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幸田露伴『骨董』/『魔法修行者』

 

 幸田露伴『骨董』
 幸田露伴『魔法修行者』(『幻談・観画談 他三篇』岩波書店 1990 岩波文庫 所収)

『骨董』
 先日久々に実家に帰ったところ、前にちょっと書いた庭の雑な築山の頂上に妙なものが置かれていた。それはカマクラの形をした高さ40センチくらいの黒い物体で、モダンなデザインの石灯篭みたいなものらしかった。電気を引けば光らせることもできるとのことだが、ゆるい築山の上に鎮座したそれは、どーみても黒い乳首だった。自分が近所の小学生だったら、確実に「チクビ山」とか「おっぱい山」とか名付けてるわこれって感じだった。なんでよりによって頂上に置いちゃったかな。…… もともとセンスの悪い庭だったのだが、思いつきで色々やってるうちにワケがわからなくなってしまったようだ。どこで買ってきたのか貰ってきたのか、錆びて赤くなったストックアンカーとか置いてある。雑草なのか判断のつき難い植物も繁茂してもう手の施しようがない。ターシャ・テューダーの庭みたいなのは、草木がやたら茫々と生えてるように見えるけど、あれでしっかりした美的感覚がないと成立しないのだ。

 で、「骨董」について。骨董といえば、車で行ける範囲に小さな骨董市や骨董の並ぶ朝市がちょこちょこあって、気が向けば出かけている。また年に何回かある大きな骨董市には時間に余裕があれば足を運ぶようにしている。といっても目当てがあるわけじゃないので、正真正銘の冷やかし客である。以前ムチ打ちになって長期間お世話になったお爺ちゃん先生は「得するつもりで骨董をいじるな」的なことを座右の銘のように言ってたし、訊いてもないのに「焼き物には手を出すな」ってありがたいアドバイスもいただいた(診察室には絵皿が飾ってあった)。まあ先生に言われるまでもなく、骨董市って規模が大きくなるほどそこで扱われる商品も高額になるから、ふらっと足を運んで衝動買いできるような価格帯で、なおかつ自分にとって魅力的な商品なんてまず見つからない。見つからないけど、ぶらぶら見て回ってるだけでこれが結構楽しい。博物館のケースの中にあるような装飾の付いた須恵器がぞろっと並んでいたりする。残念ながら加工されて装飾品になってしまってることが多いが、アンモナイトなどの化石を見かけることもある。立派なニッポニテスが売られてることもあった。どれもぱっと買えるような値段じゃないけど、間近に見れて、手に取れるところは博物館よりもお得感があるように思う。博物館とは違って頑張れば買えるしね。

 そーいえば少し前に骨董市の会場で美しい陶器を見た。それは草の露で濡れたような緑色の小ぶりな酒杯で、ショーケースの中の立派な共箱の上にちょこんと飾られていた。10メートルくらい離れてみても、視線が吸い寄せられる感じ。店のおじさんが色々語ってくれたところによると、人間国宝の人が有名な正倉院三彩(奈良三彩)を復元したものらしい。おじさんの「最近中国人が増えて市場が荒れてる」とか、そんな話を聞き流しつつ、しげしげと見させてもらったのだが、「人間国宝!!」ってのが効いたのか、見れば見るほど釉薬のこってりかかった緑の肌の色つやが素晴らしく感じられてくる(プラシーボ効果)。これで一杯やったらさぞかしいい気分だろうなーとか。← 全然飲めないのに。店のおじさんは「兄さんだったらこのくらいでいいよー」なんて言ってるし。上記の「焼き物には手を出すな」って金言がなかったら、まじでうっかり買うところだったよ!
 で、その日、帰ってから色々調べてみると、あの店のおじさんの提示した値段が、市場価格よりもかなり安めなことがわかった。商売っ気があるのかないのか、きっと買わないだろうなーって推し量ってのことなのかもしれないが、めっちゃ良心的だ。この作品『骨董』で語られるタチの悪い骨董屋とはイメージがまるで違う。

