「夢野久作 」カテゴリ記事一覧


夢野久作『あやかしの鼓』

 夢野久作『あやかしの鼓』(『夢野久作全集〈1〉』 中島河太郎, 谷川健一編 三一書房 1969 所収)

 100年ほど前、名工によって作られた鼓には、一人の女性への強烈な思いが込められていた。裏切られた男が抱く激情、愛おしさや恨みつらみ、彼女の行く末の幸福を祈り、破滅を願う。そんな情念が込められた鼓は、いつしか「あやかしの鼓」と呼ばれ、幸福と災厄をもたらすと噂されるようになった。
 時代は下って大正。主人公は病床の父親から「あやかしの鼓」にまつわる因縁話を聞かされることになる。実はその鼓を製作したのは主人公の祖先であり、存在さえ定かでなかった鼓が実在し、あまつさえ父親はそれを実際に手にしたことがあるという。彼の父親もまた腕のいい鼓職人だったのだ。「お前はこれから後、忘れても鼓をいじってはいけないぞ」という父親の諫言も虚しく、主人公は鼓の魔に誘われるかのように因果の連鎖に取り込まれていく。

 呪われた「鼓」にまつわる因縁の物語。大正15年、雑誌『新青年』の懸賞に2等入賞した、作家「夢野久作」のデビュー作である。探偵小説好きの親族にアイデアを話して聞かせたところ、面白いから『新青年』に応募すべきと勧められて応募したらしい。それをきっかけに、澁澤龍彦をして「泉鏡花以来はじめて近代日本文学史上に現れた、真の幻想家的資質を備えた作家」(※)なんて言わしめる作家が爆誕したのだから面白い。親族の人GJだ。

 改めて読み返してみて驚かされるのは、この作品の夢野久作的完成度の高さだ。スタイルが完全に確立されていて、若書きっぽさを全く感じさせない(ついでに初々しさもない)。鼓の音が響き渡るような静謐さと、ほぼ狂ってる女のどす黒い情念の噴出、そのコントラストが美しい。混沌として虚実の掴み難い世界の中心に、呪いそのもののような鼓が静かな存在感を放っている。どこから見ても立派な怪奇小説なので、「探偵小説」らしいところ、殺人事件のくだりなどは少々余計なようにさえ感じられた。器物の呪いをモチーフにした作品として出色の一作である。
 江戸川乱歩はこの作品を評して「人間がちっとも書けてない」的なことを記しているが、『人間椅子』(←前の記事へのリンクです)のような傑作フェチ小説をものにした作家として、この鼓の妖しさについてはどんな風に感じたのだろうか。

 この作品には後に『ドグラ・マグラ』として結実する要素がすでにばっちり揃っている。遺伝する狂気、逃れ難い因縁、情念、変態性欲などなど。考えてみれば「親の因果が子に報い」式の話って、遡ればキリがないほど古典的なはず。にも関わらずこの作品は今も全く古さを感じさせない。不思議。


 ※澁澤龍彦『偏愛的作家論』青土社 1978 p.297


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夢野久作『幽霊と推進機』

 夢野久作『幽霊と推進機(スクリュウ)』(『夢野久作全集〈2〉』 中島河太郎, 谷川健一編 三一書房 1969 所収)

 あとでまた変えればいいか……と思って以来、かれこれ3年以上経つこのブログのタイトル。あまりにもアレなのでこれまでに何度か変更を考えたことがある。まあ普通に読書メモなんだけど、もうちょいかっこよくしたい。傾向を反映できればなおいいかな……なんて考えてはみたものの、さっぱり思いつかない。思いつかないけど、世間にはまさにこんな感じ! ってのはあって、それがこの「幽霊と推進機」ってタイトル。全然読書メモな感じじゃないけど、かっこいい!

