「手塚治虫 」カテゴリ記事一覧


手塚治虫『ブルンガ1世〈2〉』完

 

 手塚治虫『手塚治虫漫画全集 MT170 ブルンガ1世〈2〉』完 講談社 1983

 冒頭でマスターが死亡し、束縛から解放された「ブルンゴ」。ひとまず動物園に収容される「ブルンガ」とブルンゴだったが、逃げ出して山中に潜伏する。ところがブルンゴがハイカーを平気で襲うため、二匹はケンカ別れしてしまう。二匹を追っていた「ジロ」と「太郎」は、ストッパーのブルンガを失い凶暴化したブルンゴに襲撃されるが、どうにか洞窟に逃れることができた。そして二匹の子供の誕生を目の当たりにする。ヒトにボコられながらブルンゴがもうけた子供は、ヒトにそっくりの姿をしており、母親と同様ヒトを食料にするらしい。食われまいと抵抗するジロたちを救ったのは、洞窟を破壊して現れたブルンガだった。
 二人を救ったブルンガはその日を境に姿を消す。ブルンゴもまた人類を滅ぼすという野望を抱いて子供と共に地下へと逃れた。やがて夥しい数の悪魔の姿をした生物の群れが地上に侵攻を開始する。

 というわけで『ブルンガ1世』完結。TVアニメのプランでは、ブルンガと少年のペアが怪事件を次々解決していく一話完結の作品だったというから、すごい変わりようだ。そもそもこの第2巻ではブルンガがほんの少ししか出てこない。どんどん異形の子供を産んで、世界征服を企むブルンゴのピカレスクとなっている。マンガで読む分には一話完結式のヒーローものよりも、現行のこの形の方が読み応えがあるように思う。
 手塚治虫らしいなーと思うのは、二匹の怪物が人のメンタルを持っているところで、著者は人のメンタルを持たないロボットや怪物や動物があまり好きではなかったようだ。『どろろ』などにはしっかりその手の妖怪も出てくるから、不得手というより、やっぱ好みじゃなかったのだろう。描いてると飽きてくるとか。でもそのおかげで何の感慨もなく黙々と人を飲み込むケモノっぽさと、ヒトに似たメンタルを兼ね備えたブルンゴのような魅力的な悪役が出来上がるのだから面白い。ブルンコの悪役ぶりにヒトの悪人が霞んでしまって、太郎の敵討ちのエピソードなどは余計に感じられるほどだ。

 自分はとにかくこのブルンゴのキャラ、変身前の可愛いとこも、変身後の気味の悪い姿も、最後までブレない性格も大好きなのだが、著者はこの作品自体気に入ってなかったらしい。おなじみ漫画全集の「あとがき」はこんな身も蓋もない一節で終わっている。
「ぼくは何年かに一度ジレンマで谷底に落ち込むことがあって、この「ブルンガ1世」のときのコンディションは最低だったのです。何をかいてもつまらなく、人気も出ず、ちょうど虫プロの倒産もからんで、お手あげの状態だったのです。/「ブルンガ1世」のあと、週刊誌には長い間連載ができなくなってしまいます。次に「ブラック・ジャック」をかきはじめるまで、ぼくにとっては長い長い冬の時代でした。」



『手塚治虫漫画全集 MT170 ブルンガ1世〈2〉』
 講談社 1983
 著者:手塚治虫

 ISBN-13:978-4-0610-8770-5
 ISBN-10:4-0610-8770-3


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手塚治虫『ブルンガ1世〈1〉』

 

 手塚治虫『手塚治虫漫画全集 MT169 ブルンガ1世〈1〉』講談社 1983

 主人公の少年「ジロ」はある日、ホームレスっぽい老人から不思議な生物を託された。トランクに入ったその生物は人が念じれば、思い描いた姿に成長し、精神を反映して邪悪にも善良にもなるという。生物の名は「ブルンガ」。悪魔がこの世に創造した最後の生物である。
 その夜、「太郎」という青年と知り合ったジロは、二人してブルンガにイメージを注入することになった。ジロは「りこうなイヌのように、かわいいリスのように、人間の友だちになれる動物に!」と念じ、太郎は「トラとウマとワシとサメの強さを持った動物!」と念じる。実は太郎はイエロー・マイスと名乗り、アメリカで銀行強盗を繰り返し刑務所送りになった札付き。彼は自分の思い通りにブルンガを育て上げ、操ろうとしているのだ。
 やがてブルンガは二人のイメージした通りの、愛らしく、賢く、凶暴な怪物へと成長する。そして同じ頃、海の彼方のイスラエルでは、ブルンガのつがいとなるメスの怪物「ブルンゴ」が誕生しつつあった。

