岡本綺堂『蛇精』

 

 岡本綺堂『蛇精』(結城信孝編『岡本綺堂 怪談選集』小学館 2009 小学館文庫 所収)

 江戸の終わり頃、とある村に「うわばみ」退治の名人が住んでいた。通称「蛇吉」。特殊な方法でうわばみを退治することで知られていた。彼は手斧を一丁持ち、粉薬で地面に三本の線を引くと、常に二本目の線より手前でうわばみを屠った。いつも「三本目を越して来るようでは、おれの命があぶない」と言っていた。
 ところがある時、二本目の線を平気で越えてくるうわばみが現れた。見物人が「もうダメだ」と溜息をつく中、やにわに半股引を脱ぎとった蛇吉が、呪文のようなものを唱えながらそれを二つに引き裂いた。するとうわばみもまた真っ二つに裂けて死んだのだった。それ以来人々はさらに蛇吉を畏敬するようになった。「蛇吉は人間ではない。あれは蛇の精だ」などと言う者も出た。蛇吉はというと、嫁を貰いそれなりに仲睦まじく暮らしていたが、徐々に覇気を失い、蛇取りを厭うようになった。しかし周囲からの懇願により、渋々ながら凶暴なうわばみと対峙することとなった。

 怪談集『青蛙堂鬼談』からの一編。蛇にまつわる奇談である。どことなくなんとなく洋風。↑のあらすじを書きながらそんな風に感じた。ドラゴンスレイヤーもの(蛇もドラゴンと同様に財宝を守護するキャラだ)というか、AVGのようなノリ。読んでるあいだは、舞台となった集落の因習や奇怪な蛇取りの様子に、民話(日本の)みたいだなーって思ってたんだけど。
 かつてはこの作品に出てくるような蛇取りを生業とする人が、全国の至るところにいたらしい。生業としてるかどうかはさておき、沖縄には今でもハブ取り名人がいる。沖縄以外の地域でも、マムシを捕まえて役場に持っていくと買い取ってくれるという話を聞いたことがある。蛇除け、蛇封じのまじないはとんど焼き(どんど焼き)にまつわるものをはじめ、全国各地に様々な形で現存する。最後に蛇を見たのはいつだったか、なんて暮らしをしてるとピンとこないけど、毒ヘビの生息する地域において、蛇避けは生死に関わる重大事なのだ。
 こんな風に書くと蛇の忌み嫌われぶりがハンパない感じだが、こと日本において蛇ほど崇拝と排斥が極端な生物はない。忌避されてる分だけ神聖視もされている。神社のしめ縄は交合する蛇を模したもの、といった説もある。

 蛇についてはこれまでにもちょこちょこ書いた(ヘビ好きなので)ので重複は避けるが、蛇のでかいのを「うわばみ」と呼ぶ。オロチ>ウワバミ>ヘビの順でサイズがでかく、呼び名が変わる。もちろん具体的に何メートル以上といった基準はない。うわばみにはなぜか耳が付いてるという説があって、耳のある大蛇に太腿をかぶりつかれた隠居が刀を持った下男に「早まるな耳のないのは違うぞ」と言った、なんて笑い話がある。「半股引」(はんだこ)は「股引」(ももひき)の膝丈のもので、祭りで着用してる人を見かける。これを引き裂いた途端、うわばみも真っ二つになるというのが呪術っぽくて面白い。また「蛇精」と言えば「蛇性」の『雨月物語』だが、本作の蛇精は色気皆無のおっさんである。最初あだ名程度の「蛇精」だったのが、最後の方ではマジで蛇精なのでは? って感じになってる。真相がわからないのがもどかしいけど、不思議な余韻が残る。この怪談選集には本作も含めて『青蛙堂鬼談』から七編が収録されている。

「少年の蝮を捕りて水渉る」 高浜虚子


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『今昔物語集 巻第二十四 本朝 付世俗』より「第九」そこのヘビ、なにやってんの! って話 その2

