「香山滋 」カテゴリ記事一覧


香山滋『オラン・ペンデク後日譚』

 香山滋『オラン・ペンデク後日譚』(『香山滋全集〈1〉海鰻荘奇談』三一書房 1993 所収)

 著者のデビュー作『オラン・ペンデクの復讐』(←前の記事へのリンクです)の後日談にあたる本作は、前回殺害された「宮川博士」の娘で、博士を殺害した「オラン・ペンデク」の妻「宮川旗江」がヒロインをつとめる奇妙な海洋小説だ。劇中では前話から6年経っている。

 旗江は恩師から帆船信天翁(アルバトロス)号を借り受けスマトラを目指していた。目的は行方不明となった夫の探索である。乗組員はタガログと支那の男たち数人、旗江はただ一人の日本人で、女性であった。一つ奇妙なことがあった。それはこの帆船の管理人である「ヨハン・ヘイステル」が全く姿を現さないことだ。彼は船底の船室に閉じこもり、電話ですべての指示を行っているという。間もなくその奇妙な行動の理由が明らかになった。ヨハン・ヘイステルはかつてタガログの男たちの仲間を殺害しており、そのため彼らに姿を見られるわけにはいかなかったのだ。そして対面した旗江を驚かせたのは、彼が行方不明の夫「石上」と瓜二つであり、「モア」という美しいオラン・ペンデクの娘を船室に匿っていたことだった。夫とは双子だというが、旗江にはそれを信じることができなかった。やがてヨハン・ヘイステルの正体が乗組員たちに知れると、旗江たちは船室に立てこもることになった。船上ではタガログ土人が酒宴を張り、水も食料もない灼熱の船底で旗江たちは衰弱していく……。

 前話と同様、生物学的な語彙が全編に散りばめられた楽しい作品だった。今回はキャッチーなグロ描写がないこともあって、命に関わるような状況下でもヒリヒリするような緊張感というより、どことなく甘美で、絶妙にほのエロい空気が漂っている。オラン・ペンデクの「すべての男はヨハン・ヘイステル氏であり、すべての女はモアである」という設定も面白い。惜しむらくはモアのキャラが弱いところで、自我が薄いっぽいから仕方ない気もするが、もっと活躍してほしかった。「十歳前後の全裸の童女が机から椅子へ、窓から書棚へと、まるで白鼠のようにくるくる跳ね廻って遊んでいる」(p.184)なんてシーンはあるんだけど、ちょっと成長したら随分物静かになったようだ。
 オチは前話を踏襲しているが、今度はもっと悲壮感が強い。手紙や回想で場面がポンポン切り替わるから、ずっと窮屈な船内の話でも退屈に感じることはなかった。

 前にも少し書いたけど「オラン・ペンデク」はスマトラに実在するとされる、かなりメジャーな獣人型UMAだ。ヒストリーチャンネルの『未確認モンスターを追え!』でも、わざわざ現地まで赴いて軽く調査をしていた。いつもの通り特に成果は得られなかったようだが、オラン・ペンデクには近年にも目撃例があり、現地では原住民の一種のように認識されているらしい。動物学者のベルナール・ユーヴェルマンスは著書『未知の動物を求めて』(“Sur la piste des bêtes ignorées”)の中で、この未確認生物を詳しく取り上げていて、「アトエ・パンダク」「アトエ・リンボ」「セダパ」「ヤオエ」などの多くの異名をはじめ、詳細な目撃談を紹介している。1923年に目撃されたオラン・ペンデク(♀)は、残念ながら本作に出てくるモアのように可憐な姿ではなかったようだが、明らかにサルではなく、目撃者に「撃てば人殺しになる」と思わせるだけのヒトらしい姿をしていたらしい。

 この『オラン・ペンデク後日譚』は前話が発表されの翌年の昭和23年、雑誌『宝石』に発表されている。翼竜や三葉虫などにも言及されていて、ロストワールドもののファンには嬉しい作品。


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香山滋『ゴジラの逆襲』

 

 香山滋『ゴジラの逆襲』(『香山滋全集〈14〉魔空要塞』三一書房 1996 所収)

