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根岸鎮衛『耳嚢』海と縁の下の変な生き物について

 根岸鎮衛『耳嚢 巻之三 海上にいくじといふものゝ事』(根岸鎮衛著 長谷川強校注『耳嚢 上』岩波書店 1991 岩波文庫 所収)
 根岸鎮衛『耳嚢 巻之七 彦坂家椽下怪物之事』(根岸鎮衛著 長谷川強校注『耳嚢 中』岩波書店 1991 岩波文庫 所収)

 一昨日の補足。
『耳嚢』には著者が耳にした江戸時代の中期から後期にかけての、怪談、奇譚、おまじない、犯罪に関する話、滑稽譚、民間療法などの、町の噂、世間話がぎっしりと詰まっている。著者の根岸鎮衛は、勘定奉行、南町奉行を歴任しながら、これを30年以上にわたって書き続けていたらしい。

 なかには妖怪のイメージとは少々趣を異にする正体不明の謎の生き物の話がいくつか載っていて、一昨日の末広恭雄『魚と伝説』のところにちらっと書いた「いくじ」という超長い海の怪生物などがそれにあたる。「巻之三」の「海上にいくじといふものゝ事」、短い話なので全文を意訳してみると↓

 瀬戸内や九州の海では、いくじという生き物が時に船の舳先などに乗りかかることがあるという。体色はウナギのような感じで、体長は測れないほど長く、船の舳先に乗りかかれば、二日、あるいは三日もそのままで、ずるずると船を乗り越えていくらしい。いったい何十丈・何百丈あるのか、見当もつかない。「いくじなし」という言葉はこれに由来しているのだろう。
 またある人の語るところによると、「伊豆や八丈の海辺などには、このいくじの小さいものが棲息しているという。これは輪になったウナギのようなもので、目も口もない生き物らしい。だから船の舳先に乗りかかるという類いのものも、ただ長く伸びているわけではなくて、舳先で輪になって回っているのだ」という。どっちが真実なのかは分からないけれど、取りたてて船に害をなすものではない。


 注釈では津村淙庵の『譚海』について言及されていて、そこに出てくる同様の生き物は「いくち」と呼ばれている。長さは数百丈、船を乗り越えるときに油が体から零れて、そのままにしておくと船が沈んでしまうという。有名な鳥山石燕の『今昔百鬼拾遺』ではこれを「あやかし」と呼んでいて、「西国の海上に船のりかゝり居る時、ながきもの船をこえて二三日もやまざる事あり。油の出る事おびたゞし。船人力をきはめて此油をくみほせば害なし。しからざれば船沈む。是あやかしのつきたる也。」(※1)というキャプションが付いている。図には細長い生き物が船の舳先を乗り越えていく様子が描かれているが、生物の体表には鱗状の装飾が施されていて、ウナギというよりも蛇のようだ。水木しげるの妖怪画に登場するものも、名称形状ともに鳥山石燕の「あやかし」を踏襲している。

 それにしてもこの生物はいったいなんなんだろう。「二、三日かかる」というのが、ものすごい長さを表現するための誇張だとしても、「船の舳先を乗り越えていく」という描写には不思議なリアリティがある。なんとなく船舶や海底に体をこすりつけるコククジラの習性を連想させる。UMA業界にはウナギや蛇を思わせる「シーサーペント」は山ほどいるけど、習性にまで踏み込んだ目撃報告はほとんど見かけない。

 この「いくち」が『耳嚢』の海の怪生物の代表的なものだとすると、陸の怪生物の代表は「巻之七」の「彦坂家椽下怪物之事」に出てくる名無しの生き物だと思う(←勝手なこと書いてます)。一昨日の記事とは全然関係ないけれど、こっちも短い話なので全文を意訳↓

 文化三年寅年(1806年)、小普請支配の彦坂九兵衛は駿府の御城番を仰せ付けられ、当地への引っ越しのために取り込んでいたところ、ある日縁の下から奇怪なものが現れた。その頭はイタチの如く、足も手もなく全身は蛇の如く、太さは二尺(約60センチ)ほど、シュロのような毛を全身に生やしていて、長さは三丈(約9メートル)ばかりもあった。縁の下より出てきて、庭を輪になってしばらく進み、また縁の下へ入っていったという。何という生き物なのか、知る者はなかった。


 体長9メートルの怪生物が縁の下にいるって、想像するとかなりやばい。毛の生えた蛇のような生物というと、上記の『今昔百鬼拾遺』と一緒に『鳥山石燕 図画百鬼夜行』に収録されている、『今昔図画百鬼』の「野槌」がまず思い当たる。全身を硬そうな毛で覆われた芋虫のような生き物が、ウサギをガバッと呑み込もうとしている絵だ。「野槌」は「ツチノコ」の異名のひとつとされているが、爬虫類っぽい今日のツチノコのイメージとは全く異なっている。
 この名無しの生き物に近いものを手近な本のなかで探してみたところ、中国の『山海経』のなかに、これ結構近いかもって怪生物が載ってた。といっても一行にも満たない短い記述だ。『山海経 第十七 大荒北経』の一節「蟲(ながむし)あり、獣の首に蛇の身、名は琴虫(きんちゅう)。」(※2)当時は昆虫をはじめ、蛇やトカゲも「虫」と呼ばれていた。残念ながら「琴虫」には挿絵が付いて無くて、体毛についても言及されてないが、「頭はイタチで体は蛇」の縁の下の生き物のイメージに近いように思う。結局どんな生き物なのかはさっぱり分からないけど、名無しでは可哀想なので個人的には「琴虫(仮)」と呼びたい。

 という感じの変な生き物の話や、妙な話が沢山載ってて楽しい本です『耳嚢』


 ※1. 鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』(高田衛監修 稲田篤信, 田中直日編『鳥山石燕 図画百鬼夜行』国書刊行会 1992 所収 p.218)
 ※2. 高馬三良訳『山海経』(本田済, 沢田瑞穂, 高馬三良編注『枹朴子・列仙伝・神仙伝・山海経』平凡社 1973 中国の古典シリーズ 所収 p.502)

 ※上記の意訳文は、主に脚注を参考にしていますが、解釈などに間違いのある可能性が大いにあります。超意訳です。またごちゃごちゃと書いてある文章には、定説ではない独断や思い込みが多く含まれていて、引用文以外に資料的な価値はありません。あくまでも感想文ということでご了承ください。


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