「ブラッドベリ (レイ) 」カテゴリ記事一覧


レイ・ブラッドベリ『筋肉男のハロウィーン』

 

 レイ・ブラッドベリ(Ray Bradbury)著, 吉野美恵子訳『筋肉男のハロウィーン』("Heavy Set"『筋肉男のハロウィーン 13の恐怖とエロスの物語Ⅱ』文藝春秋 1996 文春文庫 所収)

 ブラッドベリのハロウィンもののなかでも、退廃的な雰囲気と美しい文章でとくに印象的なのが散文詩のようなこの作品。めっちゃインパクトのあるタイトルだが、原題は「Heavy Set」とシンプルで象徴的。以前サンリオSF文庫から出てた短篇集『ブラッドベリは歌う』("I Sing The Body Elactric!" 中村保男訳)には『強力君』というタイトルで収録されていた。

 有り余る時間と活力をただひたすら筋トレに費やし、大人になりきれず人付き合いもろくにできないまま30歳になった通称「筋肉男」と、その母親のハロウィンの夜の一幕。とくになにが起こるわけでもなく、彼ら母子がずっと繰り返してきた痛々しい日常の断片が、静かに緊張感たっぷりに描かれている。
 主に息子を病的に溺愛する母親の視点で書かれているからか、この作品には「マトモ」に感じられるところがひとつとしてなかった。家庭は間違いなく機能不全に陥っているし、母子は濃密な、危うい依存関係にある。息子はパンパンに張りつめた風船玉のようで、いつ暴発するとも限らない。母親はその危うさを認識しつつも息子の鍛え上げられた肉体を愛おしく眺め、息子と同じベッドのなかで、息を殺し、目をとじ、耳をそばだてながら祈る。すべてが歪んでいる。なんとも言えない不快感が尾を引く。

 ネタっぽいタイトルから受ける印象とは異なって、内容はとても重くメランコリック。これならいっそ悪魔が降臨したりマスクの怪人による大虐殺が起きたりするハロウィンの方がよっぽどスッキリする。うっかり読むと予期せぬダメージを受ける。


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レイ・ブラッドベリ『万華鏡』

 レイ・ブラッドベリ(Ray Bradbury)著, 川本三郎訳『万華鏡』("Kaleidoscope"『万華鏡』サンリオ 1978 サンリオSF文庫 所収)

尽きることのない甘く苦い記憶をたどっている
浅い眠りのあと遥かな旅飛び立つ
二度と逢えないかもしれないけど
微笑み見せ「すぐに戻るさI Love you 」(※1)


 これは今から二十年近くも前に発表されたヤプーズのアルバム『ヤプーズ計画』の収録曲、『宇宙士官候補生』の一節。東京創元社から出てた同じタイトルのSF小説(ゴードン・R・ディクスン著)からインスパイアされた曲だと思う。見た感じ普通のラブソングっぽいけど、主人公(?)は「宇宙士官候補生」。今まさに遥かな旅に飛び立とうとしている。曲調は明るく希望に満ちた、いざ冒険に出かけよう! 的な分かりやすいものなのだが、歌詞の方はやけに切ない。戸川純の明朗な歌声の底にも、なんともいえない切なさが滲んでいる。

 自分でビデオをレンタルするようになって、最初のころに見たのが『2001年宇宙の旅』(1968)だった。もちろんわけが分からなかったし、最後の方で眠ってしまいそうになったけど、とにかく宇宙が怖かった。それ以前に『スターウォーズ』(1977)etcも借りて見てたはずなんだけど、今もって宇宙は怖いって印象を拭えずにいるのだから、「2001年~」の威力はよっぽどだったのだろう。この怖ろしい宇宙のイメージは、大好物だった宇宙関連メカとともに、長いあいだ宇宙への好奇心の主燃料になっていたと思う。

 宇宙に関してもう一つ衝撃的な作品があった。それはNHKの『宇宙飛行士はこうして生まれた ~密着・最終選抜試験~』というドキュメンタリーだ。調べてみたら2009年に放送されている。ビジネスの分野において好評を博したらしく、人材育成の講習会などでは、今でもこの番組に言及する講師がいる。
 このドキュメンタリーでは自分が好きだった宇宙や宇宙開発が、いかに情緒的なものだったのかを思い知らされることになった。なんか思ってたのと違う! って感じだった。現実の宇宙は冒険の舞台などではなく、あらゆる意味でこの地上と地続きの、宇宙飛行士にとっては「職場」に過ぎないのだ。冒頭の『宇宙士官候補生』は「宇宙飛行士はこうして生まれた~」の延長線上には存在しない。もちろん過去においても。あたりまえだ。昔の防人じゃないんだから。あんな妹やこんな幼なじみが、現実にはどこにもいないのと一緒だ。