 魚群探見中にエンジンの不調で不時着した同僚の小林を救助するため、岩戸島に向かったパイロットの月岡は、そこで格闘するゴジラ&トゲトゲの付いた亀のような怪獣を目撃する。二人の報告によって「アンギラス」と命名された新怪獣、そして二頭目のゴジラに対する対抗策が検討されたが「オキシジェン・デストロイヤー」なき今、人類には成すすべがない。そこで光に反応するというゴジラの習性を利用し、外洋に誘導するという作戦がとられた。大阪では大規模な灯火管制が実施されていたが、その真っ最中に、よりにもよって護送車から逃げ出した囚人によって大火災が発生する。爆炎に導かれたゴジラが、大阪に上陸する。

 前作『ゴジラ』と同様に、この『ゴジラの逆襲』も映画のシナリオをベースに児童向きに書き起こされている。『ゴジラ 大阪編』と表記される場合もあるが(詳しくは『ゴジラ』参照←前の記事へのリンクです)、クライマックスは北海道の近海の神子島だったりする。

 ストーリーは映画をしっかりトレースしていて、セリフもほとんどそのままで採用されている。もちろん例によってフィルムではカットされたシーンや、同じことやってるのに異なったニュアンスで表現されているところもある。なかでも顕著なのが最後の雪崩作戦からエンディングにかけての一連のシークエンスだ。小説版での雪崩作戦の経過は、一番機田島は成功大雪崩発生、二番機は雪崩を発生させるが放射能火焔を浴びて空中分解、三番機は爆撃に成功するものの上昇に失敗して山頂に激突、四番機月岡の爆撃によって発生した特大雪崩で、ついにゴジラは完全に埋没する。4機目の攻撃での勝利だ。これに対して映画はすごい数のF-86が雪崩作戦を決行し、成功したり爆発したりしている。ともに最後のトドメは月岡の攻撃だが、映画ではみんなでどうにかやっつけたって感じなのに対して、小説版ではほぼ月岡の働きによるものって感じだ。絵面が派手な映画も悪くないけど、小説の通り映像化されていれば、『スター・ウォーズ』(1977)エピソード4のデス・スター攻略みたいな爽快感が出たんじゃないかと思う。
 続いて映画では旋回するF-86のコクピットのなかで「小林、とうとうゴジラをやっつけたぞ」と月岡がつぶやき、直後に氷山みたいな神子島をバックに「終」が出て、あっさり気味のエンディングを迎えるが、この小説版には少しだけ続きがある。月岡のつぶやきのあと、場面は北海道支社に移る。小林と彼の恋人の写真の前で合掌するヒロインの秀美たち。雪崩の続く神子島の上空では月岡機が旋回を続け、そこに「やすらぎよそかりよ いまぞかえりぬ……」の『平和への祈り』が流れて、終わり。余韻のある美しいエンディングで、前作との繫がりもより強く感じさせる。雪崩作戦は甲乙つけ難いけど、ラストは小説版の方がいいな。

 それからほんの短いシーンだけれど、映画には少し違和感を感じさせる場面がある。ビルの屋上から大阪の町を眺める月岡と秀美、「小林さん、あなたのこと感心してたわ。大した度胸だって」という秀美に、「バカな。あれは度胸なんて言えるもんじゃないさ、一種の諦めだな」と月岡が応える。このシーン。何気ない会話だけれど、よく分からない。月岡のどんな行動に小林は感心したのか。月岡の言う「あれ」とは?
 実は映画ではカットされてしまったけれど、小説版では冒頭の岩戸島の絶体絶命の状況下で、月岡が小林にタバコをすすめるシーンがあるのだ。さらに上記のセリフのあいだに「あのとき──ゴジラに襲われたとき、あなたタバコをあげたでしょ?」(p.194)という秀美のセリフが入る。これでスッキリ。

 ところで前作『ゴジラ』の感想では書き洩したのだけれど、この正続編を通してとても物足りないところがひとつある。それはゴジラの見た目が全然描写されないところだ。シナリオがベースだし、この作品が世に出たときには、もうみんな映画でゴジラ見て知ってるだろって感じなんだろうけど、奇怪な生物がどんどん出てくる著者の他の作品と比べるとやっぱ寂しい。こういうことは映像作品のノベライズにはよくあることで、最近も『ブレンパワード』というアニメのノベライズを読んだ(おもしろかったです)のだけれど、主役メカの描写が全くなくてびっくりした。

