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狩久『壁の中の女』

 狩久『壁の中の女』(鮎川哲也編『怪奇探偵小説集〈続々〉』双葉社 1976 幻の傑作ミステリー 所収)

「彼」はいつも窓外の銀杏の木を見つめているようだった。……症状が好転しているわけではない。それでも生気が蘇ったかのような彼の様子に「主治医」は首を傾げた。彼の世話をする「老女」は、死ぬ前に人は一度元気を取り戻すという。主治医は気付いてなかったのだ。彼の見つめているのが窓の外の銀杏ではなく、室内の一点、壁の黒ずんだ羽目板だったことに。
 黒い服をまとった美しい「女」は、常に唐突に彼の前に現われた。「……来たわ」彼はそれ以外の言葉を女の口から聞いたことがなかった。言葉のあとには、臆面のない行為があった。そして行為が終わると、女の姿はすでにその部屋になかった。
 ある雨の午後、彼は女に問いかけた。「……いつも、どこから、来るの?」途端、女の姿は消え失せた。今まで女のいた辺りには、壁の黒ずんだ羽目板。女が羽目板になった、と彼は思った。その日、一日中、彼は羽目板を見つめていた。
 やがて彼は羽目板の背後の空間から一冊のノートを発見する。細字を書き込まれたノートの間には、あの女の写真が挟み込まれていた。老女によるとこの部屋には以前、彼と同じように肺を病んだ、小説家志望の少女が暮らしていたらしい。彼と女の逢瀬は、彼の命が尽きるまで続いた。

 タイトルからしてポーの『黒猫』(“The Black Cat”)っぽい話を連想するが、肺病で余命幾ばくもない青年の恋心を描いた、リリカルな怪奇小説だった。カテゴライズするなら『黒猫』じゃなくて、『楕円形の肖像』(“Oval Portrait”)やオスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』(“The Picture of Dorian Gray”)のような「絵画彫刻の怪談」(乱歩の『怪談入門』より)か。

 この前、実話怪談の感想で、周りに怪談を話してくれる人材がいない的なことを書いたけど、超常ではない怖い体験についてはたまーに話してくれる人がいる。古い日本家屋では天井の板の木目が子供を怯えさせるが、知人は幼い頃、母親の衣装箪笥の扉が怖くて仕方がなかったのだそうだ。二段ベッドの上の段に横になると、ちょうど目の前に来る箪笥の木目がでっかいカエルに見えて、なかなか寝付けなかったのだとか。昼間見るとなんてことないのに、夜、電気を茶色くすると(マリみて的表現)、リアルなカエルがにわかに浮かび上がって、こっちをじーっと睨むように見えたらしい。自分としては一人っ子の知人が、二段ベッドの上の段で寝てたことの方が気になったけど、さあ、ベッド親戚から貰ったんじゃね? とのことだった。……閑話休題。

 この作品の「女」はそんな木目のシミュラクラとかじゃなくて、何らかの情念の残渣、一応ゴーストの類いのようだ。びっしりと書き込まれたノートと幽霊っていうと「呪怨」(2000〜)の伽倻子嬢を連想してしまうけど、こっちの幽霊はもっと儚げでシャイで、しかもエロいという非常に好感の持てるキャラである。早すぎる死に対するせめてもの救いなのかな。主人公にとっては。……実はこの「女」には老女だけが知る重大な秘密があって、それがまさに知らぬが仏って感じのオチになっている。おかげで本作は甘切ないラブストーリーに終わらない、苦い(ほろ苦いじゃなくて)余韻を残す作品となった。雑誌『探偵実話』(昭和33年2月号)掲載時の本作の原題は『壁の中』だった。挿絵は花輪和一。


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