 手塚治虫の作品としては珍しいでっかい怪物が大暴れする作品。もともとはTVアニメ用の企画だったらしく、子犬のような通常の姿から、巨大怪物へとモリモリ変形するブルンガは実にアニメ向き。動いてるところを見たかった。人間のキャラ描写はかなり薄めで、怪物同士の交流と、数々の破壊、戦闘シーンがメインになっている。
 この巻の途中から登場するブルンゴは「ライオン、トカゲ、蛇、ハゲタカに似てドウモウで、おれには忠実な奴隷……。残忍で冷酷、殺人もアッというまにやってのける、なんにでもばけられる怪物!」という贅沢な願望から誕生した、ハイスペックに邪悪でキュートなメスの怪物である。ブルンガと比べるとその変形はグロテスクで、平気で人を襲い貪り食う。そんな凶暴な怪物なのに、マスターには絶対服従というギャップがまた素晴らしい(通常形態はめっちゃかわいい)。ブルンガと同様、人語を解し、話す知性を備えている。この作品には女性のキャラクターが出てこないが、ブルンゴは一匹でそれを補って余りある活躍を見せる。著者は気に入ってなかったらしいが、どこをとっても非常に魅力的なキャラで、途中からすっかり主人公になっている。第1巻はブルンガと駆け落ちしていたブルンゴの妊娠が判明するところで終わり。二匹の行く末が気になる。



『手塚治虫漫画全集 MT169 ブルンガ1世〈1〉』
 講談社 1982
 著者:手塚治虫

 ISBN-13:978-4-0610-8769-9
 ISBN-10:4-0610-8769-X


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手塚治虫『空気の底』

 手塚治虫『手塚治虫漫画全集 MT264 空気の底』講談社 1982

 大人向けの連作短編集。アイロニカルでキレのある14の短編が収録されている。SF、怪奇寄りの作品が多いのは喜ばしいのだが(そうじゃないのもある)、作品に描かれているのは「人間の愚かさ」とかそういう感じのことなので、その辺は好みの分かれるところ。ちなみに著者は「あとがき」の中で「この短編のどれもが大好きなものです。それぞれに熱をこめ、工夫をこらして書きあげたつもりです。優にひとつひとつが長編になり得る要素をもっています」と記している。こんな感じの絶賛は結構珍しいのではないだろうか。

 粒揃いの作品の中から下に挙げた2編には、前に感想を書いた『サンダーマスク』(←前の記事へのリンクです)と同じ趣向で、「手塚治虫」が主人公(狂言回し)として登場する。

『うろこが崎』
 ずっと昔、不義をはたらいた網元の妻と村の若者が、揃って「うろこが崎」の穴に放り込まれた。穴は深く狭く、底には海水が溜っている。村の誰もが二人の死を確信して救出を諦めた。それから数年後、たまたま穴に釣り糸を垂らした村の子供が、人間サイズの魚を2匹も釣り上げた。それはあの二人の成れの果てであった。漫画家「手塚治虫」がぶらりと訪れた小島の漁村にはそんな口碑が伝わっていた。「うろこが崎」は村で唯一の名所で、くだんの穴には網元の妻の名が付けられている。
 村が豊漁に賑わうなか、思いもよらない事故が発生した。うろこが崎の穴に男の子が落ちたのである。たちまち村は大騒ぎになった。近隣の港からはボウリング技師が招聘され、事故を聞きつけたマスコミが大挙して詰めかけた。そんな騒動の最中、手塚は陸揚げされた魚に異常を見出していた。海に毒性のある化学薬品が流出しているらしい。それをマスコミに発表しようとする手塚だったが、誰にも相手にされない。ところが一週間後、ようやく救出された男の子の姿は……。

