要なんだけど、在りし日のチパヤに対する著者の思い入れが濃密すぎて、読んでて切なくなってしまう。著者はチパヤに流入した西欧の文明が、伝統的な慣習や信仰を破壊していくのを目の当たりにして、やるせない思いに終始捕われている。著者自身もまたそんな西欧文明の尖兵の一人なのだ。

 このカリシリという吸血鬼、歴史資料のなかではまれにしか言及されないらしいが、数少ない類例のひとつを十六世紀後半の資料に見出すことができるという。スペインの侵攻直後、中央アンデスの先住民のあいだに発生したパニックがそれだ。周知のように西欧の吸血鬼事件の背景には、多くの場合キリスト教の存在がある。というか表裏一体って感じだ。しかし本書で取りあげられたケースと考えあわせて、疫病や宗教とともに南米に持ち込まれたとするのは少々短絡的な気がする。

 災害や戦争のあとに不吉な流言蜚語が飛び交うことはよく知られている。情報の空白を埋めるためとも、人々が立ち直ろうとする際の瘡蓋のようなものだとも言われている。本書でカリシリというキャラを知って最初に連想したのは、以前知人から聞いた「血抜き」という敗戦直後の日本に現われたマイナー怪人だった。血抜きは下校途中の子供をさらっては注射器で血を抜き、売血で生計を立てているといわれていた。当時子供たちは血抜きが出没すると噂される地区を、鞄の蓋を押さえて駆け抜けた。蓋の金具の金属音を聞きつけて、物陰から血抜きが現われるのを怖れたからだという。

 ここには宗教的な背景は見られない。町を焼かれ長期間にわたる戦争に疲弊した民族の姿があるばかりだ。原因は違えど、チパヤの住民が置かれていた状況と非常によく似ているように思う。宗教との関係の有無に関わらず、民族に危機が訪れたとき、吸血鬼はその姿を現わすのかもしれない。



『神々と吸血鬼 民族学のフィールドから』("Dieux et vampires")
 岩波書店 1997
 著者:ナタン・ワシュテル (Nathan Wachtel)
 翻訳:齋藤晃

 ISBN-13:978-4-0000-2822-6
 ISBN-10:4-0000-2822-7
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