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M・ジョン・ハリスン『からっぽ』

 M・ジョン・ハリスン(M.John Harrison)著, 宮脇孝雄訳『からっぽ』("Empty" グリーンバーグ&ハムリー編『死の姉妹』扶桑社 1996 扶桑社ミステリー 所収)

 子供の失踪者を捜して生計を立てている主人公が、保護されて家に戻った少女のカウンセリングを依頼される。少女の行方不明期間はたったの二日。主人公は単なる家出少女になんで俺が……などと思いつつ面談を開始するが、少女の追想には理解し難い異様な要素が含まれていた。どうやら少女にはもともと家出する意思はなかったらしい。彼女はパーティーのあと、遊びに出かけた山の石切り場で道に迷い、山道で知り合った奇妙な女とともに二日間を過ごしたという。その女は少女を誘って墓地に入った。そしてその後一日中、太陽がさんさんと降り注ぐなかを二人して歩きまわったらしい。現実の当地には2インチも雪が降り積もっていたというのに。少女の足取りを辿る主人公の前に、妖しい女の影が見え隠れする。

 ハードボイルド+女吸血鬼って感じの作品で、派手に銃をぶっ放すようなバトル展開はない。至極地味。主人公が少女の調査を進める過程で、彼の幼少時の記憶や人生に疲弊した心情が重層的に挿入されて、奥行きのある作品となっている。そのため実際のページ数より長く感じるし、重い。女吸血鬼はちらっとしか登場しないが、主人公や少女に与える影響は超激しく、禍々しい存在感を放っている。



 少女が迷子になったのはイングランドの中央部、マンチェスターとシェフィールドの間の荒地。劇中「誰も住んでない丘が広かっているだけで、何もないところ」と説明されるが、ストリートビューで見てみると、すごい荒涼とした風景が広がっていて、見てるうちになんだかゾクゾクとしてくる。ここは「ピーク・ディストリクト」("The Peak District National Park")というイギリスで最初の国立公園らしい。『狼男アメリカン』(1981)でディビッドとジャックが襲われたあの荒野の感じというと、ホラー好きの人にはピンとくるかもしれない。もっとも『狼男アメリカン』の舞台となったのは、もっと北の方の「ノースヨーク・ムーア」というところだったのだけど。
 少女が住んでいるのはマンチェスター寄りのハイドという町で、フロスト警部に出てくるデントンの町がすぐ近くにある。こぢんまりした少々停滞した雰囲気の町で「ハイドはすでに寂れてしまった工業地帯のペッド・タウンだが、そこから派生して郊外にまた別の住宅地ができていた」(p.18)と説明される。どことなく日本の地方都市に似ているような気もする。ストリートビューで見ると雲が重く垂れ込めていて、オープンセットみたいに見える。
 そんな感じで舞台もまた地味だけれど、作品の重厚なトーンによく似合っているし、女吸血鬼が彷徨するにはぴったり。とくに主人公が女吸血鬼に遭遇する石切り場付近の荒涼とした描写は素晴らしい。女吸血鬼は悪臭、血の臭いをまとい、石切り場の砕けた石のあいだを、ハイヒールの音を響かせながら歩いていく。かっこええ。

 石切り場のシーンの他にも印象的なところがある。それは主人公が少女の両親の惨殺死体を発見する迫真の描写だ。両親は素っ裸でバスタブにどちゃっと放り込まれ、完全に死んでるのにどーでもいいような日常会話を続けている。アンデット化しているらしい。父親はバスタブから這い出ようと「タイル張りの浴槽を引っ掻き回していた。」(p.47)なんとも生々しい、怖ろしい描写だ。
 この少女の両親のように、吸血鬼に襲われて「からっぽ」になった人間がどうなってしまうのかというと、「スーパーマーケットのウェイトローズで買った冷凍食品を食べ、洗濯物にアイロンがけをしながら、今でもあの家に暮しているという。〔中略〕要するに、これまでと似たり寄ったりの人生だ。」(p.48)

 この作品が収録されている『死の姉妹』は、女吸血鬼が登場する作品のアンソロジーで、タニス・リーやラリイ・ニーヴンの作品など、全14編収録。「吸血鬼」じゃなくて「女吸血鬼」ってところがミソ。カーミラ好きな人には迷わずおすすめの一冊。

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