 お手本のような短編でめっちゃ感想が書き辛い。小さな島に伝わる素朴な伝説が、予期せぬ形で現代に繰り返される。様々なジャンルに同じタイプの物語を見出すことができるが、人間の欲や傲慢さがその現象の引き金になっているところが著者らしい。
 作品の舞台は「南紀州のある小島」ってことになっている。かなりいかがわしい雰囲気の島だ。民宿の食堂の前を村の女房たちがうろうろして客に顔見せをする。彼女たちは夫の出漁中、旅行客相手に春をひさいでいるのだ。この島、当然架空の島なんだろうけど、劇中に描かれる業態が都市伝説っぽく有名な三重県の島を彷彿とさせる。現在では簡単にネット上で島の情報を得ることができるが、かつてはまじで神秘の島だったらしい。ためしに1970年刊行の地誌『鳥羽志摩新誌』の項目を見てみると「女護ケ島の名で知られているので、男性客が多いようである」(※)なんて書いてある。当時は関西方面でとくに知名度が高かった(旅行客の多くは関西方面から訪れた)というから、関西出身の著者にはこの島のイメージがあったのかもしれない。それからこれ書いてて思い出したのだが、志摩半島のある埠頭で特定の日時に車のヘッドライトを明滅させて合図を送ると、沖から迎えの船が来て、一夜限り超賑わう離島へと連れて行ってくれる、なんて噂話を現地の知人から聞いたことがある。やっぱ離島には独特の魅力があるな。


『ロバンナよ』
 漫画家「手塚治虫」は科学者で大学時代の悪友「小栗」が妻と二人で暮らす南伊豆を訪れた。ところが小栗の家には彼の妻の姿が見当たらない。病気で臥せっているのだという。寂しさを紛らわすためか、小栗はよく懐いたロバを一頭飼っていた。名は「ロバンナ」。雨に降られて泊まることになった手塚は、真っ暗な家の中を夢遊病患者のように歩き回る小栗の妻を目撃する。彼女は台所から包丁を持ち出し、やにわに眠るロバンナに突き立てようとした。おそらく精神に異常をきたしているのだろう。
 手塚は夫婦から個別に彼らの抱える事情を聞かされることになる。妻によると小栗は人間よりも動物に激しい愛情を抱く不能者で、彼女はずっと閉じ込められてきたのだそうだ。ここから連れ出してほしいという。続いて小栗が打ち明けたのは、彼の発明したある装置にまつわる話だった。実験中の事故に巻き込まれて、妻とロバの精神が入れ替わってしまったというのだ。荒唐無稽なようだが、手塚はその装置を目の当たりにしている。あのロバには彼の妻の精神が宿っているというのか……。

 ロバと科学者夫妻の手塚版変態『藪の中』。この短編集『空気の底』を初めて読んだのは中学生になるかならないかの頃で、なんかこの本重いし暗いなーと思いつつ読んでたんだけど、裸の妻をロープに繋いで四つん這いにさせるp.256の一コマには、トラウマレベルの鬱エロさを感じた。今見るとそうでもないんだけどなー。いや、そうでもないこともないかな……。とにかく小中学生に獣姦を匂わせる描写はキツかった。『藪の中』だけにモヤモヤした読後感が残るが、それよりもインパクトが強いのは変態っぽい描写という作品。SF的なガジェットは大道具の一つって感じの扱い。


 ※中岡志州編『鳥羽志摩新誌』1970 中岡書店 p.367



『手塚治虫漫画全集 MT264 空気の底』
 講談社 1982
 著者:手塚治虫

 収録作品
 『ジョーを訪ねた男』
 『野郎と断崖』
 『グランドメサの決闘』
 『うろこが崎』
 『夜の声』
 『そこに穴があった』
 『カメレオン』
 『猫の血』
 『わが谷は未知なりき』
 『暗い窓の女』
 『カタストロフ・イン・ザ・ダーク』
 『電話』
 『ロバンナよ』
 『ふたりは空気の底に』

 ISBN-13:978-4-0617-3264-3
 ISBN-10:4-0617-3264-1


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手塚治虫『サンダーマスク』

 

