H・P・ラヴクラフト『彼方より』

 

 H・P・ラヴクラフト(Howard Phillips Lovecraft)著, 大瀧啓裕訳『彼方より』(“From Beyond”『ラヴクラフト全集〈4〉』東京創元社 1985 創元推理文庫 所収)

 先日の『冷気』に続いて『ラヴクラフト全集〈4〉』から、これまたマッド・サイエンティストもの。『宇宙からの色』→『眠りの壁の彼方』→「アーサー・ジャーミン」→『冷気』→『彼方より』→『ピックマンのモデル』→『狂気の山脈にて』という順で収録されている。何気にすごいラインナップだ。

 仲違いして以来、二ヶ月半ぶりに親友「ティリンギャースト」の姿を見て主人公は驚愕した。逞しかったはずの彼は、見る影もなく痩せさらばえ、醜く変貌していたのだ。科学と哲学の学徒だったティリンギャーストは、憑かれたようにある研究に取り組んでいた。主人公との仲違いは、成功しつつあるその研究を巡って生じたものであった。
 ティリンギャーストの研究、それは特殊な装置で人の感覚器官に働きかけ、眠っている無数の感覚を強制的に覚醒させるという試みだった。それによって人は、不可知だったものを知覚し、時間、空間、次元を重ねあわせ、創造の根底を覗き見ることができるというのだ。
 彼の屋敷からは使用人たちが一人残らず姿を消していた。そして屋根裏の研究室では、あの機械が病的なすみれ色の光を放っている。ティリンギャーストは機械のそばに腰を下ろし、スイッチに手を伸ばした。

 巻末の「作品解題」には「ラヴクラフトの作品にしてはいささかものたらなさを感じざるをえない。(中略) 本篇の功績はロングの『ティンダロスの猟犬』に大きな影響をあたえたことにある」(p330)なんて書かれている。確かにストーリーもなにもあったもんじゃないし、大半は目覚めた器官が感知する「彼方より」の何者かの描写に占められていて、しかもそれがカオスすぎるために、短い作品にも関わらず何がなんだかよく分からない感じになってしまっている。とんでもないものが見えてるらしいのだけれど、漠然としていて今ひとつピンとこない。ちょっとメモっぽい? とも思う。それでも科学と哲学に対する「探求に失敗した場合は絶望を、成功した場合は、言いようもなく想像もつかない恐怖をもたらす」(p108)というくだりには、著者の思想の一端が垣間見えるようで興味深いし、なによりアトラクション性の高い、お化け屋敷っぽい作品はもともと大好物。マッケンの『パンの大神』(“The Great God Pan” 特殊な脳手術を受けた女性が神と交感する)を彷彿とさせる「感覚器官をいじって見えないものを見る」というアイデアも楽しい。このアイデアのバリエーションは、現在も様々なジャンルの作品に見ることができる。頭部穿孔コミック『ホムンクルス』、そのネタ元のドキュメンタリー映画『ア・ホール・イン・ザ・ヘッド』(1998)、高橋洋監督の『恐怖』(2010)などなど。
 映画といえば、この作品も『ZOMBIO/死霊のしたたり』(1985)のスチュアート・ゴードンによって『フロム・ビヨンド』(1986)というタイトルで映画化されている。エンパイアピクチャーズのハチャメチャな作品群にあって、輪をかけてハチャメチャな素晴らしい作品だった。


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H・P・ラヴクラフト『冷気』

 

 H・P・ラヴクラフト(Howard Phillips Lovecraft)著, 大瀧啓裕訳『冷気』(“Cool Air”『ラヴクラフト全集〈4〉』東京創元社 1985 創元推理文庫 所収)

 舞台はニューヨークの安アパート。主人公は心臓の治療を頼んだことをきっかけに、真上の部屋に住む「ムニョス博士」と親しくなった。博士は一流の医療技術を身につけているにも関わらず、自室に引きこもって研究に専念している風変わりな男だ。博士によると人間の意思や意識は臓器よりも強靭なので、もしも身体が壮健で注意深く健康を保つなら、その特質を科学的に増強することによって、きわめて重大な損傷を受けた場合も、一種の神経活動を持続することができるかもしれないという。彼は「死」をくじき、根絶するための実験に生涯を費やしてきたのだ。一方で博士は常に部屋の温度を低く保つことを含む、厳格な養生を必要とする厄介な病気にかかっていた。高温が続けば致命的なことになるらしく、室内はいつも凍えるような冷気に満たされていた。主人公は何くれとなく博士の世話をするようになったが、博士の病状は一向に好転せず、精神力のみで病に抗っているように見えた。そんなある日、悲劇的な事故が発生した。室内に冷気を送り込んでいた冷房装置のポンプが故障したのである。