「狂気」のイメージが強烈な著者の作品には、頭のおかしい人が確かにバンバン出てくるし、奔放で諧謔味の過剰な文体も実に狂ってるっぽい。しかし作品の構成そのものは、多くの場合「狂気」とは程遠い感じで美しく整っている。この『幽霊と推進機』もタイトルだけ見ればミシンと蝙蝠傘みたいなよく分からなさで(けどかっこいい)、まーたナンセンスっぽい作品かなあと思うけど、実際には『怪奇小説傑作集』にでも収録されてそうな古典的な格調を備えた海洋奇譚で、タイトルに偽りなしの幽霊とスクリューにまつわる物語が展開される。

 香港からシンガーポールへの航海の途上、主人公の乗り込んだ貨物船に二人の病人が出た。「チブス」に罹患していたのだ。早急に手を打たなければ手遅れになるだろう。感染の怖れもある。ところが船には船医がいなかった。気の荒い水夫長が半殺しの目に合わせてしまったのだ。船員は皆成すすべもなく、ただ狼狽えるばかりである。そんなとき貨物船が激しい時化に見舞われてしまう。
 数日間続いた嵐が去ったあと、患者を隔離していた「チャンコロ部屋」の異様な状況が明らかになった。二人の患者が激しく乱れた様子で死亡していたのだ。嵐の最中、船体の動揺に振り回されたのか、死体は惨たらしい有様だった。やがて二人の水葬が執り行われたが、水夫長の挙動がどうもおかしい。不審に思った主人公が水夫長の船室の様子を窺ってみると、そこには水夫長の身体がうつ伏せに投げ出されていた。そしてその足元には二つの影が……。

 このあと幽霊が出るのだが、クライマックスはほの赤いランタンの下に再び幽霊が現れて以降の怒濤の展開。荒れた海面に浮上した死体袋に拳銃を乱射したりする。「チャンコロ部屋」の凄惨な状況も忘れ難い。最後の最後ですべては脳が勝手描いた夢なのではないか、という疑問が提示され、証拠ないでしょ? って感じで終わる。
 著者の作品のなかでは少しマイナーめの作品ではあるが、様々な人種が乗り込んだ狭い船内の猥雑さ、そのなかでアクセルをおもっきり踏み込むようにおかしくなっていく登場人物の様子が、短いページ数で見事に表現されている。タイトルもかっこいい。


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夢野久作『笑う唖女』

 夢野久作『笑う唖女』(『夢野久作全集〈3〉』 中島河太郎, 谷川健一編 三一書房 1969 所収)

 村の青年医師の婚礼の宴のさなか、孕んだキチガイ女の花子があらわれた。言葉にもならない奇声を発してわめき散らし、青年医師にすがりついて離れようとしない。モルヒネを打ってどうにか引きはがすと、納屋に寝かしつけた。
 実は去年の八月、性欲を抑えきれなくなった青年医師は、森のなかで出会った花子を犯していたのだった。彼女の腹の子の父親はおそらく青年医師である。
 仲人立ち会いの床盆の式を済ませて、初夜の床についた花嫁はいつのまにか寝息をたてはじめた。モルヒネを打たれた花子もまた、納屋のなかで身動きひとつできずにいるだろう。過去の過ちを消し去るチャンスはいましかない。青年医師は足音を忍ばせて納屋に向かった。

 花子の狂いっぷりから、八月の森のなかでのできごと、最後の納屋の場面まで、著者の筆力と独特の美意識が遺憾なく発揮された傑作キチガイ小説。まるで心霊談のような超怖ろしいシーンもある。上記のような簡単なあらすじからは、おそらくこの作品の魅力は伝わらないと思う。全編どこをとっても熱量のある美しい描写で埋め尽くされている。

 まずは冒頭、変な女があらわれたってことで、それを見に行くところ↓

玄関の夕暗の中をズウーッと遠くの門前の国道まで白砂を撒いて掃き清めてある。その左右の青々とした、新しい四目垣の内外には邸内一面の巴旦杏と、白桃と、梨の花が、雪のように散りこぼれている。その玄関に打ち違えた国旗と成年会旗の下に、男とも女ともつかぬ奇妙な格好の人間が、両手を支いて土下座している。(p.305)


 白砂の上に白い花びらが降る真っ白で清浄な空間に、ぽつんとシミのような人影という鮮烈なイメージ。頭上にはご丁寧にも国旗が飾られている。さらにこの「奇妙な格好の人間」花子の描写が続く↓

頭は蓬々と渦巻き縮れて、火をつけたら燃え上りそうである。白木綿に朱印をペタペタと捺した巡礼の負摺を素肌に引っかけて、腰から下にいろいろボロ布片を継合わせた赤黒い、大きな風呂敷様のものを腰巻きのように巻きつけている恰好を見ると、どうやら若い女らしい。全体に赤黒く日に焼けてはいるが肌目の細かい、丸々とした肉付の両頬から首筋へかけて、お白粉の積りであろう灰色の泥をコテコテと塗りつけている中から、切目の長い眦と、赤い唇と、白い歯を光らして、無邪気に笑っている恰好はグロテスクこの上もない(p.305-306)