『今昔物語集 巻第二十四 本朝 付世俗 嫁蛇女醫師治語 第九』(山田孝雄, 山田忠雄, 山田秀雄, 山田俊雄校注『日本古典文学大系〈25〉今昔物語集 四』岩波書店 1963 所収)

 ちょっと前の記事で書き漏らしたエピソードを補完。この話、内容自体はとても面白いものなんだけど、知識や読解力の乏しさから、解釈する上で色々迷ったり、疑問に思うことが多かった。そのあたりのことも下の方にごちゃごちゃ書いてます。

 さてこの話に登場するヘビは、前の2編に出てきたヘビ以上に、わけの分からない行動をとる。事故なのか、狙ってやってたのか……。

『蛇に嫁ぎし女を医師治せる語 第九』

 今は昔、河内の国、讚良の郡(※1)の、馬甘の郷に住む者がいた。生まれこそは良くなかったが、大変な金持ちで豊かに暮していた。そこには若い娘が一人あった。

 四月のころである。その娘はカイコの餌にするために、大きな桑の木に登って桑の葉を摘んでいた。その桑の木は道のすぐそばにあった。大路を行く人が通りすがりにふと見ると、大きな蛇が出てきて、娘の登った木の根元に巻き付いている。通行人が蛇のいることを告げると、それを聞いた娘は驚いて下を見る。確かに大きな蛇が木の根元に巻き付いている。

 怯えた娘が慌てふためいて木から飛び降りると、そこに蛇が巻き付いてあっという間にまぐわってしまった。(※2)すると娘の全身はたちまち熱くなり、死んだように木の根元に倒れ込んだ。それを見た両親は嘆き悲しみ、急いで医師を求めた。その国にはとても優れた医師がいたから、その人を呼んで娘を診てもらうことにした。その間、蛇と娘は繫がったままである。医師は「まず娘と蛇を同じ戸板の上に乗せて、速やかに家に連れ帰り庭に置くのだ」と言う。そこで戸板に乗せて娘を運び込むと家の庭に置いた。

 そのあと医師の指示に従って、稲の藁三束を焼く。この際三尺(※3)を一束にまとめて、それを三束用いる。その灰を湯に混ぜたものを三斗(※4)、さらにそれを煮詰めて二斗にする。それから猪の毛を十把、刻んで粉にしたものを先の汁に混ぜ、頭に足が当たるほど折り曲げた姿勢で娘を杭に釣り下げると、その汁を娘の性器に注ぎ込んだ。一斗ほど入れると蛇が離れ、這って逃げようしたので打ち殺して捨てた。そのとき蛇の子が凝固して、蛙の子のようになったところに、猪の毛が突き立ったもの(※5)が、性器から五升(※6)ほど流れ出した。蛇の子が皆出てしまうと、娘は目を覚まし驚いた様子で話しはじめた。両親が泣く泣くこの出来事について問うと、娘が言うには「それが全然覚えてないのです。まるで夢でも見てたみたい」

 娘は薬の効力によって生き長らえ、それに感謝して慎ましく暮していたが、それから三年後、再び蛇と交わり、ついには亡くなってしまった。今回は「これはもう前世からの因縁だろう」と、治療することもなかった。
 それにしても医師の能力・薬の効力とは不思議なものだと語り伝えられている。


 ※1. 大阪府四條畷市・大東市付近。
 ※2. 原文では「嫁」の一言。
 ※3. 約90センチ。
 ※4. 約34リットル。『伊呂波字類抄』の数値より。
 ※5. 後述します。
 ※6. 約5.5リットル。『伊呂波字類抄』の数値より。

 以上がだいたい一般的な解釈に基づく意訳なのだが、すごく気になるところがある。それはこのヘビがオスメスどっちだったのかってことだ。
 実はこの一連の出来事をリアルっぽく想像してみると、ヘビがメスだったと考えた方がしっくりとくる。わが国には卵ではなくて子供を産む、卵胎生のマムシが広く分布しているから、娘に「嫁いだ」ヘビがマムシのメスだったとすれば、※5の体内から子ヘビが溢れ出してくる描写にも納得がいく。この場合ヘビは子供の出てくる総排泄腔のあたりまで、すっぽり娘の体内に入り込んで、そこで子ヘビを出産したのだろう。

