H・G・ウエルズ『エピオルニス島』/『蛾』

 

 H・G・ウエルズ(Herbert George Wells)著, 橋本槙矩訳『エピオルニス島』("Aepyornis Island")
 H・G・ウエルズ(Herbert George Wells)著, 鈴木万里訳『蛾』("The Moth" 橋本槙矩, 鈴木万里訳『モロー博士の島 他九篇』岩波書店 1993 岩波文庫 所収)

『エピオルニス島』("Aepyornis Island")
 エピオルニスを最初に発見したのは自分だと言い張る男が、その経緯を語りはじめた。彼が見つけたのは化石化していない完全な4個の卵だったらしい。場所はもちろんマダガスカル島。卵を見つけた彼は、現地で雇った現地人に裏切られ、カヌーで無人島に漂着したという。落として壊したり、食べてしまったりで、それまでに三つの卵が失われていたが、最後に残った卵からは、驚くべきことにエピオルニスの雛が誕生した。有精卵だったのだ。エピオルニスは男によく懐き、いつも彼に付いて回った。ところが2年を過ぎて巨大に成長したエピオルニスは、ふとしたことをきっかけに男に反抗的に振舞うようになったという。

『ドラえもん』にでもありそうな、冒険UMA小説。舞台を無人島に設定しているのが面白い。島ものでも同じ本に収録されている『モロー博士の島』と比べると、随分ロマンチックな無人島だ。エピオルニスがめっちゃリアルだった。ごくシンプルな作品ながら、卵を食べるシーンのような生々しく、少々きつめの描写があって、リラックスして読んでいるとうええっとなる。
 エピオルニスはかつてマダガスカル島に生息していたダチョウをでかく太くしたような鳥で、17世紀には絶滅したとされている。ただ19世紀ごろ、かなり新しい卵の殻が見つかったなんて話もあるから、ごく少数の個体は定説よりもずっと最近まで生息していたのかもしれない。ちなみにその殻は原住民が瓶として用いていたものだったという。
 卵で思い出したが、数年前クリスティーズのオークションに、とても状態のいいエピオルニスの卵が出品されたことがある。匿名の日本人が高額(1千万円くらい)で落札して、ちょっとしたニュースになっていた。そのときの卵は完全に化石化していて、長径約30センチ、短径約21センチ。ネット上でも出品された卵の画像を見ることができるが、ほぼ完全な形を保っていたようだ。落札者は床の間とかに飾ってるのだろうか。羨ましい。


『蛾』("The Moth")
 二人の学者が激しい論戦を繰り広げている。きっかけは「小蛾類」の定義に関する対立だったのだが、以来なにかにつけてライバル意識を燃やし、長いあいだ、いかに相手を凹ませるかに血道を上げている。あるときエキセントリックに相手を攻め立てる昆虫学者のハプレーが、その相手、ポーキンズ教授の息の根を止めるきっかけを掴んだ。ところが決定的な勝利を手にする寸前、ポーキンズ教授は体調を崩し、あげく死亡してしまう。論敵を失い、一線から身を引いたハプレーだったが、やがて一匹の蛾を頻繁に目にするようになった。どうやら新種らしい。ただその蛾は彼にしか見えないのだった。

 一人の激しい性格の学者の精神の危機を描いた作品。学者の対立というとコナン・ドイルのチャレンジャー、サマリー両教授が思い出されるが、本作の二人は彼らのようにいい具合の友情を結ぶこともなく、最後まで闘犬みたいに噛み合ったまま関係を終える。この作品には宇宙人もUMAっぽい生物もSF的なメカや薬品も出てこないし、説明のつかないような怪異も発生しない。登場するのは蛾が一匹だけ。それも幻覚である。しょぼくれていたとは言え、それまで論敵を残酷なまでに攻撃し追いつめていた男が、小さな昆虫の幻影に振り回され、精神を病んでいくさまはなんとも哀れで痛ましい。
 蛾と言えば、映画の『羊たちの沈黙』(1991)では、メンガタスズメという不気味な蛾がとても印象的に用いられていた。ポスターなどにも使われていたあのドクロマークの蛾。当時、さすがにあれは作り物だろうなーと思って調べてみたら、実在する蛾だったので驚いた覚えがある。蛾は古来よりシンボリックな昆虫として、信仰や畏怖の対象にされてきた。アメリカのインディアンには、病気平癒の祈願を蛾に対して行う部族があったし、有名なホピ族の先史土器にも蛾や蝶のデザインが頻繁に用いられている。著者の出身国のイギリスにも「夜、飛んでくる白い蛾は死者の魂」という俗信があるから(イギリスに限らず欧州各地に似たような迷信がある)、この作品はそれを踏まえて書かれたものだろう。それにしても後味の悪い作品だった。