 魂と肉体の神秘を追求するマッド・サイエンティストの悲劇を描いた作品。巻末の「作品解題」では同様のテーマを扱ったポオの『ヴァルドマアル氏の病症の真相』(“The Facts in the Case of M.Valdemar”)から着想を得た作品として紹介されている。本作が『ヴァルドマアル氏〜』の影響下にあることは明らかだが、人物の配置やストーリーについては、著者が「高度の異次元恐怖を最も芸術的に高揚した作家」と賞賛するイギリスの小説家、アーサー・マッケンによる『三人の詐欺師』(“The Three Imposters”)の一編「白い粉薬のはなし」(“The Novel of the White Powder”)によく似ているように思う。
 本作を含めたこの溶解人間もの三作はそれぞれの作家の個性が際立った作品で、読み比べてみるのも楽しい(この三人は個人全集を揃えてる数少ない作家だったりする)。『ヴァルドマアル氏~』はポオらしいキレと凄みを備えた小品で、おぞましさにかけてはポオの作品の中でも上位に位置する。オムニバス映画『マスターズ・オブ・ホラー/悪夢の狂宴』(1990)の一編として映像化もされており、監督はゾンビ映画の第一人者ジョージ・A・ロメロ。めっちゃ適任。マッケンの『三人の詐欺師』は当初出版を拒否されたらしいが、翻訳家の平井呈一によると「白い粉薬のはなし」がキモすぎるって理由で、出版社からダメ出しを食らったのではないかとのこと。語り手が女性ということもあって、劇中に横溢する不安な雰囲気が素晴らしい。
 で、肝心の『冷気』はというと、印象に残るのは道具立てが随分と近代的なことと、著者の無邪気さだ。電気式のエアコンが発明されたのは1902年、アメリカの家庭に爆発的に普及したのは1950年代だと言われている。本作に登場する冷房装置はアンモニアなどを使用する極初期のタイプのもので、執筆当時はまだまだ一般的な家電製品ではなかった。著者はそんなアイテムを「ナマモノの保存の基本はやっぱ冷蔵冷凍だよな!」と作品のど真ん中に据えて、嬉々として(多分)本作を仕上げている。著者の作品にはあれこれ執拗に書きすぎて、勢いや雰囲気が削がれてしまっていると感じることがあるが、この作品の雰囲気は上々。冷気と香の煙と腐臭に満ちた薄暗い室内の様子が、鮮やかに描き出されている。著者は一時期ニューヨークで暮らしていたことがあり、本作はその間に執筆されている。


 ※参考(タイトルはamazonへのリンクです)
 ・E・A・ポオ著 丸谷才一他訳『ポオ小説全集〈4〉』東京創元社 1974 創元推理文庫
 ・アーサー・マッケン著 平井呈一訳『怪奇クラブ』東京創元社 1970 創元推理文庫
 ・アーサー・マッケン著 平井呈一訳『アーサー・マッケン作品集成〈2〉三人の詐欺師』沖積社 2014


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H・P・ラヴクラフト『インスマウスの影』

 

 H・P・ラヴクラフト(Howard Phillips Lovecraft)著, 大西尹明訳『インスマウスの影』("The Shadow Over Innsmouth"『ラヴクラフト全集〈1〉』東京創元社 1974 創元推理文庫 所収)

 創元推理文庫版全集の第1巻の一番最初に収録されている、著者H.P.ラヴクラフトの代表作。クトゥルフ神話の中核を成す作品の一つとして知られる、暗黒のぶらり途中下車の旅だ。この作品が収録された『The Shadow Over Innsmouth』は、著者が存命中に出版された唯一の本で、書影を見てみると、表紙にはなにが描いてあるか判然としない挿画と、タイトル、著者名がざっくり印刷されていて、文集っぽい素朴な雰囲気。刊行は1936年。

