H・P・ラヴクラフト『ピックマンのモデル』

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 H・P・ラヴクラフト(Howard Phillips Lovecraft)著, 大瀧啓裕訳『ピックマンのモデル』("Pickman's Model"『ラヴクラフト全集〈4〉』東京創元社 1985 創元推理文庫 所収)

『ピックマンのモデル』はラヴクラフトの著作の中でも、かなりメジャーな作品だと思う。新進気鋭の画家と、彼のおどろおどろしい作品群にまつわる、よく整理された読みやすい構成の物語で、取り扱われているのはゴシック小説に出てきそうな、地下道に潜む「屍食鬼」。本作が発表された1926年には、後にクトゥルフ神話に組み込まれる、コズミック・ホラーの系統の作品はすでに書かれていたんだけど、本作はそういった「ラヴクラフトと言えば……」って感じの作品とは少々趣を異にしていて、よりクラシックな雰囲気の作品となっている。

 この作品を読み返すたびに「つい悲鳴をあげてしまい、卒倒するのを防ぐために、戸口にしがみつかなければならない始末だった」(p.134)というような、見ただけで倒れそうになる絵って一体どんなだろうと思う。「どういう絵だったかは、とても口ではいえないね」(p.131)なんて言いながらも、ラヴクラフトらしく積み重ねられる描写のおかげで、ゴヤの『我が子を食らうサトゥルヌス』("Saturno devorando a un hijo" 1819-1823)に似た傾向の絵らしいというのは分かる。それでも信仰の違いか、想像力が追いつかないからか(多分後者)、小説に出てくる「絶世の美女」がいつも曖昧なのに似て、ろくなイメージが脳内に結ばない。
 しかし考えてみれば、映像や漫画でででーんとこれらの絵を見せられて、そのうえ分かりやすく目眩を起こしてる人物なんかが出てきたりしたら、きっとものすごく安っぽく感じてしまうに違いない。実際いくつかのホラー映画(本作とは関係のない)から、そんな印象を受けたこともある。こうした作品が成立するのは、小説ならではのことなのかもしれない。

 絵画については「家族の多くがそうであったように、わたしも絵を描ければいいのですが、描けないのです」(※1)とラヴクラフト自身が述べている通り、描く方はさっぱりだったようだが、見る方に関しては一家言あったらしく、作中で語られる絵画論は彼自身の持論のようだ。著者のディレッタンティズムが発揮されていてとても興味深い。また母親や叔母が生前に描いた多くの絵を大切に保管していて「わたしはできるだけ長いあいだ、すべての絵を壁にかけようとしています」(※2)とも記している。

 ラヴクラフトは裕福な家庭で、家族の古い蔵書や絵画や望遠鏡など諸々のお気に入りの品々に囲まれ、とても甘やかされて育ったという。青年期に神経症などの理由から社会へのエントリーに躓いて以降は、コンプレックスとともに幼少時に愛した品々を抱えて、彼の作中の人物そのままのような隠遁生活に入る。そして後生大事に手元に置いていたそれらの品々は、後に発表される作品のなかに、なくてはならないアイテムとして登場する。読者は暗い夢を思い描いた著者の青年期を追体験するかのように、ときにやや子供っぽい印象さえ受ける彼の愛したガジェットの数々を通して、遠大な妄想へと誘われるのだ。

『ピックマンのモデル』はラヴクラフトの作品を愛好する人にとっては、きっと大好きな話のひとつに違いないだろうし、初めて著者の作品に触れるという人にもおすすめできる作品だと思う。


 ※1. H・P・ラヴクラフト著, 大瀧啓裕訳「資料:履歴書」(『ラヴクラフト全集〈3〉』東京創元社 1984 創元推理文庫 所収 p.310-311)
 ※2. 同上 p.314


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