「キング (スティーヴン) 」カテゴリ記事一覧


スティーブン・キング『地下室の悪夢』

 

 スティーブン・キング(Stephen Edwin King)著, 高畠文夫訳『地下室の悪夢』(“Graveyard Shift”『ナイトシフト〈Ⅰ〉深夜勤務』扶桑社 1988 扶桑社ミステリー 所収)

 内容はタイトル通りの地下室の悪夢。厭世感をひしひしと漂わせた大学生の「ホール」は、大学には通わずにヒッチハイクをしつつ職を転々としている。最近では深夜の繊維工場で一人、繊維ほぐし機を担当している。待遇はちっとも良くはなかったが、意外にも彼はこの仕事が気に入っていた。孤独が性に合っているのだ。ただしネズミだけは別だ。工場の暑く埃っぽい環境が繁殖に適しているらしく、ネズミが工場のいたるところに出没する。やつらは図体がでかく、腹が膨らみ、凶暴な目付きをしている。
 そこで現場監督の「ウォーウィック」の立案で、工場の地下室の大掃除をすることになった。ホールは臨時収入に釣られた同僚たちと、地下室のガラクタを運び出し、高圧水でネコほどのサイズのネズミを駆除していった。地下室には吐き気を催すような汚水の悪臭が充満していて、作業環境は劣悪である。ネズミにかじられて負傷する者が出始め、作業が滞るたびにウォーウィックのヒステリックな罵声が飛ぶ。やがて数日間に及ぶ作業が終盤に差し掛かった頃、作業中の地下室の下に、もう一つ部屋があることが判明した。恐らくそこがネズミの巣窟になっているのだ。ホールはウォーウィックと共により暗い地下室へと降りていく。

 これよく映画化しようと思ったなーって思った。とにかく暗いし、暑苦しいし、キャラも地味だし、ものすごく不潔っぽいし。キングじゃなかったら、まず映画化なんて無理だろって作品だ。当然ハナからファミリー向けなんて狙ってないだろうけど、普通に映画にしてフックになりそうな要素が全然見当たらない。ところが、さすがというかなんというか、これがかなり面白いのである。ストーリーは工場に巣くったネズミVS人類に徹していて実にシンプルだ。余計なことを考える必要が全くないのが心地いい。異形っぽいネズミやコウモリも出てくるが、ブレることなく不潔っぽい攻防を描くことに終始している。この作品で特に素晴らしいのは主人公「ホール」のキャラクターだ。彼が最初にゆらっと抱いた現場監督「ウォーウィック」に対する執着(偏愛)が次第にベクトルを定め、どんどん膨らんでついに爆発するまでの過程が、どっちかというと大雑把なストーリーの中に繊細に織り込まれている。
 この作品が収録されている短編集の「はしがき」で、著者はB級SF・ホラー映画に対する思いを熱く、長々と語っている。いかにもB級映画にありそうなオチからして、きっと著者はノリノリでこの作品を書き上げたに違いない。

 映画の方はこの原作をぼやっとなぞりつつ、大きな改変や新たなキャラを加えて、最終的にクリーチャーとのバトル映画になった。繊維ほぐし機をトドメに用いて、一応伏線の回収をした所が印象に残っている。


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スティーヴン・キング『子取り鬼』

 

 スティーブン・キング(Stephen Edwin King)著, 高畠文夫訳『子取り鬼』("The Boogeymen"『ナイトシフト〈Ⅰ〉深夜勤務』扶桑社 1988 扶桑社ミステリー 所収)

 小泉八雲の「むじな」を彷彿とさせる構成のキレのある短編。
 原題の「Boogeymen」(ブギーマン)は多くの映画や小説などに様々な形態で登場するが、もとは民間伝承(とくに米国の)における怪人(怪物)の名称で、子供にとって漠然とした「怖ろしいもの」を表象しているといわれている。クローゼットやベッドの下に潜み、「悪い子」を脅したりさらったり、ときには殺して食べたりするともいう。このような存在は、日本では現われる場所や特徴で極端に細分化されているが、一番ぴったりなのはざっくりした「おばけ」って呼称だろうか。

 そんな「ブギーマン」に三人の子供を殺されたという男がカウンセリングを受ける。彼によると「ブギーマン」は子供部屋のクローゼットのなかに潜んでいて、子供たちは事前にそれに気付いていたらしい。ところが彼はそれに取り合おうとしなかった、そのせいで子供たちは死んでしまった。そんな罪悪感にかられている。

 ほぼ全編が男と精神科医とのやり取りで構成された作品。病死、事故死と判断された三人の子供たちの凄惨な死にざまと、男の後悔が語られる。彼の思い出のなかでは、不思議と彼自身の存在感は希薄で、読み進めるうちに「あちゃーこの人、やっちゃってるよー」って雰囲気が濃厚になってくる。告白の所々に重大な欠落があるように感じられる。それでなくても男は著者の得意なアルコール中毒っぽいキャラで、めちゃ情緒不安定だ。
 ところがそんな「現代の(といってもちょっと昔なんだけど)アメリカ社会の病巣をえぐるスリラー」って感じのオーラをさんざんまき散らしたにも関わらず、ラストはそれとはまったくかけ離れた超常的な地点に着地する。実に著者の作品らしい。

 この作品は八十年代のホラー(ビデオ)ブーム真っ盛りのころ『スティーブン・キングのナイトシフト・コレクション』(1983)のタイトルで映像化されている。東芝映像ソフトからVHSも発売されてたはずなのだけれど、残念ながら未見。二話入りのオムニバスで、なかなかの良作らしい。


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スティーブン・キング『トウモロコシ畑の子供たち』

 