 以下少し映画『ゴジラの逆襲』(1955)について。つい最近までしっかり観たことがなかったのだが、色々な技法が試されていて見せ場の多い楽しい作品だと思う。BGMが極端に少ないかわりに、エンジン音や爆発音などのSEが効果的に用いられている。とくに大阪で灯火管制が実施された直後の、静まり返った夜空にジェット機の轟音だけが聞こえる場面は、これから始まる大破壊の予兆のような不吉さで印象に残った。
 特撮シーンでは大阪湾のゴジラ迎撃時の、ポンポンって感じで炸裂する白い爆煙の合成が、シンプルなわりに効果抜群だった。終始色々な爆発が楽しめる映画だ。そして一番インパクトがあったのが、ゴジラとアンギラスの動き。めっちゃ速い! 生物の俊敏さを表現するために微速度撮影という方法で撮られたのだそうだが、なんだかカクカクしていて、奇しくもストップモーションで撮影されたみたいに見える。おかげで人知の及ばない神がかった雰囲気はなくなってしまったが、超兵器を持たない人類が対抗するにはこれくらいの怪獣具合がほどよいのかもしれない。


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香山滋『ゴジラ』

 

 香山滋『ゴジラ』(『香山滋全集〈14〉魔空要塞』三一書房 1996 所収)

 CSの日本映画専門チャンネルで、ゴジラ生誕60年&7月のハリウッド版公開記念として「総力特集・ゴジラ」(※1)がはじまった。毎月「5」のつく日にHDリマスター版を2本ずつ、全30作を1年かけて放送するらしい。ナイス企画だ。この前は『ゴジラ』(1954)と、アンギラスの出てくる『ゴジラの逆襲』(1955)をやってた。個人的には『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』(1966)『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』(1967)あたりが好きで、初期の作品はちゃんと見たことがなかったので、この機会にしっかり見てみようと思う。

 エッセイやインタビューを除く香山滋のゴジラ関連の作品には、まず映画のための『G作戦検討用台本』、ラジオドラマの台本をもとにした『怪獣ゴジラ』、それと本作、児童向けのノベライズ『ゴジラ』(※2)の3作があって、すべて「香山滋全集」で読むことができる。
 全集以外で今手元で確認できるものとしては『G作戦検討用台本』が出版芸術社の『怪獣総進撃 怪獣小説全集Ⅰ』に、『ゴジラ』が奇想天外社の『ゴジラ』と奇想天外ノヴェルスの『ゴジラ/ゴジラの逆襲』に収録されている。どの本も比較的手に入りやすいと思う。それぞれ読者層に合わせた工夫がされていて、『怪獣総進撃 怪獣小説全集Ⅰ』には関連スチル写真とポスター、奇想天外社の『ゴジラ』には関連スチル写真と竹内博による児童向けの解説「香山滋とゴジラ」「「ゴジラ」映画・作品リスト」、奇想天外ノヴェルスには竹内博による詳細な解説「映画「ゴジラ」と香山滋」と、ミステリー作家の山村正夫による「失われた世界(ロストワールド)への郷愁 - 探偵文壇における香山滋氏の業績 -」が附載されている。なかでも奇想天外ノヴェルスの「映画「ゴジラ」と香山滋」は読み応えがあった。様々な資料を駆使して香山滋の人となりや、映画のストーリー作りを依頼された経緯、『ゴジラ』映画に対する思いを詳らかにしている。

 超有名な作品なのであらすじは書かないが、映画公開後に書かれた本作はおおむね映画版をトレースしている。キーとなる台詞もほとんどそのままだ。ただし児童向けのノベライズということで相応の改変が少なからずある。目立ったところでは恋愛要素がざっくり削られて、尾形の出番が減ったかわりに新吉少年の活躍が増えている。それから中盤、各国の調査団が来日するタイミングで、ゴジラの東京襲撃を歓迎する「東京ゴジラ団」なる結社が暗躍している。今読むと乱歩の少年探偵シリーズにでも出てきそうなノリだが、これも著者の年少の読者に対するサービス精神の現れだろう。もちろん大筋に影響することなくフェードアウトしていく。
 ゴジラの登場するシーンは、さすがに映画の強烈なインパクトとは比ぶべくもないが、断末魔のゴジラの激しいリアクションは大迫力の描写で映像に勝るとも劣らない。