 その見てくれもさることながら、くり返し描かれる花子の奇行がこれまた凄まじいのだが、不思議なことに読んでいるうちに花子に対する切ないような気持ち沸き上がってくる。必死でなにかを訴えかけようとする彼女のことが、どんどんかわいらしく思えてくるのだ。「アウアウアウアウアウ。エベエベエベエベエベ」(p.306)しかいってないのに。……さすがキチガイ小説の巨匠。

 そして五円玉にも欲情するような青年医師が、八月の鎮守の森を行くシーン↓

忽ち、たまらない草イキレと、木陰の青葉に蒸れ返る太陽の芳香が、おそろしい女の体臭のように彼を引包んだ。行けば行くほどその青臭い、物狂おしい太陽の香気が高まって来た。彼は窒息しそうになった」(p.312)


 禁欲状態にある男が植物の臭いに欲情するという描写は、前に感想を書いた『白菊』(←前の記事へのリンクです)のなかでも印象的に用いられていた。『白菊』は非道の限りを尽くしてきた犯罪者が、眠る少女の無垢さに打たれて破滅するという物語だったが、この作品もまた「神々しいくらい純真に輝く瞳」(p.313)を持った狂女の純粋さに、前途洋々たる青年医師が自らの罪を隠蔽しようとして身を滅ぼすという物語だ。著者の作品というとエログロナンセンスをイメージしがちだけれど、こうした純粋さの悲喜劇をテーマとする作品は多い。

 著者の『猟奇歌』のなかには「唖の女が/口から赤ん坊生んだゲナ/その子の父の袖をとらへて」(※)という一首があって、『笑う唖女』はこの歌をブローアップしたものではないかと思う。


 ※夢野久作『猟奇歌』(『夢野久作全集〈7〉』 中島河太郎, 谷川健一編 三一書房 1970 所収)


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夢野久作『猟奇歌』

 夢野久作『猟奇歌』(『夢野久作全集〈7〉』 中島河太郎, 谷川健一編 三一書房 1970 所収)

 先月『夢野久作全集』を引っぱり出してきてから、あちこちつまみ読みしてるんだけど、あらためて読み直してみて今さながらに面白いと感じたのは『いなか、の、じけん』と、この『猟奇歌』だった。以前は「短歌かよ」って感じで(短歌の人すみません)、スルー気味だったのだ。反省。
 というわけで、短歌には短歌なりの鑑賞の仕方があるのかもしれないけど、全然分からないので、いつも通りの感想書きます。

『猟奇歌』は雑誌『猟奇』『ぷろふいる』に発表された、モチーフが猟奇的ならOKな短歌の総称で、もともとは夢野久作の歌に限ったものではなかったらしい。質と量で他を圧倒した結果、『猟奇歌』といえば夢野久作ってことになったとか。とはいえ、かなりむちゃな感じの歌も多い。たとえばこんなの。

頭の中でピチンと何か割れた音
イヒゝゝゝゝ
……と……俺が笑ふ声


ピストルが俺の眉間を睨みつけて
ズドンと云つた
アハハのハツハ


 ……時にやりずぎじゃないかと思うほどの諧謔は、著者の目立った特徴の一つだけれど、『猟奇歌』ではその純度がより高くなっている。それがどうにも露悪的に感じられて、以前はちょっと苦手だったのだ。ところがじっくり読み返してみると、興味深い歌や、美しい歌がいくつもあった。

水の底で
胎児は生きて動いてゐる
母体は魚に食はれてゐるのに


 なんといっても「胎児」って言葉のイメージが強く、『ドグラ・マグラ』の「胎児よ/胎児よ/なぜ躍る/母親の心がわかって/恐ろしいのか」(※)という巻頭歌を容易に連想させる。しかしここで詠まれた絶望感は、著者の代表的な短編のひとつ『瓶詰の地獄』の印象に近いように思う。母親は子供を孕んだために、殺されて遺棄されたのかもしれない。なにも知らずに羊水のなかでたゆたっている胎児には、避けがたい破滅が迫っている。透明な体内を覗き込むような不思議な感覚と、美しさが感じられる一首である。『瓶詰の地獄』といえばこんな歌もある。