 スティーブン・キング(Stephen Edwin King)著, 高畠文夫訳『トウモロコシ畑の子供たち』("Children of the Corn"『ナイトシフト〈Ⅱ〉トウモロコシ畑の子供たち』扶桑社 1988 扶桑社ミステリー 所収)

 八十年代のホラー(ビデオ)ブームのころ、著者が出演していた『クリープショー』(1982)なんかに紛れて、ムック本などでちょこちょこ紹介されてた映画『チルドレン・オブ・ザ・コーン』(1984)の原作がこの作品だ。当時なけなしの小遣いをはたいてレンタルで見た。肝心の内容はちっとも覚えてなかったのだけど、赤いVHSのジャケットはやけにかっこよくて、今でもそればかり印象に残っている。ちなみに上記ムック本によると映画の評判はあまり芳しくなかったようだが、原作がよっぽどよかったのか何本もの続編が作られている。

 で、あれから数十年、先月たまたまつけてたCSで、さりげなく放送されててびっくりした。全然覚えてなかったから、全然懐かしくもなかったけど、思ってたより断然よかった。もっと酷くて記憶を封印してたのかと思いきや、単に記憶力がないだけだったよ!
 そんな映画の余韻の冷めやらぬうちに「etc文庫」って段ボール箱から発掘してきたのが本作『トウモロコシ畑の子供たち』、『ナイトシフト〈Ⅱ〉』という短編集の表題作だ。ストーリーは広大なトウモロコシ畑のなかで、道に迷った夫婦が何者かに襲われるというもので、この大まかな筋立ては原作、映画ともに共通している。で、その「何者か」っていうのが邪悪な力に突き動かされている「トウモロコシ畑の子供たち」なんだけど、共通しているのはこのくらいで、原作と映画ではまったく異なる、怖さの種類の違う作品となっている。

 原作では子供の存在をギリギリまで明かさずに、サスペンスを盛り上げている。最初に一人死なせているのがうまくミスリードになって、タイトルの「子供たち」が加害者なのか被害者なのかの判断を難しくしているように思う。また子供の存在が明らかになった時点から、激しく転調して一気に凄惨なエンディングに向かう。「邪悪な力」は仄めかすような描写で寸止めされていて、余韻を残したまま終わる。
 それに対して映画は冒頭(一番の見せ場かも)からネタバレしてるので、原作の持ち味は大幅に失われている。主人公夫妻が子供たちと会敵するまでの緊張感を支えるのは、広大なトウモロコシ畑と不穏に蠢く雲のビジュアルだ。さすがに映像の威力は大きい。後半は『怪奇大作戦』に出てきそうな光る物体Xが登場したり、藁人形がすぽーんって感じで飛び上がったりで、また違った意味でおもしろい映画になっている。

 スティーブン・キングの作品はどれを読んでもすごく「アメリカ」って感じがする。しかも冴えない「アメリカ」。スクールカーストでいうナードの「アメリカ」だ。本作は短編なこともあって、ぱっとしない日常の事象を執拗に描写するという著者のスタイルはかなり控えめになっている。それでも舞台が舞台だけに、充分に「アメリカ」って感じ。


 DVD↓ジャケットは昔見たVHSと同じ公開時のポスターのデザインをもとにしたもの。かっこいい。ヒロイン(妻)はサラ・コナーのリンダ・ハミルトン。

 チルドレン・オブ・ザ・コーン [DVD]』J.V.D. 2002


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スティーヴン・キング『スニーカー』

 スティーヴン・キング(Stephen Edwin King)著, 吉野美恵子訳『スニーカー』("Sneakers" S・キング他著, 吉野美恵子訳『ナイトヴィジョン スニーカー』早川書房 1990 ハヤカワ文庫 モダンホラー・セレクション 所収)

 スティーヴン・キングのゴースト・ストーリー。トイレに幽霊が出る話。日本にはトイレの怪談が山ほどあるから、外国のはどんなだろうって興味津々で読み始めたら、出てきたのはドラッグの売人の幽霊だった。

 ビルのトイレのドアの下の隙間から覗くスニーカーの爪先。主人公はトイレに行くたびにそれを見かける。幽霊の爪先らしいが、それ以外がどうなっているのかは、最後になるまで分からない。この幽霊はそこに姿をとどめているだけで、能動的に人に働きかけるようなことはしない。しかし主人公が仕事で疲れ、精神的に凹みはじめた途端、彼のなかでその汚れたスニーカーが存在感を増していく。シンプルなストーリーながら、主人公の意識がじわじわと幽霊の存在に捕われていく描写はさすが。

 ダグラス・E・ウィンターによる序文には、著者がこの作品の着想を得た時の話が載っているが、トイレの幽霊が出てくる作品は海外では珍しいらしい。

実のところ、「スニーカー」は、私(ダグラス・E・ウィンター)のアンソロジー『ナイト・フライヤー』のことを話あっていたときにインスピレーションを得たと言えそうだ。幽霊屋敷ものにはオリジナリティのある作品が少ないというようなことを話したところ、キングがこう言ったのだ。「そうかい? だったら、幽霊便所ってのはどうだろう?(p.9)


 裏表紙のあらすじを見て、トイレの幽霊とか古典的だなーとか思っていたものだから、ところ変わればとはいえ、その認識の違いに驚いてしまった。日本では「トイレの幽霊」と聞いて、オリジナリティはまず感じないと思う。
 それじゃアメリカのトイレが「怖い話」と全然無関係かというとそうでもない。強盗、性犯罪、ドラッグなどの犯罪のイメージとは密接に結びついているようで、都市伝説の本などに出てくるのはもっぱらそっち系の話だ。この『スニーカー』もそうした犯罪のイメージを背景にして、日本のトイレの怪談とは全く異なった独特の雰囲気を漂わせている。怖さよりも、物悲しさが印象に残る作品。


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