 とは言うものの、男女の交接を意味する「嫁」とあるからには、このヘビはやっぱりオスでないとまずい。というわけで長らく※5の一文は「そのとき蛇の精液が凝固して、蛙の卵のようにドロドロになったところに、猪の毛が突き立ったもの」という風に勝手に解釈していた。液体が凝固する「凝りて」という言葉がポイントで、精液が凝固してカエルの卵を包んでいるゲル状の物質っぽくなるというのは想像しやすい。このエピソードの典拠となった『日本霊異記』の頭注にも「がまがえるの卵」(※7)とあるし、「五升」という単位が用いられていることからも、これが落としどころじゃないかと思うのだが……。

 一般には「子」という言葉を遵守して、ヘビの子が出てくると解釈されることが多いようだ。この岩波書店の「日本古典文学大系」では特に注釈もされてないが、カエルの子=オタマジャクシって感じなのかな。だとすると娘は体内で放出されたヘビの精液によって、この短い時間で無数の子ヘビを孕んだことになる。突飛だけれど説話としてはおもしろい。なにせヘビの精液はメスの体内で数年間生き続けるほど強力らしいし。
 とまあ、そんな感じで色々考えた末に、今回は上記のようななんとも曖昧な意訳文になった。ただ「猪の毛が突き立ったもの」というところフォーカスすると、せっかく刻んだイノシシの毛をストーリー中で生かすなら、ゲル状物質にちくちく刺さっているよりも、子ヘビ一匹ずつに突き刺さっている方が絵としておもしろいとは思う。

 ところでこのエピソードには、何カ所かどうしても意味の通らない文がある。頭注に「文意不通」とか「誤訳したものか」と書かれているところだ。とくに娘の術中体位はさっぱりなので、ここは『日本霊異記』を参考にした。頭と足がくっつくほど体を折り曲げ、体内に薬液を一斗も流し込んだとあるから、性器を上に向けて固縛して釣り下げたのだろう。めっちゃ恥ずかしいポーズだ。記憶がなくてほんとよかった。それをずっと見てた両親も、さぞかしいたたまれなかったことだろう。
 ヘビには半陰茎(ヘミペニス)という生殖器が左右に一つずつ付いている。たまにヘビの足に誤認されているものの正体は、多くの場合、飛び出したこの生殖器である。娘の体内に突っ込んだはずみで飛び出した生殖器が、釣り針の「かえし」のように引っかかったとすれば、全然抜けなかったというのもなんとなく納得。

 ちなみに江戸時代に書かれた『耳嚢』のなかにも、ヘビがうっかり体内に入ってしまったときの取り出し方が書いてあって、それによると「医書にも、「胡椒の粉聊(いささ)か蛇の残りし所へ附くれば、出る事妙也」とありしが、夫(それ)よりも多葉粉(たばこ)のやにを附くれば、端的に出るなり」(※8)とのこと。ヘビにタバコのヤニを塗り付けるだけ。めっちゃお手軽!

 ※7. 『日本靈異記 中巻 女人、大蛇に嫁はれ、藥の力に頼りて、命を全くすること得る縁 第四十一』(遠藤嘉基, 春日和男校注『日本古典文学大系〈70〉日本靈異記』岩波書店 1967 所収 p.293)
 ※8. 根岸鎮衛『耳嚢 巻之十 蛇穴の中へ入るを取出す良法の事』(根岸鎮衛著, 長谷川強校注『耳嚢 下』岩波書店 1991 岩波文庫 所収 p.398)。( )のフリガナは適当につけた。

 ※上記『今昔物語集』の意訳は、主に頭注を参考にしてまとめましたが、解釈などに間違いのある可能性が大いにあります。超意訳です。またごちゃごちゃと書いてある文章には、定説ではない独断や思い込みが多く含まれていて、引用文以外に資料的な価値はありません。あくまでも感想文ということでご了承ください。


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『今昔物語集 巻第二十九 本朝 付悪行』より「第三十九」「第四十」そこのヘビ、なにやってんの! って話