美しく毛虫がもだへて
這ひまはる硝子の瓶の
夏の夕ぐれ


 瓶のなかでごにょごにょ動きまわる毛虫を美しいと詠むあたり、さすが夢野久作。毛虫を瓶に閉じこめる子供っぽい残酷さと、そのさまを官能的に捉える大人の感覚がごちゃ混ぜになっていて、実に著者らしい一首だと思う。夕日を背景にしたイメージは鮮明で美しく、毛虫の柔らかさにガラス瓶の質感が冴えている。

 次の二首は花と少女を詠んだ歌。

枕元の花に薬をそゝぎかけて
ほゝゑむでねむる
肺病の娘


血のやうに黒いダリアを
凝視して少女が
ホツとため息をする


 こうして並べるとまるで対になっているかのような綺麗な歌である。前者は死の影の忍び寄る白々とした病室の少女、後者は身体に血潮を漲らせる年頃の少女を描いている。色彩的にも鮮やかに好対照だ。「エロ・グロ・ナンセンス」のイメージの強い著者だが、意外にも花や少女をモチーフにした作品も多い。それはこの『猟奇歌』に限ったことではなくて、以前感想を書いた短編小説の『白菊』などはその好例である。少女と花の醸し出すはかなさや、うつろいやすさ、純粋さに、著者は残酷な美を見出しているのだろう。

『猟奇歌』は1928年から1935年にかけて発表されたもので、同時期には数多くの代表的な小説が執筆されている。驚くほど多彩な歌の数々は、そうした作品群のエッセンスか、種子のようにも見える。正直短歌の良し悪しってよく分からないけれど、この『猟奇歌』については、キャッチーな諧謔やグロテスクな表現ばかりではなく、小説や童話なども含めた著者の作品全体に通底する独特の美しさが、より分かりやすい形で表現されていると思う。


 ※ 夢野久作『ドグラ・マグラ』(『夢野久作全集〈4〉』 中島河太郎, 谷川健一編 三一書房 1969 所収 p.6)


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夢野久作『白菊』

 夢野久作『白菊』(『夢野久作全集〈3〉』 中島河太郎, 谷川健一編 三一書房 1969 所収)

 夢野久作の作品のなかでもとくに好きな『死後の恋』の感想を書いたので、この機会にもう一つこの作品についても書くことにした。著者の卓抜した表現力とロマンチシズムが顕著に顕われた、美しい短編だと思う。

 網走刑務所から脱走して虐殺と略奪を重ねた凶悪犯が、窓から漏れる不思議な赤い光に誘われて、とある館に侵入する。侵入するとすぐに光の正体は明らかになった。それは館の一室の、淡紅色の絹布に包まれたシャンデリアの灯りであった。室内の四方の棚には天井近くまでぎっしりと人形が収められ、巨大なテーブルには数限りない動物や食器のミニチュアが並んでいる。人形ばかりの小宇宙、桃色の微笑の世界だ。「その神秘と、平和にみちた永遠の空虚の中に、偶然に……真に偶然に迷い込んでいる彼自身の野獣ソックリの姿……。」(p.135)名状しがたい感情に、男は激しく動揺する。
 寝台には西洋人の少女が一人眠っていた。黄金色の巻毛をした幼い女の子で、部屋中のどの人形よりも端麗な顔立ちをしている。そんな少女の「寝息とも……牛乳の香気とも……凋れた花の吐息ともつかぬ、なつかしい、甘ったるい匂い」(p.136)。激しく欲情した男が少女を手にかけようとしたその刹那、星が枕元のガラス窓の向こうを流れる。気付けば窓の外は満天の星空である……。

 色々なタイプの作品を書いている著者だけど、やはり期待通り猟奇的なものが多く、そうでなくても猟奇的な要素が突っ込まれている場合がほとんどで、このおとぎ話のような作品にもそういった要素がしっかり導入されている。とは言え作品の中核を成すような扱いではなく、あくまでも主人公の男の凶暴なキャラ付けの一環としてって感じ。
 それよりもこの作品で特徴的なのは、著者がいつもの猟奇的なグロ描写や、キチガイキャラに傾けるのと同様の情熱で、花や少女やそれらの放つ芳香を執拗に描写しているという点だ。美しい悪夢のような人形の部屋、芳香で息苦しいほどの花壇、どちらも精密で豊かな表現で描き出され、主人公である脱獄犯の心を揺さぶり、容赦なく突き崩していく。そして哀れな犠牲者が暴力によって命を奪われるように、暴力的な人非人は、花や少女の無慈悲な清らかさによって命を落とす。正確には死んでるかどうか分からないのだけど、きっと死んでいる。

