『今昔物語集 巻第二十七 本朝 付霊鬼』より「第十三」安義の橋の鬼について

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『今昔物語集 巻第二十七 本朝 付霊鬼 近江國安義橋鬼、噉人語 第十三』(山田孝雄, 山田忠雄, 山田秀雄, 山田俊雄校注『日本古典文学大系〈25〉今昔物語集 四』岩波書店 1962 所収)

『今昔物語集』には数多くの「鬼」にまつわる話が収録されているから、代表的な「鬼」といってもどれを思い浮かべるかは人によって様々だと思う。個人的には「巻二十 染殿の后、天狗のために嬈乱せられたる語 第七」、学校で習った「巻二十七 内裏の松原にして鬼、人の形となりて女を食める語 第八」、それからこの「巻二十七 近江の国の安義の橋なる鬼、人を喰らえる語 第十三」の三つのエピソードがとくに印象深い。

 以前ちらっと書いたように、この「安義の橋の鬼」は『アギ 鬼神の怒り』(1984)という映画にもなっている。タイトルこそヴェルナー・ヘルツォークの『アギーレ・神の怒り』(1972)のパロっぽいけれど、中身は低予算(多分)ながら平安の雰囲気満点の見応えのある映画で、美術はなんと日野日出志。特殊メイクブームのまっただなかに製作されたこともあって、ピクピク動くザクロのような鬼のメイクが強く印象に残っている。

 そんなわけで『今昔物語集』のなかでもとくに怖い「鬼」の話。続きは下の「続きを読む」よりどうぞ。長いです。


『近江の国の安義の橋なる鬼、人を喰らえる語 第十三』

 今は昔、近江の守、□の□という人が、その国に在任していたときのこと。館には若く元気のいい男たちが大勢いて、昔や今の物語に花を咲かせ、碁やすごろくを打ち、様々な遊びに興じては、ものを食い酒を飲んでいる。そんなとき「この国の安義の橋(※1)は、かつては人が往来していたのに、どういう謂れがあるのか「誰一人として無事に通れたためしがない」なんて噂が広まって、今では誰も通らなくなってしまったそうだ」と一人が言えば、かねてから腕に覚えのある者が、あの安義の橋のことなら本当のこととは思えない「俺ならその橋を渡ってやるんだがな。どんな鬼が出てきたって、この御館の一番の名馬の鹿毛に乗れたなら、必ず渡ってみせるぞ」などと言い出した。

 それを聞いた他の者たちが一斉に「それいいねぇ、なんか妙な条件つけてるから(※2)、噓か本当かは分からないけど、お前の根性見せてくれよ」とはやし立てたものだから、男はどんどんいらついて喧嘩腰になりはじめた。

 そんな風に激しく言い争っていると、守がそれを聞きつけて「一体なにを騒いでいるのだ」と問われたので、「かくかくしかじかでございます」と異口同音に答えた。すると守が「なんともつまらないことで争っているものだな。馬などすぐに貸してやるぞ」なんて言うものだから、男は「ばかばかしいおふざけでございます。痛み入る次第です」と言う。他の者たちが「今になって逃げ腰になるなんて見苦しいぞ、卑怯だぞ」とはやし立てると、男が言うには「いや橋を渡ることが難しいわけじゃない、まるで御馬を欲しがってるようで申し訳なかったのだ」。それでも他の者たちは「日は高いぞ。遅い遅い」と、馬に鞍を置いて引き出してくる。男は胸が□るような思いだったが、今さら吐いた唾は飲めない。馬の尻に油をたっぷりと塗り込め、腹帯を強く結ぶと、鞭の紐の輪にしっかりと手を入れて、軽やかな装束で馬の背に揺られて行く。するとあっというまに橋のたもとに行きかかった。胸は□れてどうにかなりそうなほどに怖ろしかったが、逃げ帰るわけにもいかず仕方なく進んだものの、日は山の端に近く心細いったらない。あたりの様子はといえば、人影はなく、里も遠く、家々は遥か彼方に霞んでいる。堪え難く思いながらも進んで行くと、橋の半ばばかりのところに、遠くてはっきりとはしないけれど人がいる。