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H・G・ウエルズ『タイム・マシン』

 

 H・G・ウエルズ(Herbert George Wells)著, 橋本槙矩訳『タイム・マシン』("Time Machine"『タイム・マシン 他九篇』岩波書店 1991 岩波文庫 所収)

 たった今、手製の「タイム・マシン」で時間旅行から戻ったという男が、80万年後の未来の出来事を憔悴しきった様子で語りはじめた。彼が訪れた世界は、一見天使のように退化した人類がふわふわと暮らすユートピアのように思われたが、実は地下に潜み棲むもう一つの人類により、地上のひ弱な人類が飼育され補食されている、恐るべきディストピアだったのだ。タイム・マシンを奪掠された主人公は、地下の人類「モーロック」の襲撃から逃れ、地上の人類「エロイ」の少女「ウィーナ」を連れて、タイム・マシンを取り戻すべく奮闘する。

 小学校の図書室以来のおなじみの作品。しかし当時読んだ本には冒頭の一章がついてなかったのか、三次元四次元のくだりを読んだ記憶がまったくない。ちらっと見て難しそうだかったから、まるまる一章飛ばして読んでたのかもしれない。同様に、今読むと著者のほかの作品と同じく、文明に対する批判的でシニカルな論調が終始感じられるのだが、当時はそんなことには全然気付かずに、単にスゴい冒険譚としてひたすらハラハラドキドキしながら読んでたように思う。時間だけ移動して場所は移動しないというタイム・マシンの特性が、すごく斬新に感じられたことを覚えている。そして80万年後の世界の景観の素晴らしさ、鮮やかに頽廃した未来の景色にも強く惹かれた。ジャングルに点在する古代遺跡みたいだと思った。

 解説によるとこの作品には著者の生立ちや、19世紀末のイギリスの時代背景が色濃く反映されているらしい。著者は社会に様々な疑問や不満を抱き、挫折感や劣等感を感じていたのだという。なるほどなーと思われる点も少なくはないのだが、そのあたりの事情にはあまり興味がない。ただそんな反骨精神?みたいなことを燃料にして、今読んでもまったく色褪せない美しいディストピアを夢想した著者の想像力の自由さには驚嘆させられる。それから改めて気付くのは「エロイ」の少女「ウィーナ」の、1/1スケールPVCフィギュアのようなかわいらしさだ。以前は『ロビンソン漂流記』のフライデーを薄めたみたいなキャラって印象だったんだけど。白痴美っていうのかな。突っ込みすぎると夢に出てきそうなヤバいキャラだ。

 物語の最後の方には三千万年後の世界、人類が跡形もなく消え去った世界の様子が描き出されている。解説にある進化の逆転現象という解釈には説得力があっておもしろい。こういう考え方を悲観的宇宙論っていうらしい。とはいえ全体のトーンは悲壮感たっぷりって感じでもなくて、ポケットのなかの白い花のくだりをあげるまでもなく、常にどこからか淡い光の差すような不思議な明るさが感じられる作品だ。そもそも著者が根っから悲観的だったなら、タイム・マシンは未来ではなく過去に向かってたんじゃないかと思う。SFの元祖らしく少々感傷的な作品だけど、何度読んでもやっぱり楽しい。

 あと有名なビクトリア調のタイム・マシンの出てくるジョージ・パルの映画『タイム・マシン』(1960)もおすすめ。↓結構怖いです。

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H・G・ウエルズ『水晶の卵』/『塀についた扉』

 

 H・G・ウエルズ(Herbert George Wells)著, 橋本槙矩訳『水晶の卵』("The Crystal Egg")
 H・G・ウエルズ(Herbert George Wells)著, 橋本槙矩訳『塀についた扉』("The Door in the Wall"『タイム・マシン 他九篇』岩波書店 1991 岩波文庫 所収)

『水晶の卵』("The Crystal Egg")
 骨董店の主人ケイブが頑なに売ろうとしない「水晶の卵」には秘密があった。それはある角度で光を当てると、水晶のなかに不思議な世界の光景が見えるというものだった。家族からの売れ売れ圧力から逃れるため、友人ウェースのもとに水晶の卵を持ち込んだケイブは、二人で不思議な世界の観察をはじめ、やがて星の位置や衛星の運行から、それが地球外の惑星の風景なのではないかと思い至った。