 たまに「パストフューチャー」って言葉を見かける。何用語なのかはさっぱり分からないが(SF用語? デザイン用語?)、「過ぎ去った未来」って感じの意味だ。過去に構築された未来像を懐かしく振り返るような、微妙なニュアンス込みで用いられることが多い。今になってみると、自分が好きだったのは「パスト宇宙開発」だったんだなと、しみじみ思う。バカみたいな話だけど、↑でぐだぐだ書いてることにしっかりはっきり気付いたとき、大人ながら大人になったような気分がしたのだった。そしてそれはすごく嫌な気分だった。

 レイ・ブラッドベリ本人がどんな人だったのかは分からない(恐竜好きだったのは知ってる)。でもどの作品を読んでも、それが嫌な気分にさせる作品だったとしても、上記のような嫌な気分になる心配は一切なく、気持ちよく嫌な気分になれる。
 この『万華鏡』という作品は、ロケットの事故によって宇宙空間に投げ出された乗組員たちが、離ればなれに漂流しながら通信を交わし、やがて緩慢な死を迎えるというシンプルなストーリーだ。自らの人生を省みながら、乗組員たち穏やかに涅槃に入る。隊長は月に落下し、乗組員の一人は冥王星の方向へ、流星群と一緒に宇宙の深淵へ飛び去るものもいる。そして主人公は一つの願いを抱いて、流星のように燃えながら地球に落下していく。読後感は強烈に切なく、不思議と清々しい。

 またこの作品は石ノ森章太郎の『サイボーグ009』のもとネタとしても知られている(あと手塚治虫の『火の鳥 宇宙編』にも影響を与えているのではないかと思う)。「地下帝国ヨミ編」の有名なラストシーン、ラスボスを破壊した009と002が抱きあったまま大気圏に突入する。……そのとき地上では、物干し台から夜空をながめていた姉弟が一筋の流れ星を見つける。それは今まさに燃え尽きようとする二人のサイボーグの最後の輝きだった。

姉「ながれ星! ……きれい!」「カズちゃんなにをいのったの?」
弟「えへへ、おもちゃのライフル銃がほしいってさ」
姉「まぁ、あきれた」
弟「じゃ、おねえちゃんは……?」
姉「あたし? あたしはね、世界に戦争がなくなりますように……世界中の人がなかよく平和に暮せますようにって……いのったわ」(※2)


 ここだけ切り取るとベタだけど、死の商人と死闘を繰り広げた戦士たちには、相応しい祈りだと思う。
 ブラッドベリの『万華鏡』のラストでは、自分の人生は虚しかったと省みる主人公が、たった一つの願いを胸に大気圏に突入する。

もはや彼は一個のものだった。悲しいとも嬉しいともなんとも思わない。ただ、すべてが終わったいま彼はひとつでもいいことをしたかった、自分ひとりにしかわからないいいことを。それだけが願いだった。
 大気圏にぶつかったら、俺は流星のように燃えるだろう。
「ああ」と彼はいった。「だれか俺を見てくれるだろうか」

 田舎道を歩いていた小さな少年が空を見あげて叫んだ。「お母さん、見て! 流れ星だ!」
 輝く白い星がイリノイ州のたそがれの空を落ちていった。
「願いごとをするのよ」と母親がいった。「願いごとを」(p.444-445)


 黄昏の空の流れ星、美しい印象的なラストシーンだ。ここでは主人公の願いがクローズアップされていて、少年の願いは具体的には書かれず、読者に委ねられている。

 ……なんかだらだら書いてたら、とりとめがなくなってしまった。やっぱりなに書くか考えてから書かないとだめだな。本当はこの作品はすごく良くて切ないよ、みたいなこと書きたかっただけなのに。最後に『宇宙士官候補生』を彷彿とさせる防人の歌を引用してみる。奈良時代に詠まれた歌だ。なんとなく結びっぽくなるかな。

白波の寄そる浜辺に別れなばいともすべなみ八度袖振る (大舎人部祢麻呂)



 ※1. ヤプーズ『宇宙士官候補生』(小泉敏郎作詞, 小滝満作曲, アルバム『ヤプーズ計画』1995 収録)
 ※2. 石ノ森章太郎『サイボーグ009〈6〉』秋田書店 1968 Sunday comics 大長編SFコミックス p.237