 以下映画の話。初代ゴジラが核兵器、戦争、空襲、天災などなど、禍々しいものの表象であることはよく知られているが、今回映画を見返してみて一番強く感じたのは、菊地秀行がインタビューで語っていた「夜そのものが襲ってくる」ような怖ろしさだった。通常兵器ではまず無理ゲー、大戸島のお神楽の方がよっぽど効き目がありそうな感じ。超常的すぎる。
 それから芹沢への強烈な死ね死ね圧力が辛かった。恵美子に裏切られ、絶望に打ちひしがれている芹沢に、TVから流れる鎮魂歌(?)が追い打ちをかける場面は、美しくも残酷な名シーンだ。この「オキシジェン・デストロイヤー」の使用を巡る芹沢の逡巡や尾形の立ち位置は『怪獣ゴジラ』ではかなり手を入れられていて、感情移入していると凹んでしまいそうな理不尽さは相当程度解消されているのだが、映画の恵美子はさすがに鈍感すぎるように思う。芹沢まじ気の毒。

 予想通りだったのかどうかはさて置き、大ヒットした映画『ゴジラ』。当時地方では観客をさばくために交通整理の警察官までが動員されたという。三島由紀夫がこっそり見にいってたなんて逸話も残されている。
 真っ暗なスクリーンに「賛助 海上保安庁」と浮かび、東宝マーク、ドーン!ドーン!という轟音。咆哮とともにスクロールしてくる『ゴジラ』のタイトル。そしてあのオープニングテーマが流れはじめる。公開当時、真っ暗な映画館でこのオープニングを見た観客の気持ちはどんなだったのだろう。今見ても怖いのだから、きっとすごく驚いたに違いない。想像すると楽しい。


 ※1. 日本映画専門チャンネルの「総力特集・ゴジラ」特設サイト ↓ 当時のポスターや各作品のあらすじが載ってます。
 http://www.nihon-eiga.com/osusume/godzilla/

 ※2.『ゴジラ 東京編』と表記される場合がある。「大阪編」は『ゴジラの逆襲』のノベライズ。


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香山滋『オラン・ペンデクの復讐』

 香山滋『オラン・ペンデクの復讐』(『香山滋全集〈1〉海鰻荘奇談』三一書房 1993 所収)

「オラン・ペンデク」「オラン・ペッテ」という、二つの未知の人類を発見した宮川博士が、その発表の壇上で突然ミイラ化して死亡する。彼はその存在を証明するために未知の人類を殺害し、採取した鰓や皮膚を自らに移植していたのだった。……というのがストーリーの端緒。本作は未知の人類「オラン・ペンデク」による復讐劇である。

 宮川博士が発見したという「オラン・ペンデク」は、スマトラ島に棲息する未知の人類だ。「ペンデク」=「小さい」という名の通り非常に小柄で(「オラン」は「人」という意味)、すべての個体の額の中央にバラの形の赤痣があるという。その白い肌には体毛がなく、しっぽもない。原始的な生活を営んでいるが、知能は相当に高い。この「オラン・ペンデク」は著者の創作ではなく、マレー半島やインドネシアに棲息しているといわれる、れっきとしたUMAだ。もちろん本作ではそれなりにアレンジされているが、かなり有名な未確認生物で実際に何度も科学調査が行われている。

 もうひとつの「オラン・ペッテ」の方は著者の完全な創作。スマトラの沼沢地で発見されたこの未知の人類は、鰓と肺との両方で呼吸する両生類のような体構造を持つという。この「オラン・ペッテ」を、叩き殺して野天で解剖するくだりが、冒頭の博士のセンセーショナルな死にざまと並んで本作の見せ場となっている。

 この作品は雑誌『宝石』の懸賞に入選した著者の処女作だ。懸賞が「創作探偵小説の募集」だったこともあって、本作も一応「宮川博士の死の真相にまつわる物語」という形をとっている。とはいえタイトルからしてネタバレ気味で、謎解きについてはどう見ても重要視されてない。そのかわり未知の人類や古生物に関する描写は詳細を極めていて、本作で描かれる秘境への強い憧れは、著者の生涯のテーマとなる。「処女作には作家のすべてがある」とはよく目にする言葉だけど、香山滋に限っていえば大当たりだと思う。

 宮川博士に対する復讐を終えると「オラン・ペンデク」は故郷へと帰っていく。そこは侏羅の花咲く楽園のような世界らしい。「私達は疾病も、飢餓も、希望も、失意も何も知らない。晨、野草の実を炊ぎ、夕、魚介を掬う。夜、男は蘚苔の床に葉笛を吹き、女は乳房に月光を浴びる。言語は持つが、文字はなく、智性は生活の方便に費やすが、一切の形而上の問題には無智にひとしい」(p.24)、俺も連れてってくれよって感じのユートピアだ。きっと著者もそんなふうに思いながら、この作品を書き上げたのだろうと思う。