『今昔物語集 巻第二十九 本朝 付悪行 蛇見女陰発欲出穴當刀死語 第三十九』
『今昔物語集 巻第二十九 本朝 付悪行 蛇見僧昼寝マラ(※1)呑受婬死語 第四十』(山田孝雄, 山田忠雄, 山田秀雄, 山田俊雄校注『日本古典文学大系〈26〉今昔物語集 五』岩波書店 1963 所収)

 いるに違いない海のUMAランキング1位がメガロドンだとすると、陸のランキング1位のUMAはどれだろう。メジャーさなら雪男やサスカッチあたりの獣人系UMAだろうけど、「いるに違いない」というとヘビ関連の誰かではないかと思う。でっかいヘビの目撃情報は世界各地にあるし、日本にも小さめだけど異形感たっぷりのツチノコがいる(でかいヘビの目撃例もある)。紀元前のローマ vs カルタゴの最中に現れた、剥いだ皮が120フィート(約37メートル)のヘビなんてのはちょっと難しいとしても、映画の『アナコンダ』(1997)に出てきたくらい(15メートル前後?)のヘビはきっといるに違いないと思う。

 神話や伝説のなかにも数多くのヘビが登場する。ユダヤ教やキリスト教ではイヴを誘惑したヘビを筆頭に、もっぱら邪悪なものとして描写されているが、古代ギリシャやエジプトにおいては信仰の対象であった。中国では卜占の対象となることも多かったようだが、『捜神記』などの説話集のなかには子供を食べる大蛇や、ツノの生えたヘビの話を散見することができる。
 わが国の信仰や俗信にもヘビは古来より深い関わりを持っている。人に害をなす怪物のように描かれていることもあれば、『神様はじめました』の瑞希のような神使だったり、神そのものの変化だったりすることもある。人との婚姻譚も多い。『今昔物語集』のなかにも大小、善悪さまざまなヘビが登場するが、下記の二つのエピソードに出てくるヘビは少々まぬけで……。

 下の「続きを読む」より、「野ションしてる女性の性器に欲情して穴から飛び出したヘビが、刀に裂かれて死ぬ話」「昼寝してるお坊さんの性器にかぶりついたヘビが、精液を飲んで死ぬ話」の2編についてごちゃごちゃ書いてます。

 ※1.「摩羅/魔羅」男性器。もとのタイトルの文字は「門構えに牛」。


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『今昔物語集 巻第十四 本朝 付佛法』より「第三」道成寺のヘビ女について

『今昔物語集 巻第十四 本朝 付佛法 紀伊国道成寺僧、寫法花救蛇語第三』(山田孝雄, 山田忠雄, 山田秀雄, 山田俊雄校注『日本古典文学大系〈24〉今昔物語集 三』岩波書店 1961 所収

 先日『幽霊・妖怪画大全集』(←前の記事へのリンクです)という展覧会に行ってきた。それ以来『道成寺』の「安珍と清姫」関連の本をつまみ読みしている。「清姫」は本当に好きなキャラで、熊野に行くことがあったら関連の史蹟(墓や塚があるらしい)をぜひ見て回りたい。それから京都の「妙満寺」(※1)には、もと「道成寺」の鐘(清姫が巻き付いたのとは違う鐘)が所蔵されているらしいので、これも一度見てみたいと思う。

「安珍と清姫」のストーリーは歌舞伎や浄瑠璃、推理小説やドラマのネタなどでよく知られているが、もとは古い説話で平安時代の仏教説話集『法華験記』に収録され、『今昔物語集』にもそれを典拠にしたと思われる説話が載っている。南方熊楠は『十二支考』のなかで、「予は清姫の話は何か拠るべき事実があったので、他の話に拠って建立された丸切(まるきり)の作り物とは思わぬが、もし仏徒が基づく所あって多少附会した所もあろうといえば、その基づく所は釈尊の従弟で、天眼第一たりし阿那律尊者の伝だろう」(※2)と記し、この説話の成立以前の最もよく似た話として『弥沙塞五分律』(※3)のなかのエピソードをあげている。