 ニューイングランドを旅する主人公はアーカム行きのバスを途中下車して、良からぬ噂が囁かれる寂れた海辺の町、「インスマウス」を訪れた。町は聞きしに勝る荒廃ぶりで、かつて漁業で栄えたことを窺わせる歴史的な建造物でさえ、どうにか形骸をとどめているといった有様。人影はまばらで、時折見かける住人の多くは魚類や爬虫類を思わせる一種独特の風貌をしている。主人公は住人から狂人扱いされているアル中の老人から、ここ90年のあいだに町で起きた忌まわしい出来事の数々を聞くことができた。ある男が海外から持ち込んだ邪教とその信者たち、沖合に黒々と見える「悪魔の岩礁」にまつわる話を。
 妄想めいた老人の話に不気味な整合性を感じた主人公は、早々にインスマウスの町を離れることにする。ところが唯一の交通手段であるバスが故障したために、町のホテルで一夜を過ごすことになってしまった。深夜、彼が嫌な予感をひしひしと感じながらベッドに身を横たえていると、何者かがドアの向こうで動きまわる音が聞こえる。彼の部屋の鍵をこじ開けようとしているのだ。

 このあと主人公はホテル&インスマウスの町から、這々の体で脱出する。この一連のシーンは、著者には珍しくアクション重視のアクロバティックな大脱出劇で、スリル満点。追跡者の正体がチラチラ見えるのが怖い。話の大筋は以前感想を書いたA・ブラックウッドの『いにしえの魔術』(←前の記事へのリンクです)によく似ている。著者はブラックウッドの大ファンだったというからそれなりの影響を受けているかもしれない。しかし似ているのは大筋だけで、設定資料もかくやって感じの綿密な書き込みと、優れた情景描写によって、本作は強烈な独自性を獲得している。ブラックウッドが輪廻と忌まわしい過去への甘美な誘惑を描いたのに対して、著者が描いた悪夢は異境の神と信徒に浸食され頽廃していく町と、逃れ難い遺伝の恐怖の物語だ。こと「遺伝の恐怖」は著者の様々な作品で繰り返し用いられる重要なテーマである。

「訳者あとがき」に「現代の怪奇小説の最高のものである」とあるように、本作は著者の作品の特徴を漏れなく備えた上に、エンターテイメント性も高いという非常にバランスのとれた作品だと思う。後々の作品に及ぼした影響の大きさから、邪神やその世界観に言及されることが多いけれど、独特の孤独感もまた著者の作品の顕著な特徴で、それが排他的な町にポツンと放り出された本作の主人公の心情にぴったりマッチしている。
 あとこの作品は1992年に舞台を日本の港町に置き換え、『インスマスを覆う影』というタイトルでTVドラマ化されている。主演は佐野史郎。残念ながら市販のVHSソフトは持ってないけど、当時録画したビデオが実家にあるはずなので、カビとか生えてなかったら今度帰ったときに見てみます。


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H・P・ラヴクラフト『壁のなかの鼠』

 

 H・P・ラヴクラフト(Howard Phillips Lovecraft)著, 大西尹明訳『壁のなかの鼠』("The Rats in the Walls"『ラヴクラフト全集〈1〉』東京創元社 1974 創元推理文庫 所収)

 幽霊屋敷ものには、基本的に当該物件に住むか見物に行くか、という大まかな流れがあるだけに、それぞれの作者の個性が分かりやすい形で顕われていると思う。クトゥルフ神話で知られるラヴクラフトの幽霊屋敷は、予想通りというかなんというか、地下に戦慄の大空洞(←見ただけで失神する)が広がる、実にラヴクラフトらしい幽霊屋敷だった。

 この作品ははっきりと三つのパートに分かれている。まずは定番通り建物についての記述からはじまるが、最初からラヴクラフト節全開の設定てんこ盛り。古代から現在にいたるまでの建物の来歴に、主人公一族の歴史を絡めてずらずら解説される。うぁこのまま行くのかなと思いきや、主人公が屋敷で居住するようになってからは、クラシックな幽霊屋敷もののムードにがらっと変わる。小さな異変、とくに物音や飼い猫の挙動が細かく描写されている。これが非常にいい雰囲気で、本格幽霊屋敷ものっぽい。
 ところが怪異の原因が屋敷の地下にあるらしいと主人公が気付いたあたりから、またもや転調、いつもの感じの地下世界探訪記へと展開していく。このくだりにまたかよ!と感じるか、やっぱこうでないと!と感じるかは読者次第。個人的には冒頭にみっちりと書かれていた表の歴史を、ひっくり返して再度裏側からなぞるような構成はおもしろいと思った。