『ブルーベルベット』(1986)という映画のなかに、おかまが口パクで熱唱するロイ・オービソン(Roy Kelton Orbison)の『In Dreams』(劇中では『眠りの精はお菓子のピエロ』1963)を聞いて、粗暴な麻薬中毒者で変質者の男が感極まるというシーンがある。その場面を見るたびに、決まってこの『白菊』を思い出す。映画で歌われる『In Dreams』が、あまりにもこの作品にぴったりだからだと思う。


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夢野久作『死後の恋』

 夢野久作『死後の恋』(『夢野久作全集〈1〉』 中島河太郎, 谷川健一編 三一書房 1969 所収)

 先日「死ぬまで使えるブックガイド」という煽り文句に釣られて『東西ミステリーベスト100』という本を買ってみた。著者の代表作『ドグラ・マグラ』は見事4位にランクイン。書かれてから80年近く経つ本なのにすごい。ミステリーはあまり読んでないのだけど、1位から4位までは、意外なことにどれも読んだことのある作品だった。別のジャンルの読者も惹き付けるからこその上位入賞作品なのだろう。

『ドグラ・マグラ』が飛び抜けて有名な著者だけど、短編作品にも魅力的な作品が多い。なかでもこの『死後の恋』はとくに好きな作品の一つで、ロシア最後の皇帝ニコライ二世の末娘「アナスタシア」と、その財宝をめぐる話。
 ロマノフ家については、今世紀に入ってからDNA鑑定などが行われたこともあって、とりあえずは一段落って感じなんだけど、長い間虚実が入り乱れて面白いことになっていた。処刑されずに亡命したとか、家族揃って硫酸で溶かされたとか、もう一人皇女がいるとかいないとか。関連研究本も多い。アナスタシアに関しては複数の偽者が現れたりもした。こんな混乱ぶりが多くの作家の想像力を掻き立てたらしく、ジャンルを問わず数多くの作品の元ネタとなっている。この作品もまたアナスタシア生存説に基づいて書かれたものだ。

 物語は「風来坊のキチガイ紳士」と呼ばれる男の身の上話に、アナスタシアを絡めるという形をとっているが、上記のように史実上の混乱した背景があるうえ、そもそもこの男の話の真偽のほども定かではない。虚実ごちゃまぜで曖昧なネタをもとに、真偽の定かでない物語を展開するというハチャメチャぶりが実に著者らしい。
 とは言え作品全体が曖昧模糊としているわけではない。例えば江戸川乱歩が賞賛したという、野原で銃撃音を聞くシーンの張りつめた空気。ガソリンマッチの炎に浮かぶ森のなかの殺戮現場の、脳みそにこびりつくような鮮やかなイメージ。そして極めつけは、全裸で木に吊るされた「戦友」の凄まじい死にざまである。

その肉体は明らかに「強制的の結婚」によって蹂躙されていることが、その唇を隈取っている猿轡の瘢痕でも察せられるのでした。のみならず、その両親の慈愛の賜である結婚費用……三十幾粒の宝石は、赤軍がよく持っている口径の大きい猟銃を使ったらしく、空包に籠めて、その下腹部に撃ち込んであるのでした。私が草原を匍っているうちに耳にした二発の銃声は、その音だったのでしょう……そこの処の皮と肉が破れ開いて、内部から掌ほどの青白い臓腑がダラリと垂れ下っているその表面に血にまみれたダイヤ、紅玉、青玉、黄玉の数々がキラキラと光りながら粘り付いておりました(p.106)


 赤軍の兵士によって、さんざん陵辱された後に殺害されたのだろう。「掌ほどの青白い臓腑」とは、はみ出した子宮だろうか。まるで暗い森の奥に咲いた青白い花を、色とりどりの雫で飾るかのような、気合いの入った描写である。「戦友」の表情や立ち振る舞いが、これまでとは違う意味を持ってフラッシュバックする。
「風来坊のキチガイ紳士」の身の上話の真偽は、結局最後まで分からない。しかし森のなかの一幕、宿業が結晶化したような凄惨なイメージは、強く心に残る。


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