 ※ □は欠字。

 ※1. 頭注に「近江国蒲生郡に安吉郷があり、同郡の鏡山村に橋本の名がある。倉橋部村に安吉川・安吉橋がある。日野川にかかっていた橋か。国府は瀬田にあり、この橋まで約六里(24キロメートル)」(p.492)とある。近江国は今の滋賀県。
 ※2. 他も怪しいけど、ここの訳はとくに怪しいです。「直ク可行キ道ヲ、此ル事ヲ云ヒ出テヨリ横道スルニ」(p.492)

 ここまでが調子にのった男が、うっかり口を滑らせて、鬼の出る橋まで行くことになった経緯。館でヒマをもてあましている登場人物が、いきいきと描かれている。罰ゲームかなんかで心霊スポットに一人で突撃させられるノリに近い。また橋の周辺の寂寞とした雰囲気も素晴らしい。

 続いて鬼との遭遇↓

「これはきっと鬼だな」そう思いつつどきどきしながら見ると、薄い色の衣の□よかなるに、濃い色の単衣、紅の袴を長々と身にまとい、口もとを隠して切なげな目つきをした女がいて、ちょっと見やった様子も哀れげである。どうやら誰かに置き去りにでもされたらしく橋の欄干によりかかって、男に気がつくと恥じらいながらも嬉しく思っているようだ。男はそれを見た途端これまでの経緯はどこへやら「馬に乗せて連れていってやろう」と身を乗り出しかけたが、「こんなところにこのような者がいるわけがない、これは鬼に違いない。知らん顔して行こう」と思い直して、目を閉じ鞭をふるって通り過ぎた。声を掛けてもらおうと待っていた女が、無言で通り過ぎていく男に「ちょっとそこのお方、なぜそんなにもつれなく行ってしまわれるのですか。このように不気味な思いも掛けないところに置き去りにされてしまったのです。どうか人里まで連れていってください」と言うのを最後まで聞かず、全身総毛立ったような心地で、男は馬を速めて飛ぶように行く。するとその女の「あななさけなや」という声が大地に響き渡った。そして猛然とあとを追ってくる。「やはり鬼だったか」と思いつつ「観音、助けたまえ」と念じて、驚くほど速い馬にさらに鞭を入れて駆ければ、走り寄った鬼が馬の尻をつかもうとしても、べったりと塗った油に滑って引□し引□して捕まらない。

 男が走りながら振り返ると、鬼の顔は朱色、丸い座布団のような巨大な目が一つ。身の丈九尺(※3)ほどで、手の指は三本。爪は五寸(※4)ばかりあって刀のように鋭い。全身は緑青で、目は琥珀色。頭髪はヨモギのように乱れている。今にも肝が潰れそうなほど、その怖ろしさはただごとではない。それでもただ一心に観音を念じて駆けたおかげか、とうとう人里へと逃げ込むことができた。すると鬼は「よし、今日は逃げられたが、きっと会いにいくからな」と言い残し、かき消えるように去っていった。

 男が息も絶え絶えに夕暮れに館にたどり着くと、館の者たちは大騒ぎして「なにがあったんだ」と問いかけたが、茫然自失のありさまで男はなにも語ろうとしない。そこでみんなして男を介抱して落ち着かせ、心配した守が問いかければ、男はようやく一連の出来事を漏らさず語った。守は「つまらない言い争いのせいで、危うく死ぬところだったぞ」と言って、例の馬を男に与えたのだった。男は得意満面で家に帰り、妻子、眷属にこのことを語り怖れさせた。


 ※3. 約2.7メートル。でかい。
 ※4. 約15センチ。長い。

 ついに姿を現した鬼との激しいチェイス。『今昔物語集』屈指の恐怖シーンだ。まず遠くに人影が見え、近付けばいかにもか弱い女らしく、行き過ぎようとすると奇声を発して追いかけてくる。そして恐る恐る振り返れば、すぐそばに怪物の姿。終始映像的でスリル満点。映画の題材には確かにもってこいだと思う。また馬の尻に塗布した油で鬼が爪を滑らせるシーンは、想像するとカートゥーンのようでユーモラスでもある。

 ここに登場する鬼は、単に「鬼」と称されているが、まずまずメジャーな妖怪「朱の盆」(もしくは「朱の盤」「首の番」)に、とてもよく似たイメージだ。江戸時代の『諸国百物語』のなかに、この「首の番」のエピソードがあるのでその描写を引用してみると↓

眼は皿の如くにて、額に角ひとつ付き、顔は朱の如く、首の髪は針がねの如く、口は耳の脇まで切れ、歯たたきをしける音は雷の如し(※5)