 思いついたことをとにかく徹底的に作品に盛り込む(たとえ箇条書になったとしても)という著者の作風は、その過剰さによって偏執的な凄みと拡張性を得て、いまだに熱烈なファンやフォロワーを産み続けている。比較的初期に書かれたこの作品にも、のちに『ピックマンのモデル』(←前の記事へのリンクです)や『狂気の山脈にて』などの名作として結実する設定や構想が散りばめられている。もちろんそういった作品との関連を意識せずに読んでも、興味深い作品だと思う。


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H・P・ラヴクラフト『宇宙からの色』

 

 H・P・ラヴクラフト(Howard Phillips Lovecraft)著, 大瀧啓裕訳『宇宙からの色』("The Colour of Space"『ラヴクラフト全集〈4〉』東京創元社 1985 創元推理文庫 所収)

 前にも書いたけど創元推理文庫版の全集のなかでもとくに好きなのが、この作品が収録されている第4巻で、SF色の強い作品を中心にまとめられている。そういえばオムニバス映画『クリープショー』(1982)のなかの一編が、この話をもとにしてたような気がするが、実際にはどうだったんだろう。スティーブン・キングが農夫役をやってた話だけど、しっかり原作だったのかな。

 アーカムの近郊には不気味な荒れ地が広がっている。林や野原が酸に侵された染みのように、むきだしの地表をのぞかせていて、そこにはいかなる動植物も育たない。近隣の住人はその土地を「焼け野」と呼ぶ。かつては農業に適した肥沃な土地だったが、ほんの短い期間を経て現在のような状態に変貌したらしい。すべては隕石の落下とともにはじまったという。
 極めて特殊な性質を持った隕石が、ある農家の井戸のすぐそばで発見された。科学者によって様々な調査が行われたが隕石を構成する物質の正体さえつかめない。そうこうするうちに、現在「焼け野」と呼ばれるようになった地域全体に奇妙な現象が発生した。最初植物からはじまった異常は、そこに棲息していた動物へと広がり、やがて奇形化した姿が目撃されるようになる。何らかの汚染が原因ではないかと疑われるなか、隕石の落下した農家の住人が体調の異変を訴えはじめた……。

 この作品には明確な「主人公」が設定されていない。一応ダム建設に携わる調査員の、地元住民への聞き取り調査という形をとってはいるが、隕石の状態と、刻々と変化、悪化していく周辺環境の状況の、報告書のような描写で作品が構成されている。「焼け野」そのものが主人公といった感じだ。で、その描写というのが、今回著者が自信満々なだけあって本当に素晴らしい。ともすれば大げさになりがちな表現が、調査員の科学的な目を設定することで、実に上手くコントロールされている。環境がじわじわと汚染されていく怖ろしさもさることながら、ラストの物体Xの昇天シーンはすさまじく、代表作『ダンウィッチの怪』のラストシーンに勝るとも劣らないほどの迫力だった。
 巻末の「作品解題」で「紛れもない傑作」(p.321)と大絶賛されているこの作品は、ラヴクラフト自身エリザベス・トルドリッジ宛の書簡のなかで、この作品以外に「全体としてわたしを満足させる作品はありません」(p.326)と記している。


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H・P・ラヴクラフト『故アーサー・ジャーミンとその家系に関する事実』

 

 H・P・ラヴクラフト(Howard Phillips Lovecraft)著, 大瀧啓裕訳『故アーサー・ジャーミンとその家系に関する事実』("Facts Concerning the Late Arthur Jermyn and His Family"『ラヴクラフト全集〈4〉』東京創元社 1985 創元推理文庫 所収)