 今月はヒマさえあれば香山滋全集を読んでいた。ここで感想を書くにあたって引っぱりだしてきたのがきっかけだった。刊行時に一通り以上は読んでたはずなのに、こんなのあったっけ? って作品がいくつもあって、得した気分になった。もともと文章がヘタすぎて切実にやばいってことで書きはじめたブログだけど、こんな感じでちょっとしたいいこともある。


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香山滋『月ぞ悪魔』

 香山滋『月ぞ悪魔』(『香山滋全集〈3〉月ぞ悪魔』三一書房 1994 所収)

 前々回の『こびとの呪』の記事で、江戸時代に書かれた浅井了意の『伽婢子』から、「人面瘡」についての引用をしたが、この話は中国、唐代に書かれた奇譚集『酉陽雑俎』(ゆうようざっそ)からの翻案だった。感想を書くときはできるだけ検索には頼らないようにしてるので、辿り着くのに時間がかかってしまった。
 参考にしたのは駒田信二著『中国怪奇物語 妖怪編』(※1)。ありがたいことに『酉陽雑俎』の「人面瘡」が収録されている。それによると、腫物のできる部位こそ『酉陽雑俎』では左腕、『伽婢子』では左の股の上と異なってるものの、その症状から、道士が貝母(※2)を用いて「人面瘡」を治療するくだりまで、ほぼ同じものって感じだった。『伽婢子』の刊行は1666年、860年頃の成立といわれる『酉陽雑俎』とは、800年ほどの開きがある。

 結局、なんでそんなの思いついたのかというのは分からないままだけど、ほんの少しすっきりしたところで、今回もまた「人面瘡」っぽい話。でも少々変わり種で、この作品に出てくるのは外科手術によって作られた「人面瘡」。しかもラブストーリーだ。物語の舞台は1900年代初頭のコンスタンチノープル。12歳の少女の腹部に、男の頭が移植される↓

わたくしはペルセポリスの洞穴の、ムンクの手術室で開腹され、腸を三分の一に縮小され、その間隙に許婚オーマーの頭をはめ込まれました。頭といっても、脳髄だけを山猫(リンクス)の膀胱袋(プラッター)に包み彼の目、口、鼻はばらばらにほぐして縫合されたわたくしの腹面に、あとから移植させられたのです。ひと口に申せば、生き乍らわたくしはオーマーと合体させられたのでございます(p.25)


 このブラック・ジャックも顔負けの超手術を施したムンクは、天体を支配する妖術と、人体を支配する外科術を身につけた老婆。「わたくし」は可憐なペルシャの娘スーザ。その許嫁のオーマーは、脳と顔のパーツだけとなって、内臓のすべてをスーザと共用している。もちろん意識もあるし、話すこともできる。
 長いあいだ自らの身体の秘密を隠し、男に体を許すことなく生きてきたスーザだったが、あるとき落ちぶれた日本人の見世物興行師と恋に落ちる。合体した二人の男女と、興行師の男との三角関係だ。スーザは初めてその身を興行師に委ねたとき、自らの腹部に移植された男を、興行師との抱擁によって窒息死させる。

 これほど異様なシチュエーションのntr話も珍しいのではないだろうか。展開される物語の異様さ、変態っぽさはにおいては、著者の作品のなかでも群を抜いている。しかもその状況が、甘美に、幻想的に描写されている。著者自身、「おそらく、私の幻想の極限だと思います」(※3)と本作を評している。
 おもしろいのは同じインタビューのなかで、夢野久作について「夢野さんはふざけたところがあって、あまり好きではありません」(※4)なんて言ってる。確かにスタイルこそは全然違うけれど、作品が醸し出す独特のロマンチシズムや、根底に流れる胎内回帰願望などの点で、この二人の作家には大いに通じる所があるように思う。


 ※1. 駒田信二『中国怪奇物語 妖怪編』講談社 1983 講談社文庫
 ※2.「ばいも」中国原産のユリ科多年草。
 ※3. 田中文雄インタビュー・構成「ロマンと幻想の詩人 香山滋インタビュー」(幻想文学 第八号』幻想文学会出版局 1984 所収 p.111-112) 岩谷書店版『ソロモンの桃』の後書きでも、本作を「私にとっても自信のある作である」と語っている。
 ※4. (同上 p.106)


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