 うらびれた骨董店、ギスギスした家族(二人の子供が妻の連れ子だったり)、MIBのような正体不明の二人連れという序盤の品揃えから、怪奇小説サイドにぐぐっと寄った話かと思いきや、学校の実験助手を勤めるウェースが登場するあたりからにわかにSFっぽくなる。二人が覗いていたのはまだ長大な運河があると考えられていたころの火星。赤い大地、モダンで壮麗な建造物、甲虫のようなメカに、飛翔する鳥人などの楽しいガジェットに満ちた火星の風景なのだった。この雄大な未知の光景と「水晶の卵」を介して繫がっているのが、ロンドンの片隅のぱっとしない骨董店というギャップがおもしろい。水木しげるはこの作品のアイデアをいたく気に入ったらしく、何度か翻案したり作品に取り入れたりしている。


『塀についた扉』("The Door in the Wall")
 ウォレスは幼いころ偶然に迷い込んだ夢のように美しい「庭園」への憧憬に捕われていた。それは蔦の絡んだ白壁に設けられた、緑の扉の向こうに広がっていた。彼はこれまでに何度かまったく異なった場所でその扉を目にしたことがあった。ただ扉の向う側に足を踏み入れたのは幼少時の一度きりで、毎回何らかの事情、宿題や奨学金獲得や恋人との逢瀬に追われて、あの庭園に強く惹かれながらも扉を開けようとはしなかったらしい。ところが最近になって、彼は三度も続けて扉を見かけたという。そして扉の向こうに行く機会を永遠に失ってしまったと嘆いた。彼は成功者と呼ばれる立場の人間だったが、大きな喪失感を感じながら、夜の町を彷徨うようになった。

 ウォレスが迷い込んだ「庭園」には、色彩豊かな花々が咲き誇り、美しく親切な人々や大人しい動物がいて、喜びと優しさで満ちあふれていたという。火星の奇観と比較すると少々物足りないような気もするが、著者と同時代のバーン=ジョーンズの絵画の世界みたいな感じだろうか。ダメダメ感たっぷりの骨董屋の親父が欲望の赴くままに「水晶の卵」をガン見していたのと比べて、成功者のウォレスは扉をちょっと開けてみることも出来ないほど忙しかったというのがなんとも世知辛い。


『水晶の卵』は空想科学小説、『塀についた扉』はファンタジーあるいは主人公の精神の危機を描いた作品って感じなんだけど、両作とも実生活に疲弊した主人公が、日常に生じた空隙から異世界を覗き見、それに心を奪われてやがて破滅するという物語だ。これを書いてるのが「SFの父」なんて呼ばれるウエルズなのだから、皮肉っぽいったらない。


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H・G・ウェルズ『海からの襲撃者』

 H・G・ウェルズ(Herbert George Wells)著, 阿部知二訳『海からの襲撃者』("The Sea Raider"『ウェルズSF傑作集〈2〉』東京創元社 1970 創元推理文庫 所収)

 デビルフィッシュなんて不本意なあだ名で呼ばれて、ヨーロッパの一部地域で忌み嫌われてるタコ。映画でも古くはレイ・ハリーハウゼンの『水爆と深海の怪物』(1955)とか、タコ映画の代表作『テンタクルズ』(1977)とか、出てくれば決まって怪獣扱いされている。海外での興収を当て込んだ東宝の怪獣映画にも、唐突にタコシーンが挿入されていることがよく知られている。著者の出身国のイギリスは、タコを忌避する代表的な国の一つで、この作品にもそんな文化的な背景があるのだろう。

 ストーリーはびっくりするほどシンプルだ。人食いタコあらわる! → 主人公遁走。ほんとこれだけ。なのであまり書くことがない。しかし少ないページ数をめいっぱい使って、その状況がつぶさに描写されている。
 舞台はイングランド南岸の港町「シドマス」(シドマウス)。ストリートビューで見てみたところ、風光明媚ないいところのようで、観光客がいっぱい。熱海みたいな感じのところなのかな。海沿いの風景に強い既視感があったのだけれど、TVのポワロかマープルで見たのかもしれない。劇中で主人公がぶらぶら歩いている、赤い土の露出した「がけ道」もイメージそのまんまだ↓