 創元推理文庫の『ラヴクラフト全集』のなかで、おそらく一番多く読み返しているのが、本作が収録されているこの第4巻だと思う。もともと「アーサー・ゴードン・ピム」が大好きだったってこともあるんだけど、著者の特徴的ないくつかのテーマを、収録された各話がそれぞれ分担していて、とてもバラエティに富んだ一冊になっている。おかげで何度読んでも全然読み飽きない。色々なアンソロジーに収録されている『ダンウィッチの怪』が著者の作品の集大成とするなら、この第4巻は丸々一冊で著者の作品世界の全貌を表してるって感じ。

 この『故アーサー・ジャーミンとその家系に関する事実』は、人外との婚姻、遺伝の恐怖を描いた初期の短編で、著者自身お気に入りの作品だったらしい。未知の類人猿をめぐる秘境小説っぽい側面もある。
 胸が悪くなるほど醜悪な容貌の主人公が、先祖が残したアフリカの民族に関する研究を進めるうちに、自らの忌まわしいルーツを知って破滅していく……というのが大まかなストーリーだ。悲惨なのは主人公のアーサーが、その容貌とはうらはらに、夢想家なポエマーで、非常に繊細な人物だったという点。
 少し前の記事にも書いたけど、「遺伝の恐怖」は著者の主要なテーマの一つで、様々な作品のなかで変奏されている。著者のいくつかの作品が、限りなく「SF」に接近しつつも「コズミックホラー」の領域に止まったのは、こうした過去をガン見するスタイルによるものではないかと思う。

 本作はラブクラフトの作品としては比較的装飾の少ない、叙事的な文体で書かれている。とある一族の歴史を叙述する本作に、その表現がぴったりなのは言うまでもないが、何度か読み返すうちに、もしもアーサー・ジャーミンの一人称だったらとか、秘境小説の部分をブローアップしたらどんなだろうとか、いっそ長編だったらとか色々考えさせられてしまう。そんな感じで想像力を刺激する、とても潜在力の高い作品だと思う。UMAファンにもおすすめ。


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H・P・ラヴクラフト『家のなかの絵』

 

 H・P・ラヴクラフト(Howard Phillips Lovecraft)著, 大瀧啓裕訳『家のなかの絵』("The Picture in the House"『ラヴクラフト全集〈3〉』東京創元社 1984 創元推理文庫 所収)

 ニューイングランドのアーカム近郊で嵐にあった主人公が、風雨をしのぐため古びた木造家屋に身を寄せる。廃屋に違いないと思い込んでいたその家屋には、異様な風体の老人が暮らしていた。老人は『コンゴ王国』なる稀覯書を所持していて、文字はさっぱり読めないらしいが、長らく挿絵を眺めて楽しんでいるという。それは食人に耽る原住民が描かれた挿絵だ。人を食べれば普通の寿命以上に生きられるんじゃなかろうか……、そう老人が口にしたとき、天井から開いたページに赤いしずくが滴り落ちた。

 以前感想を書いた『ピックマンのモデル』(←前の記事へのリンクです)に続いて、これもまたタイトルの通り「絵」にまつわる話。作品解題によるとこの作品は「ニューイングランドを舞台にした一連の作品の第一作にあたり、アーカムが言及されるのもこの作品がはじめてである」(p.320)らしい。

 普通に読む分にはラヴクラフトには珍しいサイコホラーって印象だけど、作品解題にある歴史的な経緯を知ると実は……という作品で、もちろん初読のときは前者のように読み、解題を見てほえ〜っとなりました。とはいえ個人的にこの作品で好きなのは、そういった超常的なところやサイコなところよりも、冒頭嵐にあった主人公が勝手に家に上がり込んで、老人が秘蔵する『コンゴ王国』を見つけるまでの妖しく美しいくだり。創元推理文庫版で13ページほどの小品なのだが、主人公が『コンゴ王国』に辿り着くまでに5ページも費やされ、言葉を尽くして古色蒼然とした雰囲気が表現されている。緻密な描写が実に素晴らしい。「いい印象を与えるものではなかった」とか「説明もできないような戦慄を感じる」とか書きながらも、著者がこの古い家屋を嬉々として描写しているのがおもしろい。