 手塚治虫『手塚治虫漫画全集 MT270 サンダーマスク』講談社 1983

 主人公「手塚治虫」は夜の名神高速道路上で、キングコングみたいな巨大モンスターと遭遇する。名古屋のSF大会からの帰路である。知人の伝手を頼って岐阜山中の屋敷に逃げ込んだ手塚だったが、そこには一人の少年が彼を待ち受けていた。少年の名は「命光一」。深夜、手塚が屋外を眺めると、そこには今まさに屋敷を襲撃しようとする巨大なモンスターの姿があった。手塚を追ってきたのだ。あわやというその時、どこからかもう一体の鳥人間っぽいモンスターが現れ、キングコング的なモンスターとの戦闘を開始した。
 この鳥人間っぽいモンスターこそ命光一に取り憑いた炭素型宇宙生物の「サンダー」、そしてキングコング的なモンスターの正体は硅素型生物「デカンダー」に憑かれた一匹のサルであった。ともに肉体を持たないガス状の生物であるサンダーとデカンダーは、他の生物に憑依することで肉体を得、それをモンスターへと変身させるのだ。1万年に及ぶ宇宙規模の戦いに、漫画家手塚治虫は巻き込まれていく。

 本作に対する著者の思い入れのほどは、たった4行という異例に短い「あとがき」からも窺えるが、この作品には著者が「気に入らない」「乗れなかった」「駄作」「失敗作」と評した自身の作品の多くに共通する重さや拘泥は感じられない。キャラクター(とくに手塚治虫)は生き生きとしているし、古い作品にありがちなまだるっこさがない。全5話、200ページ強の作品だが、すごいスピード感のサンダー vs デカンダーの初戦をはじめ見所は多い。ラスボスのデザインもビアズリー(もしくは現行プリキュアのディスピア)みたいな感じで非常にかっこいい。命光一のキャラは薄いけど、主人公手塚治虫のハイテンションがそれを補って余りある。

 TVの特撮ドラマのコミカライズという位置付けのこの作品で、著者は従来の巨大変身ヒーローものの枠組みの中に、積極的にSF的なテイストを盛り込もうとしている。炭素型生物のサンダーと硅素型生物のデカンダーという設定や、変身のプロセス、モノリスのようなバイブルの存在などなど。読んでて「おっ!」ってなるのが、ことごとくそんなところなので、その試みは成功してるように思う。著者としてはTVの後追いであることに引っかかりを感じていたようだが、むしろ先行して器が用意されていたからこその試行だったのではないだろうか。
 実はTVの『サンダーマスク』はほとんど見たことがないのだが、聞くところによるとドラマと本作は全くの別モノって感じらしい。マンネリやワンパターンを嫌う著者にしてみれば、最初から怪獣出現→迎撃を繰り返す作品を描く気はなかったのかもしれない。昭和の巨大変身ヒーロー漫画として一読に価する作品だと思う。


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手塚治虫『ミクロイドS〈3〉』完

 

 手塚治虫『手塚治虫漫画全集 MT185ミクロイドS〈3〉』完 講談社 1981

 前巻の最後でジガーに拉致されたマモルと担任のノラキュラは、小笠原のどこかの島に連行される。ギドロンが占拠したその島では、人間そっくりの「生ける人形」が大量に製造されていた。海中に身を投じてからくも脱出に成功したマモルたち。しかしマモルの父親の美土路博士は、ミクロイドを匿ったとして暴徒に襲撃され、今まさに殺されようとしていた。そのとき轟音が響きわたり、大地震が発生する。地虫の大群が地下を移動しているのだ。どうにか逃げ延びた美土路博士はジガーと会見し、侵攻を止めるように要請するが失敗。研究所にはルンペンや鑑別所から脱走してきたスケバンたちが押しかけ、事態は混沌としていく。そんな状況下でギドロンの本格的な地上侵攻がはじまる。

 かなりカオスな最終巻。収拾つかなそうだなーと思いながら読んだ通り、限りなく俺たたな最終回を迎える。びっくりするのはヤンマたちミクロイドが全然出てこないこと。暴徒の襲撃時に博士のもとを去ってからは、最後のシメに登場するだけで、主人公はすっかり美土路博士御一行になっている。各巻ごとに主人公が変わっているような印象だ。
 この作品で著者は、ちょっと考えただけでも難易度高そうな、人と虫というスケールの全然異なるキャラを絡ませつつ、その両方を主人公として立てるという荒技に挑戦している。スケールの異なる視点がランダムに切り替わるから、そのたびに虫がスウォームだったり、萌えキャラだったりするから大変だ。大襲来の際に人とミクロイドの絡みが極力押さえられているのも、視点を人間側に固定するための措置だろうと思う。ヤンマたちが出ないのはやっぱ寂しいけど。