 ここの岩礁で主人公は不自然な鳥の群れを見かける。不思議に思って近づいていくと、そこにただならぬものがあることに気付いた。漂着した溺死体を人食いタコの群れが貪り喰っていたのだ。この漂着物発見のくだりは、自分が当事者のように感じられるほどのリアリティでとても印象的だった。最初に書いた通りごく短い作品なんだけど、この冒頭のシーンをはじめ、タコの群れとの緊張感たっぷりの洋上バトルなど、全編充実した描写で読み応えがあった。
『タイム・マシン』や『宇宙戦争』などの有名な作品とは、かなり毛色が違うように感じられるが、著者はこの作品のような「UMAもの」っぽい短編をいくつも書いている。どれもおもしろい作品ばかりなので再読することが多い。

 ところで日本でタコというと、美味いし見るからにキャラが立ってるしで、親しみやすいイメージがあるけど、江戸時代の説話集を読んでいると、その得体の知れなさからか妖怪じみた扱いを受けていることも多い。墓場で死体を掘り起こしたり、ヘビと闘ったりと、まさにデビルフィッシュって感じの活躍をしている。


 ※著者名、地名などのカタカナ表記は、本の記述に準じています。


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H・G・ウエルズ『モロー博士の島』

 

 H・G・ウエルズ(Herbert George Wells)著, 橋本槙矩訳『モロー博士の島』("The Island of Dr. Moreau" 橋本槙矩, 鈴木万里訳『モロー博士の島 他九篇』岩波書店 1993 岩波文庫 所収)

 超有名な作品。色々な翻訳で各社から出ているし、『獣人島』(1933)『ドクター・モローの島』(1977)『D.N.A./ドクター・モローの島』(1996)と、三度も映画化されている。最初の『獣人島』は見たことがないんだけど、『ドクター・モローの島』と『D.N.A./ドクター・モローの島』はしっかり見た。映画の出来はさて置き、獣人のメイクがなぁ……って印象だった。決して不出来なわけじゃないんだけど、なんかピンとこない。やっぱ『ハウリング』(1981)や『狼男アメリカン』(1981)みたいに、メリメリメリって変形しないと燃えられないのかもしれない。あと『ドクター・モリスの島/フィッシュマン』(1979)ってイタリアの亜流映画もあったけど、こっちは本家を凌ぐほどの良作だったように記憶している。

 ……そんな獣人が原作ではどんな風に描かれているのかというと、まずはごく簡単にストーリーから↓

 漂流していた主人公「プレンディック」は、多くの動物を乗せた船に救助される。船の目的地は「名もない無人島」だという。その島に上陸した主人公は、希代のマッド・サイエンティスト「モロー博士」による、動物を人間に改造する実験を目の当たりにする。島には多くの「獣人」が人間社会をモデルに生活を営んでいたが、彼らの畏怖の対象としていたモロー博士の殺害をきっかけに、人間らしさを失い暴走をはじめる……。

 古典中の古典の古典的なストーリーだが、この恐ろしい物語のD.N.A.は現在もなお様々な作品に受け継がれている。劇中、色々なタイプの獣人が登場するが、どれも生々しく奇怪で、「獣人」と聞いて連想される「体形はほぼ人間で頭部や体表が獣」(『ストライク・ザ・ブラッド』の「獣人」とか)という形態ではなく、より病的に怪物チックに描写されている。博士の角笛に呼ばれて島中の獣人が集まってくるシーンなんて、まさに地獄の魔物の群れって感じ。
 シンプルな「馬→人間」という改造にとどまらず、「馬+犀→人間」なんて実験をしているあたりに、博士の狂いっぷりがよく表れていると思う。また博士は過去に「動物人間の他にあるものを造った」こともあるらしく、完成前に逃げ出したそいつ(本郷ライダーみたいだ)は「手足のない恐ろしい形相の生物で、蛇のように地面を這って進む」(p.280)という。なんだかものすごい怪物のようで、回想で語られるだけなのが惜しい。

 この作品には寝る前にぼけーっと読んでいても分かるくらいはっきりと、進化論や文明論、科学研究をめぐる思想的な要素が散りばめられている。物語の最後でロンドンに戻ったプレンディックは、目にする人々がみな「いつかは退化して獣性を露にするのではないか」(p.330)という不安を抱いている。このあたりがどうやら主要テーマらしいのだけれど、そこはあまり注意を払わずに怪物がわらわら出てくるモンスター小説として読んだ。解説によるとこの作品が発表された当時、批評家たちはこの作品を一種の「ショッカー(扇情小説)」として批判したらしい。今となっては、え、ショッカーで悪いの? って感じだけど……。そういったジャンルのことはさて置き、一世紀以上前に書かれたとは思えないほど、色褪せない楽しさの詰まった作品だと思う。


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