 愛欲に狂った女性が蛇になるという話は「安珍と清姫」のほかにも結構あって、女性が恋する相手は僧だったり、大工、お稚児と色々だけど、江戸時代の怪談本にもその手の話がいくつも収録されている。ストーリー的には「安珍と清姫」をベースにしてるものも多いが、やっぱり一番かっこいいのは「清姫」。妄執の強烈さ、蛇体のでかさ、毒気の威力、どれをとってもものすごい。ただ残念なことにこの『今昔物語集』の説話には「清姫」というキャラは出てこないんだけど……(後述)。

 ※1.「顕本法華経 総本山妙満寺」のサイト↓鐘については「見どころ」のページに。
 http://www.kyoto.zaq.ne.jp/myomanji/index.htm

 ※2. 南方熊楠『十二支考〈上〉』岩波書店 1994 岩波文庫 p.301
 ※3.「みしゃそくごぶんりつ」『弥沙塞部和醯五分律』(みしゃそくぶわけいごぶんりつ) 仏教の聖典の一部で律蔵(お坊さんの決まりをまとめたもの)のひとつ。

 また長くなってしまったので、収納しました。下の「続きを読む」より、『今昔物語集』の意訳、でっかいヘビのことなどごちゃごちゃ書いてます。


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楳図かずお『ママがこわい』

 

 楳図かずお『ママがこわい』(『恐怖劇場〈2〉』小学館 1992 スーパー・ビジュアル・コミックス 所収)

 子供のころ蛇を飼っていたことがある。細い体で指に巻き付いて、かぷっと指先に噛みついてくるのが、蛇的には攻撃なんだろうけど、とてもかわいらしかった。今はなくしてしまったけれど、ウソかほんとか「マムシの骨」を貰って大切にしてたこともある。魔除けなんだそうだ。そんなわけで今でも蛇はとくに怖くない。どっちかっていうと好きな方なのだが、蛇系の怪物怪人は別。とくに人間と混ざると気持ち悪いったらない。
 トラウマネタをいくつかあげると、まず児童書にスチール写真やイラストで登場していたハマー映画の『蛇女の脅怖』(1966)の蛇女。不快この上ない秀逸なデザインで、これは今見ても充分に怖い。それからたまたまTVでやってたのを見た『怪奇! 吸血人間スネーク』(1973)の蛇男も嫌だった。恋人の父親のマッドサイエンティストに、むりやり蛇人間にされたあげく見世物小屋で晒されるナイスガイの話で、怖いというよりもキツい映画だった。ツチノコ状態でクークー鳴く蛇男の造形は見事な出来映えだったが、主人公が気の毒すぎて子供ながらまじ凹んだ。

 ……また前振りが長くなってしまったが、楳図かずお『ママがこわい』について。著者の初期の作品には、嫌な感じで人間と蛇が混ざった多くのヘビ女が登場する。本書に収録された三部作『ママがこわい』『まだらの少女』『へび少女』をはじめ、『ヘビおばさん』『口が耳までさける時』『うろこの顔』、映画にもなった『蛇娘と白髪魔』など、ちょっと思いつくだけでも結構な数のヘビ女作品がある。たまにホラーマンガ読むよって人なら、きっとどれかは読んだことがあると思う。なかでも『ママがこわい』は古典にしてエポックメイキングな超有名作だ。

 ストーリーは母親とヘビ女が入れ替わったことに気付いた主人公の弓子が、それを周囲の大人に訴えてもまるで相手にされず、どんどん孤立していくというもの。シンプルながら緊張感のある展開で、弓子だけに正体をチラ見せするヘビ女が厭らしい。もちろん弓子がヘビ女に執拗に追いかけ回されるといったシーンもたっぷりとある。クラシックなかわいい絵柄は、雑誌側からの要請に基づくものだったらしい。
 著者によるとこの時期の作品は、表面上の恐怖のドラマツルギーを強調して、感覚的に怖いと思うものばかりを寄せ集めた作り方をしていたという。その条件にもっとも適したものの一つが、少女が一番安心できるはずの場所である家庭に、ずるりと侵入してくるヘビ女だったのだろう。