 ※コミックからの引用は、読みやすいように改行を調整しています。


  ヤプーズ『ヤプーズ計画 [CD]』テイチクエンタテインメント 1995


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レイ・ブラッドベリ『霧笛』

 レイ・ブラッドベリ(Ray Bradbury)著, 伊藤典夫訳『霧笛』("The Fog Horn"『恐竜物語』("Dinosaur Tales")新潮社 1984 新潮文庫 所収)

 先日からの続き。

 プラモデルが発売されるってことで、日曜日は半日、雑誌の『怪獣ゴルゴ』(1959)関連の記事を眺めながら、DVDを見て過ごした。先月は後先考えずに散財してしまって月末やばかったのだけど、今月はまだ『でろでろ』の新装版と文庫二冊雑誌一冊、それから安めのミニカー(BRUMMの)を一個買っただけなので、予算がめっちゃ潤沢。月末が待ち遠しい。

 映画の『怪獣ゴルゴ』には原作がない。おそらく「怪獣ゴルゴのすべて」みたいな本も、残念ながら出てないと思う。だだ怪獣映画を取りあげてる雑誌や、秋田書店の「大全科」シリーズのような児童書には、記事はちっこくても紹介されていることが多く、マイナーメジャーの代表って感じだ。去年出た洋泉社の『世界怪獣映画入門!』のなかには、嬉しいことにゴルゴに関するまとまった記事があった。映画が完成するまでの紆余曲折が書かれていて、ゴルゴファンにはおすすめの本だ。貴重なスチル写真も沢山載っている↓

 

 随分前に出た同じく「映画秘宝」の怪獣特集号にも確かゴルゴの記事があったと思うが、今手元にないので詳細は不明。
 それから監督のユージン・ローリーについてのいい感じ(多分)の記事が『ZE CRAIGNOS MONSTERS』って本に載ってた。怪獣映画関連の本では『原子怪獣現わる』(1953)『大海獣ビヒモス』(1959)の特撮を担当したレイ・ハリーハウゼンにスポットがあたることが多いから、監督をしっかり取りあげた記事は珍しいんじゃないかと思う。もちろん記事のなかにはゴルゴのこともばっちり載ってるのだが……。実はこの本、全部フランス語なのでさっぱり読めないのだ。フルカラーでフランス版のポスターなんかも載ってるから、眺めているだけでも楽しいけど、やっぱ読めた方がいいな。

 ……と、ここまで書いてハタと気付いたんだけど、『大海獣ビヒモス』→『原子怪獣現わる』→『怪獣ゴルゴ』と見て、ガッパ見てなかった。すっかり忘れてた。寝る前に見よう。

 本題の『霧笛』はゴルゴ関連の記事からの流れで再読した。この作品はレイ・ブラッドベリの代表的な短編の一つで、恐竜小説の傑作として広く親しまれている。ストーリーはごくシンプルで、ある霧の夜、同族の鳴き声とそっくりの灯台の霧笛に呼び寄せられて、深海から古代の恐竜が現われるというもの。登場人物は灯台守の二人。主人公は恐竜。幻想的な一夜の出来事が、詩情豊かに描かれている。深い霧のなか、霧笛と呼応するように咆哮しながら灯台を襲う恐竜のイメージは、美しく切なく、かなり怖い。個人的に嬉しいのは、最後まで恐竜が人類にとっては危険な、単なる巨大生物として描かれているところ。人間に懐いたり媚態を演じるようなベタな描写はない。『城の崎にて』の主人公みたいに、恐竜に勝手に共感して、その孤独な心境をそれらしく代弁するのは灯台守の二人で、恐竜はどこまでも恐竜なのが素晴らしい。

 本作を映画化したのが上記の『原子怪獣現わる』なのだが、そう言われなければ気付かないほど改変されて、恐竜映画というより怪獣映画になっている。オリジナル恐竜の「リドサウルス」も、そのかっこよさはさておき、核実験で甦った原子怪獣だし、見た目も実は「ビヒモス」の方が本作の恐竜のイメージに近いように思う。ただしヘボい映画ってわけでは全然なくて、特撮のクオリティは非常に高く、灯台襲撃のシーンをはじめ見応えは充分だ。
 この『原子怪獣現わる』の美しい特撮を担当したのが、著者の高校時代からの大親友で、この作品が本格的なデビュー作となったレイ・ハリーハウゼン。本作が収録されている短編集『恐竜物語』には序文を寄せていて、また同書には彼をモデルにしたとおぼしき『ティラノサウルス・レックス』(挿絵はメビウス)という短編が収録されている。あとがきによると著者の結婚に際しては花婿付添人をつとめたらしい。めっちゃ仲いいな。


 原子怪獣現わる 特別版 [DVD]』ワーナー・ホーム・ビデオ 2013


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