小松左京『霧が晴れた時』

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 小松左京『霧が晴れた時』(『霧が晴れた時 自選恐怖小説集』角川書店 1993 角川ホラー文庫 所収)

 ハイキングに出かけた家族四人が、霧を抜けて、迷い込んだ無人の土地で孤立してしまうという話。隠される側の視点から描かれた「神隠し」小説の一種といえるかもしれない。ごく短い作品だけど、完成度の高さと読後の寂寥感が、強く印象に残る。

 家族が辿り着いた集落には、たった今まで人のいた形跡があった。かまどには鍋が煮えていて、囲炉裏端に置かれた湯飲みからは湯気が立っている。なにもかもやりかけのまま、主がふと席を外したかのような、そんな状況。やがて母親や娘までいなくなってしまう。交番に駆け込んでも無人、電話もかからない。電車は鉄橋の途中で止まっているし、ラジオからはただノイズだけが流れてくる。「マリー・セレストみたいだね、ねえパパ……」

「霧」でまず思い出すのは、ジョン・カーペンターの『ザ・フォッグ』(1980)、それから前に感想を書いたW・H・ホジスンの『夜の声』も海上の霧が印象的な作品だった。ジャンルを問わずあらゆる作品のなかで、霧はこの世ならざる雰囲気を盛り上げ、ときに本作のように人を異界へと誘うアイテムとして用いられている。この選集の表題に本作のタイトルが選ばれたのも、そのあたりを踏まえてのことだろうと思う。

 後書きによるとこの作品は、著者が自分にとって本当に怖ろしいものはなにかと考えて、書かれたものであるという。派手な超常現象が発生したり、怪物や幽霊が出てくる作品ではない。それでも囲炉裏端の湯飲みから始まって、徐々に拡大しながら積み重なっていく、不在の描写の不気味さ、心細さは極上。

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