手塚治虫『I.L (アイエル)〈1〉』

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 手塚治虫『手塚治虫漫画全集 MT262 I.(アイエル)L〈1〉』講談社 1982

 手塚治虫のフェティシズムが炸裂する異色の吸血鬼漫画。
 人の思考を読みとって自由に姿を変える女吸血鬼「I.L (アイエル)」が、依頼を受けて身代わりに赴いた先々で事件に巻き込まれたり、それを解決したりするという一話完結式のシリーズもの。連載当時(1969年〜)の世相を反映して全体にトーン暗めの作品だけど、社会派? っぽい小難しさはない。
 メタモルフォーゼは著者が生涯描き続けたテーマの一つで、吸血鬼もまた初期の作品からたびたび登場するキャラだ。ただ本作のヒロインの吸血鬼っぽいところといえば、変身する際に棺桶に入ることくらいで、真昼も普通に出歩いているし、吸血描写もほとんどない。だから吸血鬼ものとしては、ちょっともの足りないかもしれない。

 落ちぶれた映画監督の演出のもと、I.L が首を突っ込む案件は、とある家庭の夫婦問題から、大会社や国家レベルの陰謀まで様々。各話毎の登場人物は一癖も二癖もあるキャラばかりで、性倒錯者も多い。例えば「第2話 蛾」に登場する依頼者の夫は、蛾に興奮する性的嗜好の持ち主で、ベッドのなかでも蛾を見ながらでないと性交できない。そんな性的嗜好をフォミコフィリアというらしいが、劇中びっしりと毛に覆われた蛾の太い胴体がぐにぐに動くさまをルーペで見ながら、美しい、色っぽいと語る夫の描写は真に迫っている。この夫の正気を確かめて欲しいというのが、彼の妻からの依頼であった。
「第7話 フーテン芳子の物語」ではレズビアンの彫り師が登場する。フーテンの芳子の全身に花の刺青を施し、彼女が自分のもとから離れようとすると、殺害してその皮膚を剥がしてしまう。で、剥がした皮膚をなめしてタペストリーみたいに飾っている。無惨にもぺったり開かれて平面になった皮膚に、おっぱいの形の皺が寄っているところが痛々しい。それでもただ残酷なばかりではなく、エンディングの美しさが印象的なエピソードだ。

 この第1巻には全部で9話が収録されているが、怪奇幻想というより、スパイや探偵ものっぽい雰囲気の作品の方が多い。個人的にはもちろん前者の方が好みなんだけど、どれも起承転結のはっきりしたお手本のような短編で、楽しく読むことができる。数多くのキャラクターを創造してきた著者が、誰にでも化けられるという没個性なキャラを、わざわざヒロインに据えているところもおもしろい。作品全体に散りばめられた「フーテン」や「ベトナム」といった当時のタームの数々や、上記のようなユニークな性倒錯者の面々に目を奪われがちになるけど、この作品は現実に浸食され、駆逐された「幸せな夢」への哀憐の物語であり、そのあたりは次巻において鮮明になっていく。


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Posted byserpent sea

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