 あとがきで著者は「テレビものは自由奔放な展開ができず、あまりのらないのです。ぼくの原作であるにせよ、漫画としてかきにくいことはたしかです」なんて言っていて、この作品をあまり気に入ってない様子。結局ストーリーも虫側の恋愛事情みたいになことに収斂してしまうのだが、それでも面白く読ませるのはさすがで、第1巻の冒頭の砂漠のシーンや、前巻のダムのバトルなど印象的な場面も多い。またあとがきではノラキュラ先生にしか触れられてないが、おそらく著者の顕著なフェチのひとつで、名傍役の人間モドキ系のキャラも「生ける人形」として大挙して登場している。あと5〜6冊くらい読みたい気もするが、どこまで行っても人類側には打つ手がなさそうなので、このあたりで終わるのが適当なのかもしれない。


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手塚治虫『ミクロイドS〈2〉』

 

 手塚治虫『手塚治虫漫画全集 MT184 ミクロイドS〈2〉』 講談社 1981

 この第2巻は全3巻のなかでも最もスペクタルで、パニックホラーっぽい展開をみせる。あと1冊ではとても終わりそうにない感じだ。マナブの落第が決定したその夜、ギドロンの地上侵攻がはじまった。昆虫の大群が黒雲のように夜空を覆い尽くし町を襲う。家出の真っ最中だったマナブは水中に隠れて難を逃れたが、マナブの身を案じて飛び出した父親の「美土路博士」は、自動車で走行中に襲撃されてしまう。自動車を乗り捨て、からくも博士が逃げ込んだモーテルには、宿泊客らがシャッターを閉ざして籠城していた。『ゾンビ』(1978)というか、スティーブン・キングの『ミスト』(2007)に近い王道の展開だ。

 ここまでの前半では、穏やかな田舎の情景から突如人間が殺されまくるシーンへの転調が印象的だったが、後半には「蛾にあやつられる少女」こと「ミチコ」が登場する。身体を完全に乗っ取られ(頭に蛾がちょこっと生えてる)、マナブをかどわかす女子中学生だ。仮面ライダーなどで言うところの怪人の一人に過ぎないのだが、手塚美少女オーラ全開でこれが相当かわいらしい。徹底的にギドロンのはずなんだけど、なんだか悲壮感を漂わせている。とくに土砂降りの雨のなかの奥秩父ダムでの攻防は、やけに切なくて印象に残った。随所にヤンマたちの活躍も挿入されてはいるが、後半は「ミチコ編」といっても過言じゃない展開だった。そして今回もアゲハはお色気担当。マモルに誤飲されたマメゾウを助けるために、マモルの食道を降りていくのだが、狭い食道に圧迫されて「イヤーン」とかそんな感じのリアクションを連発している。

 最後にヤンマの実兄でギドロンの側に立つミクロイド「ジガー」が登場、マモル(と担任のノラキュラ先生)を誘拐したところで第3巻に続く。実はこの第2巻、めっちゃ大勢の人が死んでるのに、あまり凄惨さが感じられなかった。こういうのばっかり読んでるせいかな。


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手塚治虫『ミクロイドS〈1〉』

 

 手塚治虫『手塚治虫漫画全集 MT183 ミクロイドS〈1〉』 講談社 1981

 侵略SF漫画。昆虫から進化し高い知能を獲得したギドロンは、アメリカの砂漠の地下にアリに似た階層社会を構築していた。ギドロンの奴隷階級であるミクロイドは、もともと通常の人間だったが、ギドロンによって何世代にもわたって改造を施され、昆虫(5cm)ほどのサイズに縮小されたミュータントだ。背中に収納可能な肉羽を持ち、昆虫のように飛翔することもできる。間近に迫ったギドロンの地上侵攻を人類に知らせるため、ミクロイドは一人の使者を送り出した。

『ミクロイドS』 は、小学生のころ友達の家にあったボロボロで、閉じてもばふっと開いたままになる少年チャンピオンコミックス(カバーなし1巻のみ)を読んだのが最初で、それ以来著者の作品のなかでもとりわけ好きな作品となった。感想を書けるほどしっかり見たことがないのだが、1973年にはアニメ化もされている。もともとアニメ先行の企画だったのだそうだ。アニメは原作の設定とキャラクターを生かしたヒーローもので、なかなかよくできた作品だったらしい。