 著者は本作についてC・L・ムーア宛ての書簡のなかで「わたしが目にしているニューイングランド僻地の特定の家々に充満する、神秘さと異質さという妙な雰囲気に対してわたしがおぼえる恐怖を表したもの」(p.320)と書いている。こうした世俗と隔絶した集落や一族、積み重なって歪みを生じた血筋をモチーフとした作品としては、有名な『インスマウスの影』("The Shadow Over Innsmouth")や『故アーサー・ジャーミンとその家系に関する事実』("Facts Concerning the Late Arthur Jermyn and His Family")が思い出される。『ピックマンのモデル』("Pickman's Model")もまたそういった作品の一つだった。血統、血筋、遺伝という、自ら選びようもない宿命に、著者は強い畏怖とロマンを感じていたのだろう。


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H・P・ラヴクラフト『ピックマンのモデル』

 

 H・P・ラヴクラフト(Howard Phillips Lovecraft)著, 大瀧啓裕訳『ピックマンのモデル』("Pickman's Model"『ラヴクラフト全集〈4〉』東京創元社 1985 創元推理文庫 所収)

『ピックマンのモデル』はラヴクラフトの著作の中でも、かなりメジャーな作品だと思う。新進気鋭の画家と、彼のおどろおどろしい作品群にまつわる、よく整理された読みやすい構成の物語で、取り扱われているのはゴシック小説に出てきそうな、地下道に潜む「屍食鬼」。本作が発表された1926年には、後にクトゥルフ神話に組み込まれる、コズミック・ホラーの系統の作品はすでに書かれていたんだけど、本作はそういった「ラヴクラフトと言えば……」って感じの作品とは少々趣を異にしていて、よりクラシックな雰囲気の作品となっている。

 この作品を読み返すたびに「つい悲鳴をあげてしまい、卒倒するのを防ぐために、戸口にしがみつかなければならない始末だった」(p.134)というような、見ただけで倒れそうになる絵って一体どんなだろうと思う。「どういう絵だったかは、とても口ではいえないね」(p.131)なんて言いながらも、ラヴクラフトらしく積み重ねられる描写のおかげで、ゴヤの『我が子を食らうサトゥルヌス』("Saturno devorando a un hijo" 1819-1823)に似た傾向の絵らしいというのは分かる。それでも信仰の違いか、想像力が追いつかないからか(多分後者)、小説に出てくる「絶世の美女」がいつも曖昧なのに似て、ろくなイメージが脳内に結ばない。
 しかし考えてみれば、映像や漫画でででーんとこれらの絵を見せられて、そのうえ分かりやすく目眩を起こしてる人物なんかが出てきたりしたら、きっとものすごく安っぽく感じてしまうに違いない。実際いくつかのホラー映画(本作とは関係のない)から、そんな印象を受けたこともある。こうした作品が成立するのは、小説ならではのことなのかもしれない。

 絵画については「家族の多くがそうであったように、わたしも絵を描ければいいのですが、描けないのです」(※1)とラヴクラフト自身が述べている通り、描く方はさっぱりだったようだが、見る方に関しては一家言あったらしく、作中で語られる絵画論は彼自身の持論のようだ。著者のディレッタンティズムが発揮されていてとても興味深い。また母親や叔母が生前に描いた多くの絵を大切に保管していて「わたしはできるだけ長いあいだ、すべての絵を壁にかけようとしています」(※2)とも記している。

 ラヴクラフトは裕福な家庭で、家族の古い蔵書や絵画や望遠鏡など諸々のお気に入りの品々に囲まれ、とても甘やかされて育ったという。青年期に神経症などの理由から社会へのエントリーに躓いて以降は、コンプレックスとともに幼少時に愛した品々を抱えて、彼の作中の人物そのままのような隠遁生活に入る。そして後生大事に手元に置いていたそれらの品々は、後に発表される作品のなかに、なくてはならないアイテムとして登場する。読者は暗い夢を思い描いた著者の青年期を追体験するかのように、ときにやや子供っぽい印象さえ受ける彼の愛したガジェットの数々を通して、遠大な妄想へと誘われるのだ。

『ピックマンのモデル』はラヴクラフトの作品を愛好する人にとっては、きっと大好きな話のひとつに違いないだろうし、初めて著者の作品に触れるという人にもおすすめできる作品だと思う。


 ※1. H・P・ラヴクラフト著, 大瀧啓裕訳「資料:履歴書」(『ラヴクラフト全集〈3〉』東京創元社 1984 創元推理文庫 所収 p.310-311)
 ※2. 同上 p.314


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