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上田秋成『雨月物語 巻之五 青頭巾』

 

 上田秋成『雨月物語 巻之五 青頭巾』(上田秋成著, 中村幸彦校注『日本古典文学大系〈56〉上田秋成集』岩波書店 1959 所収)

『雨月物語』は江戸時代後期に発表された近世日本文学最高の怪談集。幽霊譚を中心とした9編が収録されている。映画化されたり漫画になったりで、どれも有名なものばかりだけど、なかでも一番かっこいい! と思うのがこの『青頭巾』。以下あらすじ。

 快庵禅師という高僧が旅の途上に下野の国(栃木県)富田の里にさしかかった。宿を求めて大きな屋敷を訪れたところ、黄昏に立つ禅師の姿を見た男たちが「山の鬼こそ來りたれ。人みな出(で)よ」(p.122)と叫び声をあげ、たちまち屋敷は大騒ぎになった。飛び出してきた屋敷のあるじはすぐに間違いに気付き、快く禅師を招き入れると、手厚くもてなし使用人たちが騒いだわけを話しはじめた。

 この里の上の山寺には立派な阿闍梨がいたが、越の国から十二、三歳の可愛らしい男の子を召使いとして連れ帰ると、やがてそれを溺愛するようになった。ところがこの四月にその子が病で死んでしまうと「泣(く)に涙なく、叫ぶに聲なく、あまりに歎かせたまふまゝに、火に燒、土に葬る事をもせで、臉に臉をもたせ、手に手をとりくみて日を經給ふが、終に心神みだれ、生きてありし日に違はず戯れつゝも、其肉の腐り爛るるを吝みて、肉を吸骨を嘗て、はた喫ひつくしぬ。」(p.124)それからというもの鬼と化した阿闍梨は、夜な夜な里に下りて人を驚かし、また墓を暴いて屍を喰うという(※1)。それを聞いた禅師は、その鬼を教化して本来の心を取り戻させようと思い立った。

 夕暮れに訪れた山寺はすっかり荒れ果てていた。禅師が一夜の宿を頼むと、痩せ細った僧がよろよろとあらわれ「僧のこゝろにまかせよ」(p.127)と言い残し、日が落ちると寝室へと戻っていった。

 夜がふけて月の輝くころ、さっきの僧がふたたび現れて禅師を探しはじめた。しかし僧には禅師の姿がまるで見えていないらしく、大声で叫びながらあちこちを駆け巡り、踊り狂い、ついには疲れて倒れ込んでしまった。朝になって、酔いが覚めるように正気を取り戻した僧は、禅師がもとの場所にいるのを見て呆然とする。そして鬼畜の暗いまなこには、生き仏は見えぬということか、この浅ましい悪業を忘れるすべを教えたまえと禅師に懇願した。禅師は僧を座らせると、自らの紺染めの頭巾を僧にかぶらせ、證道の二句を授けた。「江月照松風吹 永夜清宵何所爲」(p.129)ここから動かず、この句の真意を考えよ、それが分かれば本来の仏心を取り戻すことができるだろう。そう言い残して山を下りた(※2)。

 あっという間に一年が過ぎた。ふたたび富田の里を通りかかった禅師が、以前泊まった屋敷のあるじにかの僧の消息を尋ねると、あの日以来、鬼は山から下りてきていないという。そこで山寺を訪れてみると、以前にも増して荒れ果てた寺の雑草の生い茂るなか、あのときのままの場所に痩せこけた僧の姿があって、消え入りそうな声で證道の二句をつぶやいている。禅師はそれを見て「作麼生何の所爲ぞ」(p.130) と一括し、手にした禅杖で僧の頭を打つと、僧はたちまち消え失せ、青い頭巾と骨だけが残った。ここに妄執は晴れたのであろう(※3)。

 禅師はそののち、里人に望まれて寺の住職となった。宗旨をもとの密宗から曹洞宗に改め、今なおその寺は栄えているという。


 ※1. この男の子は召使いとはいっても、お寺などで男色の対象となっていたお稚児さん。化粧をしたり、女装をしたりで、女の子のように見える者もあったらしい。そんな可愛いお稚児さんを失った僧の狂いっぷりが凄まじい。卵から産まれるグールと違って、人が気合いで鬼に変化するというところが救い難い。セックスとカニバリズムがぐちゃぐちゃになってるあたり、吸血鬼っぽいキャラなような気もする。何日も何日も男の子の死体に頬ずりをして、指を絡めて、生前のように扱い、やがて肉が腐ってただれてきたら、それをすすってたという。『ネクロマンティック』(1987)ばりのえぐさだ。「肉を喰う」じゃなくて「肉を吸う」というのがグロい。溶けてる。全般にいえることだけど、表現がいちいち簡潔で的確なだけに、イメージを喚起する力が強い。
 この話をもとに書かれたラフカディオ・ハーンの『怪談』のなかの一編「食人鬼」の老僧は、生前の我欲が祟って死後食人鬼として化生したという設定だけど、愛欲に狂って生きたまま鬼となる本作の方が、その描写も相まってパンチが効いている。

 ※2.「江月照松風吹 永夜清宵何所爲」は「入江を月光が煌々と照らし、松を吹き抜ける風は爽やかに鳴っている。この永い夜の清らかな宵の景色は、一体なんのためにあるのか」といった感じの意味。分かったような、分からないような、ありがたいような、そうでもないような謎掛けを残して、去っていく禅師がかっこいい。下記の※3と合わせて、非常に中二心をくすぐる名シーンだ。また月光の下、禅師を探し求めて走り回る僧の様子も鬼気迫っている。

 ※3.「作麼生(そもさん)」は禅宗の用語で「いかに」。昨今の実話怪談などでも、最後に霊能者や拝み屋が出てきて「喝!」っていうのがひとつの様式美になってるけど、本作のこのくだりは「正義のお坊さんにやって欲しいこと」をほとんどやってくれている、かっこいいクライマックスだ。僧の消える描写も「忽(ち)氷の朝日にあふがごとくきえうせて、かの青頭巾と骨のみぞ草葉にとゞまりける」(p.130)というもので、鮮やかな緑色の雑草がぽしゃぽしゃ生える石畳の上の、朽ちたガイコツと青い頭巾が一枚の絵のように浮かぶ。

 冒頭の夕日の中に立っている旅の僧侶の姿から、エンディングの青い頭巾とガイコツまで、豊かな色彩と確固としたイメージの数々はやはり素晴らしい。色々まとめると「かっこいい」になってしまうんだけど、ほんとにかっこいいからしょうがない。色々な人が訳したり、マンガ化している作品なので(水木しげるの作品はオチにひとひねりあり)、興味のある方はぜひ読んでみてください。


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