『諸国百物語』と『今昔物語集』のあいだには、成立におよそ600年近い開きがあって、その間にツノが付いたり、蓬髪が針金に変化したりはしているけど、経過時間のわりにイメージがよく保存されていると思う。もちろんこの「首の番」と「安義の橋の鬼」が同種の怪異であると仮定しての話だけど。

 ※5.『諸国百物語』(高田衛編・校注『江戸怪談集〈下〉』岩波書店 1989 岩波文庫 所収 p.18)

 以下、引き続き、物語の締めまで↓

 そののち男の家に妖しいことが起きるというので、陰陽師にその祟りについて問うと「この日は特に注意すべし」という託宣がでた。そこでその日には門を閉ざして固く物忌み(※6)をすることになった。この男には同腹の弟がひとりいて、陸奥の守に付き従って行く際にその母親も伴っていたのだが、この物忌みの日に帰ってきて門を叩いた。男が「固く物忌みをしている最中だ。明日になったら会おう。それまではどこかの家に泊まるといい」と告げると、弟は「それは困ります。日もすっかり暮れてしまいました。自分一人ならどうにでもなりましょう、連れの者たちはどうすればいいのですか。他の日ではどうしても都合が悪いから、今日わざわざやってきたのです。老いた母が亡くなりました。それを自ら伝えにやってきたのです」と言う。男は長いあいだ気に掛け、切なく思っていた親のことを考えると、胸□れて「この知らせを聞くための物忌みだったのか」そう言うと、「早く開けてやれ」と嘆き悲しみながら弟を招き入れた。

 それから庇(※7)の方でまずは食事をしたあと、涙ながらに語りあった。喪服姿の弟は涙を流し、兄もまた涙する。男の妻はすだれの内にいて、その様子を窺っていたのだが、突然兄弟が取っ組み合いをはじめ、ぐるぐると上になったり下になったりしている。「これは何事ですか」と聞くと、兄が弟を組み伏せながら「その枕元にある太刀を取ってよこせ」などと言う。妻が「なんてことを。気でも違ったのですか。いったいどうなさるおつもりですか」と太刀を取らずにいると、なおも「よこせ。俺に死ねというのか」と言っているうちに、それまで下になっていた弟が押し返し、今度は兄を下に押さえつけ、その首をぷつりと切り落とした。そして兄の上から踊るように降りて去りながら、妻の方を振り返って「うれしや」と言うその顔は、あの橋で追いかけられたという鬼の顔に違いなく、かき消えるように去っていった。そのときになって、妻から家内の者どもは、みな泣き騒ぎうろたえたが、こうなってはどうしようもない。

 このように、女の小賢しいのは悪しきことである。弟の供の者ども、馬などを見てみれば、色々な生き物の骨、頭などであった。つまらないことで争い、とうとう命を失ってしまうとは、なんと愚かなことだと、この話を聞く人はみな男を誹った。
 そののち様々な祈祷をして鬼を払い、今では何事もないと語り伝えられている。


 ※6. ものいみ。一定の期間、家に閉じこもって心身を慎むこと。「喪中」や「忌引き」のベースとなった習わし。
 ※7. ひさし。寝殿造りの建物で、母屋の外側、「簀の子」の内側の部分。この庇までが家のなかになる。寝殿造りということは、この男、結構いいところの人らしい。

「鬼籍に入る」なんて言い方が今でも残っているけど、よく知られているように「鬼」(き)は、もともと中国では死霊を指す言葉で、それを日本にもとからあった「おに」に当てはめたのだろうといわれている。すごくざっくりまとめると、中国由来の「き」は幽霊で、日本古来の「おに」は妖怪って感じ。『今昔物語集』にはその両方の鬼が、様々な姿で登場する。

 それにしてもこの話の鬼の執念深さは恐ろしい。橋の上のチェイスの迫力に目を奪われがちになるけれど、この最後の場面の、人の弱みに付け込んで、易々と懐に入るいやらしさはじわっと怖い。心霊スポットなんて行くもんじゃないな。

 上記『今昔物語集』の意訳文は、主に頭注を参考にしてまとめましたが、解釈などに間違いのある可能性が大いにあります。超意訳です。またごちゃごちゃと書いてある文章には、定説ではない独断や思い込みが多く含まれていて、引用文以外に資料的な価値はありません。あくまでも感想文ということでご了承ください。


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Posted byserpent sea

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