 …… 感想じゃない話はがり書いてしまったが、幸田露伴の『骨董』は、骨董に振り回される人々の悲喜こもごもや、骨董にまつわる中国、日本の逸話など、骨董よもやま話を詰め込んだ楽しいエッセイである。語り口は基本そこはかとないシニカルさを漂わせていて、ときとして非常に辛辣になる。上記の「得するつもりで骨董をいじるな」みたいな訓話的な内容も多分に含んでいて(ほとんどそればっかと言っても過言ではない)、いくつか例をあげると「金持ちは骨董に金をつぎ込むべし(そして贋物を大いに買い込むが良い)」「中流はジャンルを絞って精進すべし」「掘り出しを意図するは悪性の料簡と知るべし」などなど。…… いいこと言ってるようで、シニカルというか、なんとなく言葉の端々に恨みつらみが滲み出ているように思えてならない。古物に対する著者の複雑な思いを感じられる作品。


『魔法修行者』
 こちらもエッセイ風の作品で、鬼神を使役したと伝えられる「役小角」を筆頭に、「細川政元」「九条稙通」といった歴史上の「魔法修行者」と、「外法」「吒枳尼法」「飯綱の法」などのわが国における「魔法」の類を連想ゲームのように取り上げ、考察している。キツネ関連が多くて、オカルト好きな人にはわりと聞き慣れたネタが多いと思うが、『帝都物語』(1988)の「幸田露伴」がチラッと見える気がしてなんか嬉しい。著者の語り口は嬉々としていて、オカルトに対する深い愛着が感じられる。ただ上記の『骨董』と比べると、語り口に関してはシニカルな味わいがある『骨董』の方が面白かった。ネタ的には当然こちらの『魔法修行者』の方が好みなのだけど。

 最後に「吒枳尼法」について少しだけ書いておくと、この「吒枳尼」というのは、もともとはヒンドゥー神話の殺戮の神「カーリー」の眷属「ヤクシニー」という怖い神様で、仏教に取り入れられ「荼吉尼天/吒枳尼天」(だきにてん)となった。インドの後期密教では性の女神として信仰され、ネット上でも全裸で踊る美しい女神の像を見ることができる。わが国の中世においては、ルーツがルーツなだけに祀ればその神威は強力で、うっかりすると自らの身を滅ぼすどころか、天災が起きるともいわれていた。そんな「吒枳尼天」を祀るための修法が「吒枳尼の法」である。やがて様々な日本流のカスタマイズの末、吒枳尼天は白いキツネに乗る天女の姿で表わされるようになり、現在も「豊川稲荷」をはじめとする多くの寺院で鎮守として祀られている(現在の転読や祈祷は中世の「吒枳尼法」とは全く別のものである)。確かBABYMETALが信奉する「FOX GOD」はこの吒枳尼天の白狐ではなかったか。あれだけ広範に強烈な教化活動を行えば神様もさぞお喜びのことだろう。

「われはこれ吒枳尼眞天なり、今より将に師の法を護するにこの神咒を以てし、又師の教化に帰服する者を守りて、常に安穏快楽ならしめん、必ず疑うこと勿れ」(豊川稲荷「豊川吒枳尼眞天の由来」より)。


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幸田露伴『観画談』

 

 幸田露伴『観画談』(『幻談・観画談 他三篇』岩波書店 1990 岩波文庫 所収)

 絵画や彫刻にまつわる怪奇・幻想の小説というと、幸田露伴にもそれっぽい作品がいくつかある。この作品もタイトルの通り絵にまつわる怪異譚で、実話怪談の体。「人名や地名は今は既に林間の焚火の煙のように、何処か知らぬところに逸し去っている」(p.47) って感じの、美しく格調の高い(そして所々難しい)文章で記されている。自分なら「人名や地名は今ではすっかり忘れてしまっている」って書くところだ。

 主人公は貧しい大学生。年齢と年寄りじみた態度から「大器晩成先生」などと呼ばれている。ある時、彼は不明の病気に襲われ、しばらく心身の保養に努めることになった。そこで東京の塵埃を背後にすると、降りしきる雨の中、霊泉が湧くという奥州の山奥の貧乏寺を訪れたのだった。寺には四十ばかりの「和尚」と「若僧」が二人で暮らしいるらしかった。幸いにも投宿を許され、晩成先生はようやく床に着くことができた。
 深夜、睡眠は破られた。激しさを増した雨に出水の恐れがあるらしい。小山の上の隠居所の草庵に、晩成先生一人避難してくれないかという。土砂降りの中、真っ暗な山道を若僧に先導され辿り着いた草庵には、「老僧」が座布団に胡坐していた。どうやら耳が聞こえないらしい。「□□さん」と、自分の名字を言われたのが気になったが、若僧が手話で伝えたのだろう。室内を見渡すと煤けた額に「橋流水不流」とある。意味が分からず考え込んでいると、突然、途方もない大声で「橋流れて水流れず」と、耳元で怒鳴りつけられた。それをスルーした晩成先生、なおも室内を見ると、壁に大きな古びた画の軸が懸かっている。非常に綿密な画らしい。そこで近付いて見つめてみると……。

