『今昔物語集 巻第十七 本朝 付佛法』より「第四十五」吉祥天女像にムラムラした話

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『今昔物語集 巻第十七 本朝 付佛法 吉祥天女攝像奉犯人語 第卌五』(山田孝雄, 山田忠雄, 山田秀雄, 山田俊雄校注『日本古典文学大系〈24〉今昔物語集 三』岩波書店 1961 所収)

「多淫の人は、畫ける女に欲を生ず」(※1)

 この説話には元ネタがあって『今昔物語集』よりも成立が300年ほど古いとされる日本最古の説話集『日本霊異記』に、ほぼ同じ内容の話が載っている。冒頭の一文はその『日本霊異記』の中巻の第十三「愛欲を生じ吉祥天女の像に戀ひ、感應して奇しき表を示す縁」の結びのなかの一文で、そのまんま「エロい奴は、絵に描いた女にもムラムラする」って感じの意味。今日では、え、普通じゃんって気もするけど、仏教の教えのなかの言葉ということで、きっと厳しめなんだと思う。禁欲生活してるし。それに春画の歴史は『日本霊異記』が成立したとされる平安時代まで遡るらしいから、そういう嗜好の人が当時も戒めなければならない程度にはいたのかもしれない。まぁ最近では「絵に書いた女」どころか「絵に書いた人形」を見てぐっとくるという、なんだかわけの分からないことになっているんだけど(←金糸雀が好きです)。12世紀頃にまとめられた『古本説話集』のなかにも、この説話にさらに肉付けをして新たにオチを加えたような話が載っているのだけど、長くなりそうなのでまた別の機会に書きます。以下意訳文です↓

『吉祥天女の攝像を犯したてまつれる人の語 第四十五』

 今は昔、聖武天皇の御代、和泉の国、和泉の郡の血淳上山寺に、吉祥天女の攝像(※2)がましました。当時、信濃の国から縁あってその国にやってきた男があった。その山寺に赴き、吉祥天女の攝像を目にした途端、たちまちに欲情し像に心を奪われてしまった。朝から晩までそれを慕い切なく思い、常に願うは「この天女のように、姿形の美しい女を、われに与えたまえ。」

 後に男は、夢のなかでかの山寺へ行き、天女の攝像と交わるのを見て目覚めた。「不思議だな」と思いつつ、明くる日山寺に行って天女の像を見てみると、像の下半身にまとった衣服の腰のところに、汚らしい精液の染みができている。男はそれを目の当たりにすると、過ちを悔い嘆き悲しんでこう言った。「天女の像を見て欲情し『天女のような女を与えて欲しい』と願いはしたものの、かたじけなくも天女自身が交わらせてくれるとは恐れ多い。」そしてこの出来事に恥じ入って、けっして他人に語ることはなかった。

 ところがその男の身近な弟子(※3)がそれを盗み聞きしていた。後に師である男に無作法を働いて、放逐されると里を離れ、ほかの里にいたると師を誹り、前述の出来事を語った。人がそのことを聞きつけて師のもとへと赴き、その真偽をただすべく、天女の像に精液が付いたあの一件について尋ねると、師は隠し通せずにすべてをつぶさに語った。人はみなそれ聞くと「珍しいこともあるものだ」と思った。まことに心の底からそう思ったからこそ、天女は顕現されたのであろう。これはとても珍しいことである。

 以上のことを考えてみると、例え好色なやからが好きな女にムラムラしたとしても、むやみにその思いを口にするべきではない。これはまったく意味のないことだと語り伝えられている。


 羨ましいわ! ってのはさて置き、「ギリシア神話」のピグマリオンを連想させる説話だ。「ギリシア神話」では女神アフロディテ(ヴィーナス)に祈ったところ、ピグマリオンが精魂込めて作り上げた大理石の女人像が受肉して、それを娶ってめでたしめでたしとなるわけだけど、その際にアフロディテには「あの若い男は、ほんとうは自分でつくったあの像だけがすきなので、この世の女では、どんなに似ていても、愛することはできないのだ」(※4)なんて看破されている。さすが愛の女神、そういう機微に長けている。『今昔物語集』の吉祥天は心情がまったく描写されてないけれど、知らん顔して澄ましてるのに、どことなく抜けてるようなところがあって可愛らしい。遡れば吉祥天はヒンドゥー教の愛の神、カーマの母親である。

 それにしても「しのぶれど」なんていってるわりに、平安時代のあけすけな表現はおもしろい。この説話もなんとなくロマンチックな雰囲気がしないでもないのに、肝心の物証が腰のあたりにべったり染み込んだ「精液」。色に出し過ぎである。『今昔物語集』をはじめ様々な説話集には、この話よりももっとどぎつい話や露骨な艶笑譚が沢山載っている。こうなってくると本格的なエロ説話集なんかがありそうなもんだけど、色々探してみてもコレっていうものが全然見あたらない。見当たらなすぎてyahoo!知恵袋で質問しようかと思ったほどだ。でもよくよく考えてみると、そのあけすけさからしてエロさは区別の対象ではなかったのかも知れない。その結果、エロい話は数多くの説話集のなかにバラバラに混入して、今日見られるような形に収まったんじゃないかと思う。

 ※1.『日本古典文学大系〈70〉日本靈異記』遠藤嘉基, 春日和男校注 岩波書店 1967 p215

 ※2. 木や針金で作った骨組みに縄や麻を巻き付け、その上から粘土で肉付けした像。なんだかフィギュアっぽい製法だけど、奈良時代から木彫が主流になる平安時代にかけて、仏教彫刻に盛んに用いられた技法。

 ※3. 男(原文では「俗」)は上記の出来事がきっかけになったのか、いつの間にやら出家して弟子までとっている。頭注には「もとはそのような部分の記述を備えていたのではなかろうか」(p.570)とある。『日本霊異記』では最初から「優婆塞(うばそこ)」、山伏など半僧半俗の在家の男って設定でより矛盾がない。

 ※4. 山室静『ギリシア神話』社会思想社 1962 現代教養文庫 p.183

 ※上記『今昔物語集』の意訳文は、主に頭注を参考にしてまとめましたが、解釈などに間違いのある可能性が大いにあります。超意訳です。またごちゃごちゃと書いてある文章には、定説ではない独断や思い込みが多く含まれていて、引用文以外に資料的な価値はありません。あくまでも感想文ということでご了承ください。

 ※関連記事です↓P・メリメ『イールのヴィーナス』
 http://serpentsea.blog.fc2.com/blog-entry-153.html


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