 著者はまた「変身」に関して、子供から大人になることも「変身」のようなもので、それはとても不気味なことだと思うと語っている。興味深い見解だ。そう思って改めて読み返すと、母親に化けたヘビ女に対する弓子の疑念や怖れは、子供が大人に抱く感情そのもののようで、このあたりが「ヘビ女」というキャラクターが、蛇に対する生理的な嫌悪感を越えて、新たな普遍性を獲得しえた決定要因となっているように思う。それにしても『ママがこわい』って、素晴らしいタイトルだな。


 ※最初にあげた映画は、以前はなかなか見ることができなかった(多分)のだけれど、今では手軽に見れるようになりました。

『蛇女の脅怖』映画自体は児童書を卒業してずいぶんと経ってから、海外版のLDで初めて見た。ここしばらくは『ハマー・フィルム怪奇コレクション DVD-BOX 恐怖の美女編』(←amazonへのリンクです)に収録されてるものを見てます。この単品で発売されたものとはジャケットが違うだけで中身は一緒のはず(未確認)。やっぱ怖い↓

 

『怪奇! 吸血人間スネーク』ジャケットの蛇と人間が嫌な感じで混ざってる怪物が主人公。胴体がツチノコ状にひらべったくなっている。まじめな映画だけど、今見てもちょっと凹む↓

 


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小松左京『湖畔の女』

 小松左京『湖畔の女』(『湖畔の女』徳間書店 1983 徳間文庫 201-4 所収)

「憑き物」について先日の『学校の怪談大事典』には「なにものかの魂や意思が人間のからだにとりついて、その人間の意思とはことなるいろいろな行動や現象をきたさせる超自然的なもの」(※)とある。なかでも動物霊の憑き物はよく知られていて、その代表は「狐」、それから「犬神」「蛇」「猫」「狸」と続く。

 この『湖畔の女』の舞台は、ちょうど今ごろの季節の琵琶湖。初老のSF作家が湖畔で美しい女と出会う。女は蛇に憑衣されているという。といっても『道成寺』の清姫みたいに怒りのパワーでドカンと変身するわけではなく、獲物に絡み付き、締め上げ、呑み込もうとする蛇のように、人格が豹変するのだ。性交時に。
 著者の作品にはしばしばエロい描写があって、子供のころはかなりドキドキそわそわしながら読んだものだ。で、この作品のエロ描写はというと、正直なところエロいっていうよりアグレッシブすぎて怖い。女の振舞いは暴力的で、鬼気迫っていて、あーこりゃ憑いとるわって感じがすごくする。まさに「食う」って言葉がぴったりな感じ。暗闇のなか、汗ばんだ女の体が蛇みたいに蠢めくさまを、著者はノリノリで描写している。また女の「吐息」についての迫真の表現も、その気味の悪いほどのねちっこさフェチっぽさで、超常的な雰囲気作りに一役買っている。

 この作品は「古き佳き日本の女性の美しさ」をホラーやオカルト、SFなどの様々な手法を用いて描く「女シリーズ」の一編。シリーズとはいっても個々の作品は、どれも異なる趣向でそれぞれ独立した作品になっている。解説には「基調ムードは、ほろびゆくものへの挽歌のしらべだろう」とあって、これは本書に収録された五編に対しての評だが、それ以外の作品を含めたシリーズ全体からも、同様のノスタルジックで物寂しい印象を受ける。

 劇中では芸者をあげてのドンチャン騒ぎがあったり、関西弁の賑やかな応酬が続いたりするのだけれど、なんとなく空騒ぎぽくって、やはりそこはかとなく寂しい。寒々とした琵琶湖の情景のせいなのか、それとも初老の登場人物が抱く感傷に共感してそう感じるのかは分からない。ただ全編にそんな寂漠とした空気が漂っているからこそ、快楽を一心に貪る女の生命感は異様なほど鮮やかで、強く印象に残る。


 ※日本民話の会 学校の怪談編集委員会『学校の怪談大事典』ポプラ社 1996 p.55


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