 以前感想を書いた『幻談』は、長々と釣り関連のよもやま話が続いた後、最後の方で少しだけ「幻談」という構成だった。この作品もその点では同じような感じなんだけど、もっと極端で、ほとんどのページが「大器晩成先生」が山寺に辿り着くまでの僻地窮境の荒々しく美しい光景と、山寺で食事をしたり避難をしたりという描写で占められている。具体的に怪異が発生するのは最後の数ページである。ところが読み進めるうちに、豪雨の夜の山道や、草庵の妖しい雰囲気に呑まれて、実はもっと前から、それとは分からない異世界に足を踏み入れていたのではないか、そんな気がしてくる。そしてその世界とは、最後のシーンで晩成先生がかいま見た、画の中の小さな世界なのでは……。すべてが一枚の画に収斂する感覚が不思議な、三半規管を刺激する作品。

 本作が収録されている『幻談・観画談 他三篇』 は巻末の解説がとても充実していて、この作品の奥深い魅力が語り尽くされている。


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幸田露伴『幻談』

 

 幸田露伴『幻談』(『幻談・観画談 他三篇』岩波書店 1990 岩波文庫 所収)

 徳川もまだ末にならない頃の話。小普請入り(非役の武士)となった「旦那」は暇さえあれば老船頭「吉」の舟で魚釣りに出ている。気心の知れた二人のこと、焦って無闇に魚を獲ろうというのではなし、まったりムードの釣行である。その日はまるで釣果のないまま日暮れを迎えていた。諦めて江戸の方に向けて漕ぎ始めると、やがて蒼茫と薄暗い海面に奇妙なものが見えた。釣竿が一本、海面から不自然に突き出しているのだ。舟を寄せて竿の根元の方を見ると、なかなかの身なりの溺死体が水中で竿を握っている。よほど強く握り込んだまま死んだらしく、舟の上から引き上げようとしても竿を離そうとしない。船頭の吉によるとその竿は「野布袋」というかなりの逸品らしい。そこで仕方なく死体の指を折る事にしたのだが……。

 内容としては昨今の実話怪談と全く変わらない。全然違ってるのは語り口で、全編の半分以上が魚釣り関連のよもやま話で占められている。タイトルが「幻談」なので、いつその手の話が始まるのかと思って読んでいたのだが、全然始まらないのでなんだこれって思った。ところがその釣りの話が妙に面白いのである。こんな釣り方は下品だとか上品だとか、そんな話が続く。聞いたことのない単語がどんどん出てきて、それについてやんわりと解説が入る。この語り口がすごく上手い。
 そんな釣りトークを楽しんでいるうちに、いつの間にか「本題」に入っている。夕暮れの凪いだ海面に、木の葉のように浮かぶ小舟がありありと思い浮かぶ。発生する怪異は登場人物の罪悪感に根ざしたごく地味なものだが、リアリティがあって不気味だった。

 この作品は著者幸田露伴の最晩年の作である。幸田露伴というと『帝都物語』(1988)で加藤保憲相手に奮闘&撤退してるイメージがやたら強いが(あと明治村に家があるとか)、非常な趣味人で、この作品からも分かるようにとりわけ釣りが好きだったらしい。自分は魚介類の生態や、それを食べることについてはわりと興味があるのだけれど、残念ながら魚釣りに興味を持ったことがない。子供の頃釣り好きの親戚に半ば無理やり磯に連れて行かれた時も、ずっとカニを取ったり貝殻を拾ったりイソギンチャクを突ついていたクチだ。だからこの作品は釣り好きな人が読んだら、もっと楽しめるんじゃないかと思う。釣り好きで怪談好きの人なら尚更。


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