 この「手塚治虫漫画全集」版の第1巻には全18章のうち、第1章〜第5章が収録されている。ミクロイドの使者「ヤンマ」のコミュニティからの脱走、ミクロイドの「アゲハ」「マメゾウ」そして人間の少年「マナブ」との出会い、ヤンマの実兄でギドロンの手先となって脱走者を追う「ジガー」との確執、アゲハの裏切りなどが、スピード感のあるいくつもの戦闘や、マナブの学園生活を交えつつ、怖ろしいほど手際よく描写される。
 初読のときから一番印象に残っているのは、冒頭の三人のミクロイドが荒野をさまよう場面、砂塵のなかから巨大なケモノがぬっと顔を突き出すシーンだ。トリッキーさもさることながら、画面に漂う殺伐とした雰囲気が素晴らしい。

 それからやっぱりアゲハがかわいい。グズグズメソメソするキャラは好きじゃないけど、著者のヒロインにはいつも不思議な魅力を感じる。上手く説明できそうにないが、性格や設定がどれだけカスタムされても、拭いがたくドMな感じというか、とにかくあまり健全?でない魅力だ。脱ぎっぷりもいい。
 この第1巻はさんざんメソメソしたり、裸で吊るされたり、裏切ったりしてたアゲハが、長い髪を切ってギドロンとの戦いを決意するところで終わる。ヤンマたちの逃走劇がメインで、まだギドロンの本格的な侵攻もはじまってないが、展開は非常にスリリングで読み応えがある。舞台もアメリカの砂漠から、国連本部、日本の学校と変化に富んでいる。……以下第2巻の感想に続く。


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手塚治虫『I.L (アイエル)〈2〉』完

 

 手塚治虫『手塚治虫漫画全集 MT263 I.L (アイエル)〈2〉』完 講談社 1982

 手塚治虫の異色の吸血鬼漫画。
 基本的な設定については前巻の感想で書いたけれど、吸血鬼ものっぽい要素は前巻収録分よりもますます少なくなっている。またストーリーの中心になるような性倒錯者が出てこないこともあって、著者独特のこってりしたエロ表現も少なめ。そのかわりベトナム戦争や安楽死、政財界の汚職などの時事ネタが主要なテーマとなっている。

 収録されている5話のうち「第13話 眼」だけが、上記のような時事ネタとは関連の薄い叙情的なエピソードで、シリーズ全14話中、唯一まとも(?)なハッピーエンドを迎える物語でもある。I.L(アイエル)への依頼内容は、手術で視力を取り戻した恋人に、自分の身代わりに会ってきて欲しいという女からのもの。作中に「五色沼」という地名が出てくるところから、舞台は福島県の磐梯山周辺だろうか。雪深い情景が美しく描き出されている。ベタな展開ながら、終始雪の静けさを感じさせる好エピソードだと思う。

 ほかの4話からは息苦しいような、窮屈な印象を受けた。吸血鬼が一人いたくらいではどうにもならないような話もあって、I.LがI.Lらしい活躍をしない(できない)からかも知れない。最終14話の終盤で元映画監督の主人公は、I.Lを使った現実の演出を放棄してしまう。I.Lに対する主人公の最後の言葉は「この夢もない欲望と金だけの世の中には/他愛ないドラキュラなんて必要じゃないんだ!!」(p.139)というものだった。

 後書きからは著者が読者の要望に応えようと苦慮している様子が伝わってくる。意外なほど読者の好みを意識していることに驚かされてしまうが、上記の主人公の言葉じゃないけど、そもそも時事ネタと吸血鬼の取り合わせ自体が難しいのかも知れない。シリーズを通してみると、個々のエピソードの面白さはさて置き、時事ネタの扱いに関してかなりアンバランスな作品になってしまっているように感じる。著者自身「リアリティーに欠けるきらいがあった」と記している。

 表現に関して少し触れておくと、先行する『火の鳥』などで見られた抽象的な心理描写(エロ描写)が、本作でもごく控えめに導入されている。「控えめ」な辺りに著者の試行錯誤ぶりが窺えるのだが、こういった手法は本作と入れ替わるようにスタートした『きりひと讃歌』のなかで、より洗練された形で、控えめでなく用いられていて、やがて青年向けの作品における著者独特の表現として完成されていく。

 ※フキダシからの引用は、読みやすいように改行を調整しています。


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